青色発光ダイオード(LED)の実現により昨年のノーベル物理学賞を受賞した赤崎勇・名城大教授(86)が2日、本紙のインタビューに応じ、空襲で九死に一生を得た自身の戦争体験を打ち明けながら、反戦への思いを語った。集団的自衛権の行使容認など、日本が守り続けてきた平和主義の在り方を変容させかねない安全保障関連法案について「絶対に反対です。歯止めが利かなくなる危険があります」と力を込めた。 (今村太郎) 赤崎さんは特攻隊の出撃拠点だった鹿児島県知覧(ちらん)町(現南九州市)の生まれ。鹿児島市に住んでいた旧制中学時代には、学徒動員で旋盤工として潜航艇の部品などを作っていた。一九四五年の鹿児島大空襲では実家が焼夷(しょうい)弾により全焼。焼け野原で機銃掃射を受けた経験などから反戦への思いは強く、学問に励む時間を奪われたつらさを振り返り、「いかなる理由でも戦争はいけない」と語気を強めた。 また他国を守るた
プロレスラーの蝶野正洋さん(51)は、9歳の息子と5歳の娘がいる。夫婦ともに40歳を過ぎてから授かった。子育てまっただ中の50代、人生経験を積んでから親になった今の思いは。 ドイツ人の妻マルティーナさん(50)と出会ったのは、新日本プロレスに入門し、海外修行をしていた20代のときだった。ドイツでのパーティーで酔いつぶれ、介抱してもらった縁で、1991年に結婚した。 長男が生まれたのは、結婚15年目だ。自身が42歳、妻は41歳だった。それまでも子どもは欲しかったけれど授からず、妻と始めた会社が「子どものようなもの」と思ってきた。妻が40歳になった頃、やっぱり子どもが欲しいと不妊治療を始めた。 出産に立ち会った。「産声は今でも耳に残っています。感動しましたよ」。2人で涙を流した。■「恐怖心がありましたね」 赤ちゃんを抱っこするのは、ほぼ初めて。様々な経験を重ねていても、知らない世界が待っていた
プロレスラーの蝶野正洋さん(51)は、9歳の息子と5歳の娘がいる。夫婦ともに40歳を過ぎてから授かった。子育てまっただ中の50代、人生経験を積んでから親になった今の思いは。 ドイツ人の妻マルティーナさん(50)と出会ったのは、新日本プロレスに入門し、海外修行をしていた20代のときだった。ドイツでのパーティーで酔いつぶれ、介抱してもらった縁で、1991年に結婚した。 長男が生まれたのは、結婚15年目だ。自身が42歳、妻は41歳だった。それまでも子どもは欲しかったけれど授からず、妻と始めた会社が「子どものようなもの」と思ってきた。妻が40歳になった頃、やっぱり子どもが欲しいと不妊治療を始めた。 出産に立ち会った。「産声は今でも耳に残っています。感動しましたよ」。2人で涙を流した。■「恐怖心がありましたね」 赤ちゃんを抱っこするのは、ほぼ初めて。様々な経験を重ねていても、知らない世界が待っていた
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