有隣堂しか知らない世界📚書籍発売中 @Yurindo_YouTube 【YouTube公開】 本の表紙やカバー、背表紙、見返しなど外観をデザインすることを「装丁」と言います。今回は、装丁が好き過ぎて本を「ジャケ買い」するという、有隣堂の書籍バイヤー石田貴子が初登場! 石田イチオシの「スゴイ装丁の本」をご紹介します。 youtu.be/DhoTX48pFXo #ゆうせか pic.twitter.com/4JxpJps6q4
1972年6月、横浜市生まれ。1984年、6級で中原誠十六世名人に入門。91年初段、98年4月に四段、プロ棋士となる。2011年2月に六段昇段。棋風は居飛車本格派。四間飛車には急戦を好み、数々の新手を披露。「読売新聞」『将棋世界』などで健筆を振るい、親切な解説者としてファンに親しまれる。2008年から「経堂こども将棋教室」を主催。 髙野秀行六段は、藤井聡太七冠のデビューからの連勝記録が18に伸びたとき、その印象を聞かれ「性能の良いマシンが参戦すると聞き、フェラーリやベンツを想像していたらジェット機が来たという感じ」とコメントして大きな話題になった。幾度となくユーモアあふれる言葉で棋士・藤井聡太を評してきた髙野六段は、現状の強さをどのように見ているのだろうか。 今、藤井聡太七冠に抱いている印象から教えてください。 髙野 正直、以前とそれほど変わっていません。6月20日に叡王戦で敗れて、初めて
「8000m峰に行こう」 私のその言葉に応えてくれたのは平出和也だけだった。 21歳の時だった。 平出は私とは違う大学で、陸上部から山岳部に転部したばかりだった。 長髪で無口だった彼は、東京周辺の山岳部が集まる飲み会で異様なオーラを放っていた。 しかし、その雰囲気とは裏腹に、 「やりましょう! 絶対いきます」 と言って、親し気に顔を向けてきてくれた。 一年後の2001年10月、大学4年生の秋。私たちはチベットのチョ・オユー(8188m)にいた。 遠征をサポートしてくれたのは、お互いの大学だけだった。 7000mでさえも未知の世界だった私は、最終キャンプで高山病になりテントの中に倒れこんだ。 しかし無酸素登頂を目指していていたから、酸素ボンベは持っていなかった。 平出はスープを作り、苦しむ私に飲ませてくれた。 頭は朦朧としていたが、そこから下山しようとは全く思わなかった。 「登ってやる。絶対
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