古代日本の王様たちのお墓のデザインあれこれ 弥生時代の後半になって、各地で「王」がうまれ、ご当地ものの様々なタイプのお墓デザインができました。(参考エントリー:弥生人の「いつ変わるの?今でしょ!」の決断。銅鐸をリサイクルして槍を作った理由とは) 弥生時代末〜古墳時代初期、いよいよ前方後円墳ができます。箸墓古墳の前にも「前方後円」の形をした旧型ザクのような古墳が奈良盆地で登場します。 ただ、このときは尾張(名古屋)では「前方後方墳」のほうが「セレブ」っぽかったようです。(参考エントリー:邪馬台国時代の「維新の会」構成メンバーは意外なメンツだった) その後、ご存じのように、前方後円墳が何百年も栄華を極めます。(参考エントリー:実は奈良に超巨大古墳はほとんどない!不動の古墳ランキングが変動!大坂イシハカの会大躍進) しかし、飛鳥時代になって仏教伝来など外国の文化が入ってくると、「民謡よりはこれか
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