2015-03-13 東日本大震災について 散文 わたしは東日本大震災で甚大な被害を受けた東北の人間である。 が、自分はあまり震災のことについて語ってこなかったように思う。 振り返って書き記しておくべきことがあるのではないかと思い、今、ここに刻む。 地震があったその日その時間に、自分は鬱で寝込んでいて、モノが落ちようが倒れようがなんとも思わずただただ揺れがおさまるのを待っていた。 揺れが止まった時、ばあさんとラブラドールのさくらが無事かと茶の間に行き、ケガもなにもないことを確認し、しばらくぼんやりしていた。 その後、父親が戻り、家屋の損傷などをチェックしコンパクトデジタルカメラで写真を撮っていたことを覚えている。 ライフラインはほぼ止まり、かろうじて蓄えられていた水を近所の人々や知人たちに分け与え、それすら尽きた時には自衛隊の方々が運んでくれた水をポリタンクにつぎ、飲食用にした。 普段、近
2015-01-15 終わりの歌 詩 最期だけは か細い吐息のなかで 静かな歌を聴いて おやすみ id:POGE LAOS 2015-01-15 20:39 終わりの歌 Tweet 広告を非表示にする コメントを書く LAOS-THAILAND 国境へ »
2014-10-07 横浜ラプソディ 詩 ブルースを唄う男がいう 世界はブルースだと ブルースでないものなどないのだと ブルースだけが生きる意味だと ラッパーは叫ぶ 俺は世界と戦っている 明日も世界に負けるだろう 戦い続けるワンダーボーイ グルーヴ ライブ ウェーブ 十月に結婚すると宣言しながら アイラブユーを無差別テロする馬鹿 幸せ者には鉄槌を カオス カオス カオス カオス 数え切れない 熱烈な挨拶 chaos chaos chaos chaos ご機嫌いかが? chao! id:POGE LAOS 2014-10-07 20:16 横浜ラプソディ コメントを書く 青木先生と梅原先生のトータルスパーリング »
2014-09-08 這い寄る混沌 散文 さて、星辰の位置も定まったようだし、ここでひとつの秘密を明かそう。 「アルファでありオメガ」というのはユダヤキリストイスラム(これらをアブラハムの宗教と呼ぶ)共通の「神」のことなのだが、名指しできぬそれをテトラグラマトンYHVHと表記する。 それを反転させたのがかの狂人ラブクラフトだ。 Yog-Sothoth(ヨグ=ソトース)は「全にして一、一にして全なる者」、すなわちYHVHなのだ。 話はこれで終わりではない。 ユングを持ち出せば「神」なるものを「老賢者」と変換可能かもしれない。 さて、ユング世界の中で老賢者と対置されるのは「道化師」トリックスターだ。 ラブクラフトはそれを、Nyarlathotep(ナイアーラトテップ)と表記し、我々の宇宙を越えた外なる神々の使者であるとともに、その最強のモノでさえも弄ぶ存在とし
2014-09-08 新宿の街灯 写真 id:POGE LAOS 2014-09-08 20:06 コメントを書く « Monochrome 俺に命令するな »
2014-09-07 圧縮展開 散文 詩 ネットで凄まじく難しいことを長文で書き下しているたちがいて、素直に感心するんだが、頭のどっかに「今北産業」とポップされて困る。展開能力には優れているが圧縮能力に劣っているように見えて胃がもたれる。 俺が詩を読むのは、ありえないぐらいの圧縮率を誇るからだ。詩に問題があるとすればそれを解凍できる人があまりいないということぐらいかな。だから現代詩なんて誰も読まないし、俺も読まなくていいと思う。 ここに戦後詩が陥った罠を回避するヒントがあるわけだ。 超絶圧縮を保持したまま、表層だけでも誰も読めるように、何重ものアーカイブを施せばいい。どうせ上っ面さえそれなりになってリャ、それなりに評価されるんだ。密教はわかる人にだけわかればいいというスタンスで良い。 俺はそれを実行して冗談のような馬鹿に絡まれたので、まだまだ装うことに慣れていないんだと痛感した。 i
2014-09-01 愛について 散文 詩 「愛は不可能である」とは精神分析家ラカンの言葉であるが、それは愛とその愛の対象がかならずずれてしまうというジレンマについて語ったのであって、愛など存在しないというような冷笑とは無縁であり、愛という不可能に挑むことを促していると読むことも可能だ。 「神様が僕を見るように君を見ることができたのならそれは対象aなのだ」 対象aとはラカン理論における極限点であり、けっしてたどり着くことのできない享楽の中心のことである。愛の対象そのものともいえる、盲点のようにとらえることのできない、特異点だ。 わたしは詩人だから、「言葉」を用いて、「シニフィアン≒象徴界」「イマージュ≒想像界・鏡像界」を操作することによって、「レアル≒現実界」を、そして「対象a」を現出させるべく奮闘している。 表記することができないものを表記するというのは、語義矛盾であり、ドン・キホー
2014-08-30 【恵みの国ラオス】まえがき 散文 ラオス、正式国名・ラオス人民民主共和国。 わたしは、ラオスという国のことをほとんど知らずに生きてきた。ラオスがどんな国で、どんな人々が住み、どんな生活をし、どんな文化があるのか、全くと言っていいほど知らなかった。 ひょんなことから、インドシナ半島に飛び、ラオスで暮らすようになって、すでに一年以上が過ぎた。 片言のラオス語と中学生レベルの英語でラオスの人々と話し、飲み、踊り、歌って過ごしているうちに、少しずつラオスに馴染んできたような気がしている。 この写真集におさめられている写真は、ラオスのことを何も知らなかったわたしが、徐々にラオスのことを理解していく過程を描いたものとも言える。観光客ではなく、一生活者として暮らしてきたその視点で撮られた写真の数々は、ラオスの匂い、おおらかさ、豊かさを切り取ったものになっているように思う。
2014-08-21 傍観者 散文 サイレントマジョリティーという言葉があるのだが、意味は良くわからない。 サバルタンの反対のようなものだろうか。 ともかく、多くの沈黙する人たちのことを考える。 そこいらで紛争がおきようがエイズが蔓延しようが、新型インフルエンザで国民の三分の二が死んでしまう可能性があろうが、地雷で足を吹き飛ばされる子供たちがいようが、全力で見て見ぬふりが出来る人たち。 俺は素で思うのだが、彼らのことを「強いな」と感じてしまう。 俺は繊細(笑)なので、一度目に入ったら気になって気になって仕方がない。 もちろん俺が気にしたところで、俺は政治家でも富豪でもないので何も出来ることはない。 せいぜい赤い羽根募金に500円玉突っ込んで羽はそこいらに捨てるというよくわからない偽善的行為をするぐらいだ。 俺は100円ショップでものを買うときにも、工場で非人間的な生産過程に組み込まれて低賃
2014-08-20 邪視 散文 対人恐怖症の妄想のひとつに邪視というものがある。これは自らが見つめたものに害をなすのではないかという加害妄想のようなもので、それがある故に人と視線を合わせることができず、結果としてコミュニケーションに重篤な障害をきたすという厄介なものだ。 私は対人恐怖症と呼べるほどでもないが、邪視妄想に近い「私と関わる人間は不幸になる」というぼんやりとした想念にとらわれ続け、ある程度以上に人と親しくなることを避け、独りで過ごすことに安らぎを感じてしまう、ある種の隠者じみた、いや、世捨て人のような感性が身に染み着いてしまった。 幼い頃は田舎育ちで野山を駆け回るわりと元気のいい子供だったのだが、同時に常に本を持ち歩き読書中は周りのものが目に入らないといった孤独を愛する性質もあった。 鬱病に罹患した後の人生は、よりいっそう外界から目を背け、内的世界をひたすら掘り下げる作業に没頭
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