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ブックマーク / uakira.hateblo.jp (32)

  • やはりHTML5にはcomplex rubyが必要ではないか - 日本語練習虫

    HTML5(2010/06/27作業ドラフト)のルビ仕様がcomplex rubyを廃して入れ子対応となってゐる点について、JIS X 5042:2000とW3C Ruby Annotation仕様(2001/03/31勧告)の調整を図られた家辺勝文氏がご自身のウェブサイト「ウェブノート * 2010」において、次のように記されてゐる。 TML5 の ruby element 方式は、現状では Ruby Annotation における complex ruby を含んでいません。 「EPUB仕様の日語組版拡張を目指して」(Version 0.8) という電子書籍のためのマークアップ試案では、HTML5 ruby element のネストで「両側ルビ」を表現しようとしていますが、 JIS X 4052:2000 および Ruby Annotation の原案作成過程で「ネスト」方式には不具

    やはりHTML5にはcomplex rubyが必要ではないか - 日本語練習虫
    karpa
    karpa 2020/03/12
    いまは見れないっぽい “「労働者階級意識」といふ親文字列のうち、「労働者階級」に「プロレタリアート」といふルビ。同時に「階級意識」に「かいきゅういしき」といふルビ。”
  • #活デ図 「活字中毒者のデジタル図書館探訪」補講 - 日本語練習虫

    配布資料B面の上の方に並んでいる、東京築地活版製造所の明治19年「新製見」シリーズについて、お話しさせていただきます。 『アイデア』358号の「日語活字の文化誌 第3回 うたう活字書体」で触れた通り、この「新調三号」仮名は、筆書きの味を強く残した活字書体の代表として、写植時代とデジタルフォント時代に復刻/翻刻活字を生み出しています。 idea (アイデア) 2013年 05月号 [雑誌] 出版社/メーカー: 誠文堂新光社発売日: 2013/04/10メディア: 雑誌この商品を含むブログ (3件) を見る「新調四号」の活字としての特徴については、8月10日に発売される『アイデア』360号「日語活字の文化誌 第5回 正方形とは限らない」で取り上げておりますので、興味のある方は、ぜひご覧になってみてください。idea (アイデア) 2013年 09月号 [雑誌] 出版社/メーカー: 誠文堂

    #活デ図 「活字中毒者のデジタル図書館探訪」補講 - 日本語練習虫
    karpa
    karpa 2014/01/03
    新製見本に掲載された字は「整版の味」を伝へるものでも,国学で好まれてきた文字とも異ることは留意すべきかなあ,かなあ.
  • ローマン体欧字活字の歴史と明朝体漢字活字の歴史 - 日本語練習虫

    @i_mediator 様 ロバート・モリソンの『五車韻府』が、オンラインで参照できてしまうとは、ありがたくも恐ろしい世の中になったものであります。 1820年版: http://books.google.co.jp/books?id=6zkOAAAAIAAJ&ots=c-EQnG9uX-&dq=Morrison%20Chinese%20Dictionary&pg=PP2#v=onepage&q&f=false 1865年版: http://www.archive.org/stream/dictionaryofchin00morr#page/n11/mode/2up さて、Robert Morrison『A Dictionary of the Chinese Language: Chinese and English arranged according to alphabetically

    ローマン体欧字活字の歴史と明朝体漢字活字の歴史 - 日本語練習虫
    karpa
    karpa 2010/05/19
  • 明朝体が広く使われるようになったのはTimesに合わせるため説? - 日本語練習虫

    1920年代に開発され1932年にTimes紙でデビューした、英国モノタイプ社の活字書体「Times」について、《明朝体が広く使われるようになったのは、英字Timesに合わせるためだ》といふ説があるといふんだが。 日語明朝体活字といふモノに限っても、現在我々が「オールドスタイル」と呼ぶ明朝体活字書体は19世紀のうちにあらかた開発が終ってゐる。確かに円ブームはTimes書体誕生の頃から始まるわけだが、19世紀末を迎えつつある『日清戦争実記』の頃に秀英四号が独自書風を確立し、続けて1898年(明治31年)に築地体後期五号仮名がデビュー。 20世紀を迎えた『日露戦争実記』の頃には、「現在我々が目にしている明朝体活字」が押しも押されもせぬスタンダードだった。 …… そんな日語明朝体活字、実は明治10年代に基書体の地位を脅かされたことがある。弘道軒清朝体(楷書体活字)が東京日日新聞の文活字

    明朝体が広く使われるようになったのはTimesに合わせるため説? - 日本語練習虫
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    karpa 2010/05/15
  • 行長よりも長い親文字列のルビ - 日本語練習虫

    HTML5(とCSS3)における縦書きやルビの仕様を見直しより良いものにしようという最近の努力がpublic-html-ig-jp@w3.orgに積み上げられているのを拝読して、深い敬意を覚えた。とりわけ、「Re: ルビ問題の妥協点を探る」の前後に刺激を受け、次のような実験を試みることにした。 実験は、「日の神話時代の終わりに登場する神に、ウガヤフキアエズノミコトがいる。初代天皇神武の父であり、古事記では天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命、日書紀では彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊と書かれている。」という例文に出てくる神の名にルビを振る、というもの。ただし以下の実験では都合により0208外字の「鸕鶿」を「〓〓」に置き換えている。 さて、実は私、決して日神話について詳しいわけではない。それどころか、一般的な知識も持ち合わせていない。上記の例文は、Wikipediaの記述をもとに作文したものだ。 そ

    行長よりも長い親文字列のルビ - 日本語練習虫
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    karpa 2010/04/14
  • 高等小学校読本七の本木昌造伝と三谷幸吉 - 日本語練習虫

    片塩二朗『活字に憑かれた男たち』「神を創った活字研究者・三谷幸吉」さ、「高等小学校読 七」(1910)の「わが国の活版印刷術の起源」といふ節(木昌造礼賛記事)が書き写してあって、それに続けてかう記されてゐる。 この紹介は六ページの、簡にして要をえたものでした。この教科書を三谷はみていたのでしょうか……。もしかすると三谷が印刷界に飛びこんだのも、あるいは「木昌造神話」をかたり続けたのも、かすかな潜在意識として、この教科書があったためかもしれません。 いやいや、ご自身で記された生年が正しければ三谷幸吉は1886年3月9日に生まれてますから、1910年には24歳ですよ? 小野寺逸也「第一次大戦後の印刷労働運動と三谷幸吉」によると「彼は小学校卒業直後の明治三十年五月に、福井市で印刷見習工となった」さうであり、また同補遺によると「三谷は著書の中で(『直ぐ役に立つ植字能率増進法』昭和十年、印刷改

    高等小学校読本七の本木昌造伝と三谷幸吉 - 日本語練習虫
    karpa
    karpa 2010/04/07
    愛の鞭ですかw > かういふ「突っ込みどころ」は、たぶん、“いいかげんなことを書いてる”んぢゃなくて、“読み手のリテラシーを試してみてゐる”んだといふ気がしてきた己
  • 三谷幸吉が「神を創った活字研究者」となった訳 - 日本語練習虫

    かつて尼崎市立地域研究史料館長を勤められた故小野寺逸也氏の論文「第一次大戦後の印刷労働運動と三谷幸吉」が収められた神戸市史紀要『神戸の歴史』第23号と、その補遺が収められた第24号が届き、熟読。 三谷の神戸時代については、おそらくこれ以上の調査結果は出て来ないだらう、一流の仕事。 ところで、日の記事の表題は片塩二朗『活字に憑かれた男たち』(朗文堂、1999)の三谷に関する章を踏まえてゐる。 片塩氏の記述には、次のやうなものもある―― このひとは、印刷の歴史と、活字の技術にかんする著作をのこしました。とりわけこの国の印刷史の人物列伝の調査は、丹念で詳細をきわめたものでした。 しかし歴史上の人物を追うあまり、ついうっかり、自分の資料をのこすことを忘れてしまったようです。つまり三谷のことは、その生没年はおろか、出生地から業まで、なにもかもがわからなくなっていました。 ――んだども、小野寺論文

    三谷幸吉が「神を創った活字研究者」となった訳 - 日本語練習虫
    karpa
    karpa 2010/04/07
    それだから鯨尺との対応を「発見」したとき感謝感激したのか
  • 徳永直知人のS司書と徳永がS17に通ったS子爵邸のS文庫 - 日本語練習虫

    以下、来春書かれる予定の未来日記、兼12月1日付の記事さogwataさんから頂戴したコメントへの返信。 …… 徳永直がサミュエル・ダイアの事跡を発見する手助けをすることとなった、東大図書館で「司書をしている知人のS氏」が澁川驍であるのか否か。 丸善が支那叢報の復刻版を出しつつあった昭和十七年当時には、東京帝国大学附属図書館の司書をやってゐた二人のS氏がゐた。一人が澁川驍で、もう一人が関敬吾。 http://d.hatena.ne.jp/uakira/20091122 東京大学附属図書館編『図書館再建50年』(1978)が澁川の在籍を昭和十四年六月までとしてゐる一方で昭和十四年七月一日現在の『職員録』には澁川在籍になってゐるから、実際の在籍期間を確認するため、澁川驍が『書庫のキャレル』中に記した昭和十八年〜二十年頃の出来事に関係する相手方の記述を求めて、高見順日記、上林暁全集を通り過ぎ、徳田

    徳永直知人のS司書と徳永がS17に通ったS子爵邸のS文庫 - 日本語練習虫
    karpa
    karpa 2009/12/18
    内容よりも(失礼)文体に目がいったのはわたしだけかしらん
  • 徳永直は1946年にダイアの節を雑誌に書いてゐた - 日本語練習虫

    徳永直『光をかかぐる人々』の続編、青空文庫への登録をしないまま『世界文化』連載分の入力を終へたところ、第一節から三節の校正を、「前編」に引き続きしださんが手がけてくださった。ありがたうござる。 今回校正して戴いたあたりに記されてゐる、三代木村嘉平の遺品を尋ねて鹿児島へ出かけたりする話について、徳永は、『科学の友』二巻三号と四号(昭和二十一年三月・四月)さ、「嘉平の活字」と題して『世界文化』昭和二十三年十一月号・十二月号に掲載した部分を発表してゐる。細かい表現は後に書き改められるんだども、段落の数や順序など話の運びは『世界文化』連載分とほぼ同じ形に整へられた状態で、記されてゐる。 己が古書店で入手した四月号の中には、一箇所、主人公が「五郎」と記されてゐるところがある。 これ以上はとりつく島もない。それにいつまでも老人と青年を立ン坊させておくわけにゆかなかつたので、五郎は禮をのべて嘉平遺品を以

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    karpa
    karpa 2009/12/03
  • 日本を除く英語圏と漢字文化圏でのサミュエル・ダイア事跡評価 - 日本語練習虫

    Wikipedia英語版におけるSamuel Dyerの項目で、参考文献に挙げられてゐるものの一つに、クアラルンプールのマラヤ大学図書館ライブラリアン Ibrahim bin Ismail による「Samuel Dyer and His Contributions to Chinese Typography」(『The Library Quarterly』vol54、1984)がある。Ismailは、1982年の『Libri』vol.32にも「Missionary Printing in Malacca 1815-1843」といふ文を書いて、我々の当面の関心事である欧米人による近代漢字活字開発の歴史を概観してゐるらしい(Ismail 1982は未見)。 Ismail 1984が掲げる参考文献によると、《欧米人による「Chinese printing」の開発史》に関する先行研究には、次のよう

    日本を除く英語圏と漢字文化圏でのサミュエル・ダイア事跡評価 - 日本語練習虫
    karpa
    karpa 2009/11/30
    Carter=Goodrichは,東洋文庫の『中国の印刷術 : その発明と西伝』ですが,キリシタン版しか注意してなくって,S. ダイアがどうたったか……
  • 欧米人と東アジア人の表情知覚は本能的に異なるのか - 日本語練習虫

    一昨日書いた「手塚マンガと漢字のあやしい関係」に関係ありさうな話なんだども。 AFP BBニュースの記事「欧米人と東洋人で異なる表情伝達、英研究」によると、英グラスゴー大学の研究者の、「顔の表情から相手の感情を読み取る際に、欧米人は口元に注目するのに対し、東洋人は目の表情を重視する傾向がある」といふレポートが、米科学雑誌『Current Biology』に載ったといふ*1。 同レポートは「欧米人(白人)と東アジア人の知覚傾向は能的に異なる」と結論してるって云ふんだども、ホントだらうか。 霊長類の研究からヒトの表情認知を照らし返さうとする研究からは、メカニズムは非ヒト霊長類とヒトの間ですら共通で、仮に欧米人と東アジア人の間で表情知覚の傾向に違ひがあるとするなら文化の違ひと考へられるんぢゃなかっただらうか。 てなことを、顔の絵文字ば眺めつつ、つらつら思った己。 参考にしてみたいなど: 竹原

    欧米人と東アジア人の表情知覚は本能的に異なるのか - 日本語練習虫
  • バカボンフォントとロボコンフォント - 日本語練習虫

    先日「Mさんに唆されて振り返り中」と記してゐだったマンガタイポグラフィの話、2009年8月10日発売の『アイデア』336号(2009年9月号)に載りましたよ皆さん!!! idea ( アイデア ) 2009年 09月号 [雑誌] 出版社/メーカー: 誠文堂新光社発売日: 2009/08/10メディア: 雑誌購入: 6人 クリック: 102回この商品を含むブログ (23件) を見るマンガタイポグラフィって題目から外れてっかもしゃねって観点と、手元にマトモな資料が残ってゐねがったっていふ理由で書けなかった話なんだども、古賀学さんが「バカボンフォント」「ロボコンフォント」を産んだ*11995年といふと、『アイデア』336号「「オタクのデザイン」探索会議」で、ばるぼらさんがとあるマンガをジャケ買ひしてしまはれたと仰ってる頃――、「カッコいいマンガがアリなんだ」といふか「マンガがカッコいい」といふ

    バカボンフォントとロボコンフォント - 日本語練習虫
    karpa
    karpa 2009/08/11
    内田明「来るべきマンガタイポグラフィ研究のために」『アイデア』2009.9 ですか……! / MさんてMRGさんかあ
  • 濁点つきの漢字 - 日本語練習虫

    濁点つきカタカナ井の件に、T先生からメールを頂いた。己は濁点がつけばカナ(漢字に濁点はつかない)と思ってたんだども、近世日語文書では「高声゛」で「カウジャウ」と読ませる例などが珍しくない由。 すげえぜ日語!! 残念ながら、九州大学附属図書館「日古典籍画像データベース」の古活字版太平記で「頼員《よりかず》回忠《かへりちゆうの》事」の段にある 「日一《につぽんいち》の剛者《がうのもの》、謀叛に与《くみ》し自害《じがい》する有様見置《おい》て人に語れ。」と高声《かうじやう》に呼《よばはつ》て、太刀の鋒《きつさき》を口に呀《くはへ》て、櫓より倒《さかさま》に飛落《とびおち》て、貫《つらぬかれ》てこそ死《し》にけれ。 のあたりを眺めても、濁点つき「声」の活字ではない模様。ふりがなにも濁点は無い。 http://mars.lib.kyushu-u.ac.jp/rare/taiheiki/01_

    濁点つきの漢字 - 日本語練習虫
  • 小書きのヒと濁点つきカタカナ井 - 日本語練習虫

    安岡センセイがスラドに小書きヒの件を記しておいでなんだども。 http://slashdot.jp/~yasuoka/journal/481747 スラドのログインユーザでないとコメントが書けない仕様になってるんで、自分の日記さ書いておく。 1908年春陽堂版の夏目漱石『野分』463頁にある「フヒジアス式」の「ヒ」が文五号に対して七号格だって話なんだども、462頁にある「濁点つきカタカナ井」のことが激しく気になって仕方がない己。 http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=41021650&VOL_NUM=00000&KOMA=237&ITYPE=0 変体仮名を符号化しない/できない理由に草書漢字との区別が困難といふ説があったかと思ふんだども、濁点がつき得るのは仮名ってことでいいんぢゃないの? といふのは浅はかですか? 濁点や半濁点を基準に

    小書きのヒと濁点つきカタカナ井 - 日本語練習虫
    karpa
    karpa 2009/07/16
  • 『大日本古文書』に見える蘭通詞本木昌造の仕事 - 日本語練習虫

    すっかり忘れかかってゐる、木伝に追加すべきエピソードの件。 和蘭通詞としての木昌造の仕事が『大日古文書 幕末外国関係文書』に見られることを、徳永直が『光をかかぐる人々』に記してゐる。同書第八巻・第九巻に、「安政の開国」に絡む昌造の働きを見た徳永は、しかし、大正年間に既に発行されてゐた続巻を見なかった模様。 オランダ通詞としての木昌造の仕事は、『大日古文書 幕末外国関係文書』に、予想外に多く残ってゐる。 例へば第十二巻に記された安政二年七月の和蘭別段風説書の翻訳を、木昌造と品川藤兵衞が担当してゐるんだども、以後、安政四年(巳年)二月初めまで、木と品川は「書翰」や「和蘭風説書」を含む甲比丹キュルチユス関連の翻訳を担当し続けてゐる*1。そして『大日古文書 幕末外国関係文書』第十五巻、安政四年二月朔日に書かれた和蘭通詞上申書(キュルチユスが先に申し出てゐたといふシーボルト渡来禁止赦

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    karpa
    karpa 2009/07/12
    あたらしい本木伝がほしいですよねえ
  • 今井直一「活字書体と読み易さ」の時代背景 - 日本語練習虫

    和文活字の可読性について、昭和十八年の『印刷雑誌』に、今井直一が「活字書体と読み易さ」と題する記事を残してゐる*1。これは、昭和二十四年に出された今井の単行『書物と活字』第五章「和文活字の読みやすさ」の基になったもの。 Readability(可読性・読みやすさ)、Legibility(判別性・見わけやすさ)といった概念は、当時の欧文活字かぶれによって邦の活字界にもたらされたモノの見方なんだども*2、当時はスノビズムに留まらない実際的な必要性があり、今井は「活字書体と読み易さ」を次の文句で書き始めてゐる。 近年視力保健に対する一般の関心が昴り昂り、近視予防の方法として、書籍雑誌に関して改善の諸方策が講ぜられつゝある。 今井の記事は『『印刷雑誌』とその時代―実況・印刷の近現代史』(asin:4870851911)にも収録されてゐるんだども、印刷図書館国会図書館の双方で昭和十年代の『印刷

    今井直一「活字書体と読み易さ」の時代背景 - 日本語練習虫
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    karpa 2009/07/11
  • 狭義の書体(タイプフェイス)の訳語 - 日本語練習中

    トナンさんが「リュウミンやヒラギノ明朝の違いは「書体」の違いではない」と書かれた記事に対する感想としてしろもじさんが書かれた「印刷文字における書体・字体・字形」といふ記事を見てゐて。 以前「公有フォントの利用と制作のための参考情報」を調べてみた時に、ああ、その「字型」っていふ「Typeface」の訳語、「じかた」って訓むことにすれば日語でも通用するんぢゃね? 感じたことば思ひだした。 このTypefaceといふヤツ、事後的に「広義の書体」と呼ばれ得る「○○○科」を一気に切り開く場合があり、しかも類似Typefaceが現れない段階では一概に広義(「○○○科」)狭義(「○○○属」)と言へないところが厄介だ――例へば、フォロワーの出現によって現在では「ミックスタイプ」といふ「書体」分類(「○○○科」)を生んだリョービ「ナウ」シリーズのデビューを想起――。 まぁ、斬新なTypefaceが登場した

    狭義の書体(タイプフェイス)の訳語 - 日本語練習中
    karpa
    karpa 2009/07/07
    ふだんの生活では書体の複数義——書道史のそれと異なる——で一向に構はないのですが
  • ケヶ个の活字見本 - 日本語練習虫

    先日の記事「ケヶ个の何だらう」さ頂いたbakocutei_pontaさんのブクマコメントに、かうあった。 困った事にケとヶの中間ぐらいの大きさのがあって迷う事があります。そういう時に限ってカタカナでばっちり使われている時のケが同じ文中になかったりして。どうしたらいいの! 己も気持ちは判ります。昔の活字になればなるほど、カタカナの字面が小さいですもんね。 で、以前から、「ケヶ个の活字見」といふのを作らうと思ってました。 国会図書館所蔵、印刷局活版部『活字紋様見』(明治18年)より 国会図書館所蔵、東京築地活版製造所『活版見』(明治36年)より 印刷図書館所蔵、秀英舎『活版見』(明治36年)より 精興社「邦文モノタイプ文字表」(青梅市教育委員会『活版印刷技術調査報告書』所収)より 大正期から昭和初期にかけての、大日印刷さんとか凸版印刷さんとかイワタさんとかモトヤさんとか日活字さん

    ケヶ个の活字見本 - 日本語練習虫
  • 露伴は小書き仮名を多用したか - 日本語練習虫

    明治二五年『尾花集』所収「五重塔」の書き出しを近代デジタルライブラリーで眺めると http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=41008439&VOL_NUM=00000&KOMA=4&ITYPE=0 ただの五号カタカナ「ト」を用ゐて四行目の「一トしほ床しく」や最終行の「髪の毛の一ト綜二綜」が組まれてゐる。 講談社『日現代文學全集 6 幸田露伴集』の校訂者はこれらの「ト」を《小書き片仮名》《捨て仮名》《訓点送り仮名》の類であると解釈し「小さいト」として印刷したらしく、それを底とする青空文庫版が訓点送り仮名の注記をしてゐる。 http://www.aozora.gr.jp/cards/000051/card43289.html 原稿を見る立場にないので、露伴が「小さいト」を指示したか「大きいト」を指示したか、己には判らねぇんだども、最初のテ

    露伴は小書き仮名を多用したか - 日本語練習虫
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    karpa 2009/06/26
  • 「舟走」於『大日本古文書幕末外国関係文書之九』 - 日本語練習虫

    昨晩記した「舟偏に走」の記事へのkarpaさんのブクマコメントを拝読し、引用文中の漢字なのだから引用元を確認すべきであったことを猛省。 徳永直は『光をかかぐる人々』の「開港をめぐって」第四節さ、かう記してゐる。 安政元年十一月以來、つまり下田談判の中途から、彼はロシヤ人と共に伊豆の戸田村にゐたことが、「古文書幕末外交關係書卷ノ八」の記録によつてわかる。「昨十四日豆州戸田村到着仕候處――魯西亞使節私共着之趣承り急き面會仕度段、通詞木昌造を以て申越候に付、直に使節罷在候寶泉寺へ御普請[#底は「普譜」]役御小人目付等引連れ罷越及面會――」云々。これは翌年二月十五日付で、ロシヤ應接係の一人、勘定組頭中村爲彌から川路宛の上申書の一節であるが、ロシヤ人たちは戸田村海岸で船をつくつてゐたのである。 確かに安政元年の記事は東京帝国大学文科大学史料編纂掛編『大日古文書 幕末外国関係文書之八』に纏められ

    「舟走」於『大日本古文書幕末外国関係文書之九』 - 日本語練習虫
    karpa
    karpa 2009/06/14
    調べようと思ってゐながらすっかり忘れて平家物語諸本と戯れてゐました…… / 徳永の調査範囲のひろさを知るうへからも興味ぶかく感じました。すごい