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ブックマーク / yamamomo.asablo.jp (23)

  • 『「勤労青年」の教養文化史』福田良明: やまもも書斎記

    福田良明.『「勤労青年」の教養文化史』(岩波新書).岩波書店.2020 https://www.iwanami.co.jp/book/b505594.html このを手にして読んでみようと思ったのは、「教養」ということにある。その歴史的背景に興味があった。今、日において、特に人文学知は危機的状況にあるといっていいだろう。そのなかでも、近年の話題としては、「古典は当に必用なのか」をめぐる議論がある。 やまもも書斎記 2019年1月18日 「古典は当に必要なのか」私見 http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/01/18/9026278 このを読んで思ったことを書いてみるならば、次の二点だろうか。 第一には、教育格差の問題。 現代における教育をめぐる議論で、もっとも重要な課題となっているのは、教育格差である。「生まれ」によって、その後のその人間の教育の機

    karpa
    karpa 2020/07/12
  • 京都府立医科大学附属図書館貴重書全文アーカイブ: やまもも書斎記

    2009-12-07 當山日出夫 京都府立医科大学附属図書館が、貴重書の全文画像データを公開しはじめていいる。 http://www.f.kpu-m.ac.jp/k/library/denshi/index.html 医学史にとっては、貴重な資料だと思う。このような資料が、単独で公開されるのではなく、他の関連する資料と一緒に検索できるようになるといい。デジタルアーカイブ、MLA連携の方向は見えてきているとはいうものの、実際には、このような地道な作業の積み重ねによって達成される。 ともあれ、京都府立医科大学の公開について、ここで情報を提供しておきたい次第である。 當山日出夫(とうやまひでお)

    karpa
    karpa 2009/12/07
    撮影状態がよくないなあ / これこそAPI公開して,医中誌とかでとりまとめ,とかがいいんぢゃないでせうか
  • 百科事典を使う教育: やまもも書斎記

    2009-11-25 當山日出夫 先日(2009年11月22日)、Wikimediaカンファレンス2009(東京大学)で、話しをして感じたこと。 端的に言えば、日には、「百科事典」をつかう教育の基盤がない。そこに、デジタルのWikipediaがはいってきたらどうなるか、その混乱と見ることもできよう。 まず、(私自信の経験からであるが)、初等教育からはじまって、高等教育にいたるまで、「百科事典」を学習に利活用するという教育をうけていない。高等教育(大学)レベルであれば、むしろ見るべきは、専門の事典である。たとえば、『国史大事典』などの類。これをみるべきであって、「百科事典」などは、ちょっと参考にする程度……というのが、一般の大学教育のでのあつかいではないのか。 なお、私は、事典・辞典の類は、買ったらすぐに箱とカバーをすててしまう。を裸の状態にして棚におく。大漢和・日国語大辞典、すべて

  • 論文とWikipediaの連携: やまもも書斎記

    2009/03/22 當山日出夫 ちょっと古い情報かもしれないが、 図書館情報学を学ぶ ウィキペディアンになってみた http://d.hatena.ne.jp/kunimiya/20090201/p1 国会図書館のカレントアゥエアネス RNA Biology誌、論文投稿に合わせてWikipediaへの記事作成を義務化 http://current.ndl.go.jp/node/11361 ウィキペディアについては、このブログでも何回か書いてきた。また、この前のARGカフェでも、少し話しをした。 学会全体として、こういう方向に向かうと、ウィキペディアの方向も変わるかなと思う。日では、どうだろうか。いきなり、学生に、授業で書かせるという例もあるようだが、これは、どうかなと、個人的には思う。学会誌の査読と同時に、ということであれば、とりあえずは、当該の学会のお墨付きはあるわけで、かなりの信頼

    karpa
    karpa 2009/03/22
    RNA Biol.誌の件は以前ウィキペディアの問題として検討した: http://wikipedia.g.hatena.ne.jp/karpa/20090223/1235411934 (補足あり)
  • 論壇と多事争論: やまもも書斎記

    2009/03/19 當山日出夫 『月刊現代』(講談社)は、無くなるし。『諸君!』(文藝春秋)も、無くなる。『論座』(朝日新聞社)も同様。また、『アエラ』(朝日新聞社)も、残ってはいるというものの、いまでは、「お受験雑誌」になってしまっている。 ともあれ、「論壇」というものが、今世紀になって消滅している、ということは確かである。では、それに、「ブログ論壇」がとって交われるかどうかとなると、無理だろう。 意図的に、自分の主張とは異なる意見にリンクするようにでもしないと、ただ、意見を同じくするものが集まって、「そのとおり」ということで、終わり。 となると、残るは、新聞・TVなどの役割になるか。 「多事争論」、筑紫哲也が使った言葉として記憶に新しいが、基的には、福沢諭吉に遡るだろう。 ともあれ、次年度、学生に、ブログコミュニケーションを教えなければならない。「多事争論」から話しをはじめようか。

    karpa
    karpa 2009/03/19
    福澤は多事争論をよしとしなかったのでは?? / id:optical_frog ご教示ありがたうございます。有山輝雄『「中立」新聞の形成』でそんなやうな議論を展開してゐた記憶があったのでしたが,うろおぼえはだめですね
  • 蘭学事始のことなど: やまもも書斎記

    2009/03/12 當山日出夫 松田清さんのブログ「松田清のtonsa日記」で、前野良沢のことに触れてある。 前野良沢資料集 第一巻 http://d.hatena.ne.jp/tonsa/20090312/1236825499 前野良沢については、人並み(?)の知識しかもちあわせていない。高校の教科書(日史)に登場する程度のこと。『蘭学事始』は、確か岩波文庫で読んだかと思う。 それから、忘れられないのは、吉村昭の『冬の鷹』。杉田玄白と前野良沢を対比的に描く。ひたすら蘭学にうちこむ前野良沢の姿が、非常に印象的である。 蘭学という学問領域がどのように形成され、また、どのように消えていったのか。常識的には、近世から明治にかけての学問史、ということになる。自分のかかわる「国語学」については、ある程度わかるつもり。近年の「国語学批判」によって、逆に、「国語学」という学問の成立事情が明らかになっ

    karpa
    karpa 2009/03/12
    皮肉ですかしら。それすら分らない「批判」が「批判」たりえませうか > 近年の「国語学批判」によって、逆に、「国語学」という学問の成立事情が明らかになったということもある。皮肉なことではあるが
  • ARGカフェ(02)商業利用の是非をめぐって: やまもも書斎記

    2009/02/22 當山日出夫 他のひとが話したことにふれるよりさきに、自分が発言したことを、まず確認しておきたい。 おわりの討論のときに、言ったこと。 MLA(博物館・美術館・図書館・文書館)の、コレクションの商業利用を認めなければならない。 このことは以前に、アート・ドキュメンテーション学会のときのこととして書いた。 2008年6月29日 http://yamamomo.asablo.jp/blog/2008/06/29/3601617 以下、重複するが、転記する。 =================================== 2008/06/29 當山日出夫 アート・ドキュメンテーション学会(JADS)のシンポジウムの最後は、前述の、「写し絵」であった。その後、懇親会に移動。 「写し絵」について発表したのは、みんわ座の山形文雄(平成玉川文楽)さんと、田中佑子さん。懇親会の

    karpa
    karpa 2009/02/22
  • ARGカフェ(01)Wikipedia: やまもも書斎記

    2009/02/22 當山日出夫 さきほど、ようやく、昨日もらった名刺に「ARG090221」とメモを書き込んだところ。(こうしておかないと、いつ、どこで、もらった名刺で、どんな人だかわからなくなってしまう。) とりあえずは、私が話したこと、また、話そうと思ったことを確認しておきたい。 タイトルは、 當山日出夫(立命館大学GCOE(DH-JAC)) 「学生にWikipediaを教える-知の流動性と安定性」 1.立命館大学(文)での情報処理入門 内容は、基的な文書作技能に限定。ただ、最後の課題レポート(内容よりも、形式的に整ったドキュメント作成ができるようになっているかどうかの確認のため)、このレポートは、コンピュータやインターネットに対して、批判的な視点からのものにしている。 2.2008年度は、昨年、話題になった、Wikipediaの書き換え問題。特に、「陵墓」の項目について、宮内庁か

  • Wikipediaとコピペ: やまもも書斎記

    2009/02/19 當山日出夫 さてそそろそジタバタして、ARGカフェの用意をせねばならんと思っていたところろに、とってもいい材料を提供してくれてた。 かたつむりは電子図書館の夢をみるか 2月18日 コピペするにしても元を選べよ!(いやコピペもするなよ?) http://d.hatena.ne.jp/min2-fly/20090218/1234983720 思うことあれこれ、 1. コピペで書けるような課題のレポートを出す教師に問題あり。「~~について論ぜよ」のタイプであれば、コピペは容易。ではなく、ある書物やネット上のこのHP・ブログのこの意見について、反論せよ/要約せよ、の方がいいだろう。 もう、昔の、原稿用紙と万年筆の時代じゃないんだから、それに、最近の家庭には扇風機もあまり無いかもしれないし、紙飛行機をおるの面倒だし、コピペでいたちごっこするのは、馬鹿馬鹿しような気がする。 2.

  • 文字についての私の基本的立場: やまもも書斎記

    2009/01/16 當山日出夫 日語研究として、主に、文字のことを研究している。だが、そのとき、次の点だけは、個人的に忘れてはならないこととし、常に自覚的でありたいと思っている。 第一に、文字というものを考えるとき、一般的に、対比的におかれるのが、音声言語である。だが、言語=音声、とのみ考えているわけではない。聴覚障害(耳がきこえない)学生を、2~3年に一人ぐらいの割合で、教えることがある(花園大学、国語史/日語史)。このような学生にとっては、学習のうえでは、書かれたもの(文字)に強く依存する。 日語における「書記言語」は学問的に問題であることは承知している。そのレベルの議論とは別に、聴覚障害の人間にとっては、書記言語として日語、としか言いようのないものが存在する、このことは確かである。 第二に、日語を表記する文字のなかに、「点字」をふくめて考えること。おそらく、点字で書かれた

    karpa
    karpa 2009/01/16
  • ブログの引用の自由をめぐって: やまもも書斎記

    2009/01/12 當山日出夫 私が確認したところで、読売新聞(YOMIURI ONLINE)が、報じている。この他、現時点で、Googleニュースでは、18件の関連報道がある。 テレビ朝日系で10日に放送の番組で、ブログ記事をスタッフが作って、それをあたかも、すでに一般にあるものであるかのように見せた問題。 記事から、一部「引用」すると、テレビ朝日の発言として、 >>>>> 実際のブログ作成者から撮影許可が取れなかったので、同じ情報を元にスタッフが『再現』した。そのことをテロップやナレーションで伝えるべきだった。視聴者に誤解を与えかねない表現となり、申し訳ない。 <<<<< いくつかの問題点がうかびあがってくる。 ・ブログ記事として、公開されたものの「引用」はどのようなルールであるべきか ・それは、文字データであるとしても、実際には、画面にレイアウトされたものとして、画像的な性格を持つ

    karpa
    karpa 2009/01/12
    > 日本の法律上では、出版物の版面権は認められない。これは、漢字文検情報処理研究会によってあきらかにされている。
  • ワークショップ文字(第2回)を開催: やまもも書斎記

    2009/01/08 當山日出夫 国立国語研究所の高田智和さんから、連絡があって、ようやく、次回の「ワークショップ文字」のホームページのオープンになったとのこと。 URLは、 http://www2.kokken.go.jp/egov/ws_moji090207.html まだ、発表タイトルの決まっていない発表者もあるし、逆に、これがタイトル(?)と思いたくなる、なが~いタイトルの発表もある。テーマは「文字の規範」。 確か、予定では、次回の新常用漢字の委員会で、その名称について審議されるはずである。このあたりのことは、小形さんのブログ「もじのなまえ」で、順次あきらかになっていくことと思う。 ともあれ、現時点でのプログラムを以下に記す。 プログラム(予定) 13:15-13:30 基調報告  當山日出夫(立命館大学グローバルCOE)「景観文字と字体規範-「祇園」のその後-」 13:30-14

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    karpa 2009/01/08
  • じんもんこん2008つくば(2): やまもも書斎記

    2008/12/28 當山日出夫 筑波大学での「じんもんこん2008」の感想の続き。 今回の発表で印象に残ったのは、内容よりも、25分という時間の問題。通常 のCH研究会(情報処理学会)では、もうすこし余裕がある。25分というの は、これはこれで、十分な時間であるので、必ずしも短いとはいえない。問題 は、その時間配分。 質疑応答、さらには、コンピュータとプロジェクタとの接続の時間をふくめて 25分ということであるならば、発表は15分、質疑応答5分、これぐらいの時 間でのぞまないと、無理である。できれば、二つの会場に分かれているので、 移動の時間が欲しい。 研究発表の場合、コンピュータの利用は二つの方式にわかれる。 一つは、あらかじめ、会場の設置のコンピュータに、発表者のパワーポイント のデータを移してしまっておく。これであれば、コンピュータの接続しなおし、 プロジェクタの認識にかかる時間が

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    karpa 2009/01/03
    共有のパソコンに皆んながUSBメモリを挿すやり方は、昨今のUSBワーム(WORM_ONLINEG系列とか)の流行を踏まえるに、できれば私個人は避けたいやり方
  • 『これから学会発表する若者のために』: やまもも書斎記

    2008/12/17 當山日出夫 『これから学会発表する若者のために-ポスターと口頭のプレゼン技術-』.酒井聡樹.共立出版.2008 ARGで「おすすめ」とでていたので、さっそく買ってみた。これは、来年度の教科書につかうことにしよう(授業テーマ:アカデミック・プレゼンテーション)。 ざっと見て、次の指摘は重要。 第4章「聴衆としての心がまえ」に、「質問をしよう」とあり、 質疑応答の時間はみんなのもの 全員にむけて言葉を発する 時間を守る の3点が指摘してある。個人的には、私は、学会(特に、人文学とコンピュータ関係)では、質問などする方であると思っている。ちょっと、反省せねばならんあ、と思ってしまう。 まだ、丹念に読んだというわけではないが、上記のような指摘をふくめて、学会発表での発表のしかたについて、また、聴き方について、非常に有益なであると思う。私からも「おすすめ」である。 當山日出夫

    karpa
    karpa 2008/12/17
  • Wikipediaを学生にどう教えるか: やまもも書斎記

    2008/11/21 當山日出夫 もろさんのブログで、Wikipediaを、教育にどう利用するかの議論がなされている。Wikipediaについては、すでに、この私のブログでも、すでに、関連について言及した。 http://d.hatena.ne.jp/moroshigeki/20081120/p1 『ウィキペディア革命』(岩波書店) 2008年11月11日 http://yamamomo.asablo.jp/blog/2008/11/01/3866548 『ウィキペディアで何が起こっているのか』(オーム社) 2008年10月31日 http://yamamomo.asablo.jp/blog/2008/10/31/3861170 今、私が考えることは、ある項目についての、改訂履歴をリサーチさせること、である。授業の資料などで、今の学生は、平気で、Wikipediaを使う。参考資料としてあ

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    karpa 2008/11/21
  • 学術書出版とDTP(2): やまもも書斎記

    2008/11/14 當山日出夫 今、私の手元にある。 『Wordでをつくろう ヨコ組編』『Wordでをつくろう タテ組編』の2冊。ともに、日エディタースクール。2003年の刊行。 そして、裏表紙には、「この文はWordで作成しました」とある。このなかには、ノンブル(頁番号)や、柱、なども含む。さらに、「2行取り中央」というような、出版印刷業界用語なども出てくるし、その設定法も解説してある。 これは、Word2003版である。したがって、今の2007版に、直接むすびつくというわけではない。(特に、うっかり、メイリオなど使ってしまうと、困る。) この他にも、Wordで、組版までやってしまおう、という類のは、いくつか出版されている。 やる気さえあれば、個人レベルで、組版までできてしまう。そして、今は、それを、フォント埋め込みPDFとして、出力できる。それを、出版社に送れば、

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    karpa 2008/11/14
  • 天皇陛下の見識: やまもも書斎記

    2008/11/13 當山日出夫 一応、私も、塾員(慶應義塾大学出身)である。したがって、今般の、150周年記念式典について無関心というわけではない。とはいえ、もっぱら興味があるのは、来年の、東京国立博物館での展覧会の方。『グーテンベルグ聖書』が、見られる!! ところで、『轟亭の小人閑居日記』に、式典における、今上陛下の「おことば」が、のっている。 http://kbaba.asablo.jp/blog/2008/11/11/3905252 ここで、陛下は、近代日歴史を、慶應義塾とともに語っておいでである。そのなかに、つぎのようにある、 >>>>> 日は修好通商条約調印から三十一年にして、大日帝国憲法を発布し、翌年には、第一回帝国議会を開くまでに近代国家としての制度を整えるに至っています。 <<<<< この間に、いわゆる1868年「明治維新」が入っていない。「開国」から近代日のス

    karpa
    karpa 2008/11/13
    > 徳川幕府の瓦解も、明治天皇も、出てこない。このような歴史観というのは、やはり、今上陛下であるからこその発想かもしれない
  • CH80(6): やまもも書斎記

    2008/10/29 當山日出夫 芸術村のDAFの見学が終わってから、角館市内にむかう。帰りの列車、昼過ぎの「こまち」をとってあったので、他のみんなと、武家屋敷のあたりを歩く。 CHとは、話しがはなれるが感想を少し。 まず、やけに通りの幅がひろい。だいたい、「小京都」といわれるような地方都市は、通路がせまい。京都の街でも、メインの道をのぞくと、ほとんど一方通行になっている。 自動車もない江戸時代に、なぜ、こんな幅の広い道が必要だったのだろうか。たぶん、雪のせいだろう。このあたりは、豪雪地帯でもある。降った雪はつもるばかり。屋根から雪下ろしをしても、その処理の場所が無い。たぶん、その雪の処理のために、道路を幅広くつくったのでは、と思った。(まちがっているかも。) いくつかの武家屋敷は、「公開」しているのだが、一方で、現役で、そこに人が住んでいる家もある。いまどきの、家族構成、生活スタイルで、

    karpa
    karpa 2008/10/29
  • こころのカフェきょうと: やまもも書斎記

    2008/10/21 當山日出夫 以前、情報処理関係の授業で教えた学生(社会人)。その人が主宰している、「こころのカフェきょうと」の案内メールをもらったので、紹介しておく。 http://www.geocities.jp/kokorono_cafe/top.html ひとつだけ、余計なことかもしれませんが、自ら死を選んだ人のことを、「自死」と表現します。一般的には「自殺」ですが、この用語は、基的に使いません。ちょっとした、言葉遣いですが、配慮して使用してくださるよう、お願いします。 當山日出夫(とうやまひでお) 追記 2008/10/22 『こころのカフェきょうと』だけでは、なんのことだかわからない人もいたかもしれませんので、そのHPから紹介文を以下に記します。『こころのカフェきょうと』は、自死遺族をささえる活動をしています。 以下、転載です。 「こころのカフェ きょうと」は、大切な人を

    karpa
    karpa 2008/10/21
    > 自ら死を選んだ人のことを、「自死」と表現します。一般的には「自殺」ですが、この用語は、基本的に使いません。ちょっとした、言葉遣いですが、配慮して使用してくださるよう、お願いします。
  • 人文情報学シンポジウム(2): やまもも書斎記

    2008/04/06 當山日出夫 歴史記述における情報概念について 白須裕之 いつもながら、白須さんの発表はすごいと思う。だが、はじめて、このての発表に接する、人文学系の研究者は「???」であるだろう。 そのレジュメの「はじめに」で、まずこう記している。 >>>>> 人文情報学という分野のためになされた先人の努力の結果、人文系のデータベースやデジタルアーカイヴ等の種々な成果が提出されてきた昨今であるが、人文情報学の基礎を問い直す試みは、その端緒に就いたばかりではないだろうか? <<<<< 歴史とは何か、というこれまで数多くの歴史学研究者のみならず、人文学研究者のとりくんできた課題について、論理学でとりくもうとしている。おそらく、実際の史料に基づいて研究をすすめている歴史学研究者には、この発想自体が、うけいれがたいものかもしれない。史料を解読して、帰納的に解釈を導き出すものである……大部分の

    karpa
    karpa 2008/08/18
    白須さんの発表を理解するのになにを勉強したものかいまだにさっぱりです