まず客観的なことから言えば、彼はモンゴル独立を実現した革命家の一人であり、モンゴル人民党の結成期からの中心人物であった。革命中から軍の指導者でもあり、1937年には全軍総司令官に就任している。一方、政治指導者としても国家小会議議長、人民委員会主席、内相などとしてキャリアを進め、1939年から52年に死去するまで首相兼外相を務めた。この間にモンゴルの近代化は(たとえばキリル文字の導入による識字率向上などを含めて)大きく進み、またノモンハン事件・第二次世界大戦への参戦と勝利を通じてモンゴルの独立と国際的承認への基礎が築かれたというのも事実であり、この面を高く評価する論者も多い。他方、彼とともに革命を担った政治家たち----ダンバドルジ、ゲンデン、アマルといった人々、さらにそれに伴って3万人ともそれ以上とも言われる国民が粛清されていったなかでただ一人生き残り、長期の独裁的政権を運営していたことも