タグ

ブックマーク / d.hatena.ne.jp/sunafukin99 (93)

  • 「人権」理念は左翼の専売特許か? - すなふきんの雑感日記

    Munchener Brucke〜慰安婦問題に見る親米保守派の誤算日の保守主義者は「人権」を左翼の価値観と言い放ち軽視するが、アメリカにおいて人権は建国の理念の一つであり、その理念を重視する保守派にとっては決して譲れない価値観なのである。この価値観を軽視するイスラム諸国や中国に対して厳しい態度を取るのがアメリカの保守なのである。人権を左翼の価値観として批判する人たちは、北朝鮮中国における人権軽視の姿勢は激しく批判する。そもそも北朝鮮中国の「人権」軽視のあり方を批判するのは、日アメリカなど西側諸国と共通の「人権」観を有するという前提においてこそ可能なはずで、「人権」という理念を何か外来の、「日の価値観にそぐわない異物のように感じる人たち」が他国の「同様の」感覚を批判するのはどこか違和感を感じる。アメリカの場合はその点ではある程度筋が通っていて、彼らはあくまでも建国の精神である民主

  • 「保守」や「右翼」と言われるのがかっこ悪いのはなぜか?(追記・修正あり) - すなふきんの雑感日記

    Baatarismの溜息通信〜右か左か?wBaatarismさんところのコメント欄で気になったものがあった。さくらさんが、政治ポジションテストで自分の結果が保守寄りと出たことについて不意だとコメントされていたところから保守の定義とは何かということになって、とりさんがそれを引き継ぐ形で論じられている。ただとりさんは保守思想家レベルでの「保守」という用語に積極的でプラスな意味を見出しているようだが、私の関心事は市井の一般国民の平均的な見方にある。むしろ一般レベルでは「保守」よりは「伝統」の位置づけの方が高いようにさえ思われる。自分もコメントの中で触れているが、わが国ではそのものずばり「保守党」という政党名(一時期超短期で存在したがすぐに消滅)が定着せず、政権党である最大の保守政党は「自由」と「民主」という戦後日を象徴する二つの価値観をあらわす名称を冠して長らく通してきたわけだが、ここには「

  • 「豊かな社会」は罪悪か? - すなふきんの雑感日記

    ■[世相その他]「豊かな社会」は罪悪か? 大昔、人間にとって「能力」の有無は生き抜く*1のに必須条件であり、生まれつきの階層や資質や運の良し悪しを含めて、その社会を生きるのに不都合な者や劣った者は容赦なく淘汰され、しかも誰もそのことについて疑問に思わない社会というのが普通だったと思われる。 ところがある時期から経済成長というものがはじまり、経済の発展ははじめ一部の特権階級のものでしかなかった文明の成果を社会全体に拡散し始めた。人権や個人の自由などの今の先進国では普遍的とされる意識も経済発展と歩調を合わせて進んできたことは、近代の歴史を顧みると間違いなく言えることだろう。経済的余裕は一般的に人間の心にも余裕をもたらす。だから大昔なら到底生き延びられなかったレベルの「弱者」でも現代では生きられるのであって、それは肯定すべきなのだ。単に「無能な奴は死ね」というのは筋の悪い反文明的発想と言って差し

    kechack
    kechack 2007/01/14
    共同体的で濃厚な人間関係にはプラス面と裏腹にマイナス面も伴っていたわけで、それから逃れようと必死になっていた先人の苦労も忘れてはいけない
  • 客に説教するの? - すなふきんの雑感日記

    ■[世相その他]客に説教するの? H-Yamaguchi.net〜商人の「分」 某党の人ではないが、労働者が家族を持とうと考えることすらかなわない状況、子育てを放り出して仕事にかかりきりにならなければならない状況は、誰が作りだしているのか。子どもができたら女性社員は退職するよう勧めている企業が未だに少なくないことを知らないとは言わせないよ。子育てや家族を大切に考える意識をまず徹底的に叩き込まなければならない相手は、企業経営者ではないか。 いったん企業戦士となった以上会社が全世界と化する日という社会では、もともと家族や子育ての価値などどれほどのものがあったのかわからなくなってくる。そんなものはもともと実態として存在しなかったのではないのか?こうした企業経営者はいったい何をモデルとしてそういう理想像を描くことが出来るのか聞いてみたいが、どうせ思いつきレベルのものでしかないのだろう。 国民の行

  • ドライな多元的コミュニティは可能か?@不自由志向の日本人 - すなふきんの雑感日記

    ■[世相その他]ドライな多元的コミュニティは可能か?@不自由志向の日人 Munchener Brucke〜密度の濃い一元的コミュニティ内での教育訓練の必要性 いじめ問題の処方箋として内藤朝雄氏が提言している、子どもを学校という閉鎖的で一元的なコミュニティから開放するという意見はしごく尤もな意見である。「しかと」という行為も、多元的なコミュニティ環境下においては実効性を失い「いじめ」としての効力を失う。 内藤氏の意見は、学校をすべて開放するものであるが、実際に世論に受け入れられるためには、開放されたドライな学校と、集団行動を重視する濃い学校と、選択肢を用意するのがよいのではないか。後者に適応できなければ、前者に移動できるような仕組みを考えればいい。 適切な表現かどうかはわかりませんが、「解放されて多元的」というイメージからは市場社会的なものが想起されます。対し「閉鎖的な濃いコミュニティ」と

  • 「ダメなものはタメになる〜テレビやゲームは頭を良くしている」 - すなふきんの雑感日記

    ダメなものは、タメになる テレビゲームは頭を良くしている作者: スティーブン・ジョンソン, 乙部一郎, 山形浩生, 守岡桜出版社/メーカー: 翔泳社発売日: 2006/10/04メディア: 単行低俗番組批判はもう何十年も続いていて、子供にそうした番組を見させないようにする試みは世の親たちの関心のひとつであるのは今でも変わっていないようだ。かつて大宅壮一は「一億総白痴論」なるものを唱えた。テレビは人間をバカにするだろうというのだ。それから半世紀、人間は果たしてバカになっただろうか?或いはマンガ文化に対する批判やビートルズなどのポピュラー音楽への批判など、「正統派」に対する「異端派」への攻撃は過去に常に存在してきた。それらが受け入れられ体制化していった過程において、人間は退化してきたのだろうか?過去数十年を振り返ってみるとどうもあまりそうは思えない。パソコンの出始めの頃はオタクの暗い趣味

    kechack
    kechack 2006/10/08
    マンガ文化に対する批判やビートルズなどのポピュラー音楽への批判など、「正統派」に対する「異端派」への攻撃は過去に常に存在してきた。それらが受け入れられ体制化していった過程
  • 失礼極まりない「ボランティア」構想 - すなふきんの雑感日記

    おしゃべりSchwaetzerの飲んだくれな毎日〜2006-09-16それ、福祉関係者に大変に失礼。この程度なら若造にでもできるだろって発想は全く失礼。働かせるなら、ちゃんとそれに報いるものがなければ。でないと、何で知らないじいさんばあさんのオシッコやウンチの始末ができるものか。納得。ボランティア義務化の背後には「こんな仕事ぐらい誰でも出来るだろ。プゲラ」という軽い、バカにした、いい加減な気持ちがあるとしか思えない。早い話が福祉関係者にしてみれば「俺たちの仕事はタダ同然の値打ちしかないのかよ!」ってことになるのだが・・・。こんな失礼な話があるの?やる気もろくにない「タダ働き要員」を送り込まれるはめになった企業や職場の人間は目の色変えて怒るべきだな。こんな中途半端な思いつきのような駄案が大真面目に語られること自体信じがたいよ、まったく。はよつぶれろ。

    kechack
    kechack 2006/09/16
  • 昭和初期と文革と現在 - すなふきんの雑感日記

    ■[世相その他]昭和初期と文革と現在 昭和史七つの謎 (講談社文庫) 作者: 保阪正康 出版社/メーカー: 講談社 発売日: 2003/01 メディア: 文庫 保阪正康「昭和史 七つの謎」講談社文庫 第1話 日の<文化大革命>はなぜ起きたか? より 「動機が至純の情にみちていれば行為が善か悪かは問わない」「自分の論がいれられなければ他者とはコミュニケーションをもたない」といった理性、知性の放棄、感情の発露のみが先行する社会。その裏返しとしての外国蔑視の支配する国家。・・・・そういう社会と時代の波は昭和八年から始まったのではなかったか。 五・一五事件の被告への同情、そして減刑嘆願運動は、どうあれ、「動機が正しければ何を行っても許される」という国論を生むきっかけになった。 ある中国人ジャーナリストから、あの文化大革命でわれわれの国は十年は回り道をしたとか、あの世代は学力よりも思想運動が中心だ

  • 市場vs政府〜国益という欺瞞 - すなふきんの雑感日記

    ■[世相その他]市場vs政府〜国益という欺瞞 ふぉーりん・あとにーの憂〜国益と競争法? 東スポだけのネタのようですので信憑性は大いに薄いわけですが、要は航空会社の経営の厳しい折り、外資に乗っ取られる前に両社を合併させてしまいましょうという発想のようです。 これとは若干パターンは異なりますが、例えば、海外市場における競争力を確保するために国内企業同士の合併を認めるべきだという主張も、これに近い発想があります。 つまり、国内の競争が厳しすぎると日企業の海外での競争力が失われてしまうから、「国益」の観点からは余り合併規制を厳しく運用すべきではないというものです。 国内での競争を制限して、海外での競争力を高める/破綻を防ぐというロジックは、要は独占による消費者から生産者への余剰の移転によって生産者を助けましょうという話ですので、国家が税金→補助金という形でそれを行うのと質的には同じなわけです

    kechack
    kechack 2006/08/21
  • 経済成長なき格差論の救いようのなさ - すなふきんの雑感日記

    ■[世相その他]経済成長なき格差論の救いようのなさ 戦後の日は世界で最も成功した社会主義と揶揄されるほど平等主義的で格差の少ない社会だったというのが世間の通説らしいが、その解釈がはたして正しいのかははなはだ疑わしいところがある。 一億総中流などという言説が流れるようになった時代は経済が高成長を実現した後だったことを考えれば、その実質は平等主義的な再分配政策の結果というより、全体のパイが著しく大きくなった結果、ほとんど全ての国民の経済力が底上げされたことが大きく寄与したというのが事実だろう。大富豪と庶民の相対的格差そのものは厳然と存在していたことは間違いないが、経済成長で低所得層の生活が大きく改善されれば高所得層のそれより豊かさの体感効果は大きくなるはずだ。しかし資主義が資家による搾取を通じて必然的に格差拡大に結びつくというマルクス的な経済観が根強かった日の論壇やメディアでは、いかに

  • 保守派の観念主義化は自壊への道 - すなふきんの雑感日記

    ■[世相その他]保守派の観念主義化は自壊への道 産経新聞は靖国問題にしても対中関係にしても相変わらず強硬な方針らしく、この問題がこじれることによるビジネス上の具体的な支障を指摘すると即座に「国益よりビジネス=金儲けの方が大事なのか!」と「国益」を全面に押し出してくる。しかし一般の国民にとって何が最優先事項かというと間違いなくビジネス=金儲けであることは明白なのに、この新聞は一体何を考えているんだろうか?中国がこの問題を政治的に利用していることは確かだし、中国の恫喝に屈した形になることは主権国家としてあってはならないことだという主張はもちろんその通りだが、では国民の一部にあるような対中国交断絶にまでもっていこうとする非現実的な意見を後押しするような子供じみた態度を見せることが何の意味があるのか、これもさっぱりわからない。この新聞の論調を見ていると現実的な保守主義というより、何か観念的で倫理的

  • 疑問のタネは尽きません - すなふきんの雑感日記

    kechack
    kechack 2006/07/10
    私はこういう言説好き
  • 民主主義のご都合主義的解釈について - すなふきんの雑感日記