(以下は2004年に某会誌に書いた旧稿の再録) 0、はじめに 多摩田園都市と多摩ニュータウン、いずれも東京の西南の郊外に造られた10万人規模のニュータウンであり、ニュータウンの建設と前後して東急田園都市線、小田急多摩線と京王相模原線という都心への通勤路線が建設されたという共通の歴史を持っている。しかしながら、過去の建設計画の主体、および現在の都市構造は大きく異なっている。 多摩田園都市は民間企業の東京急行電鉄が主導して、土地区画整理方式で開発したものであるのに対して、多摩ニュータウンは政府の首都圏の住宅政策の一環として計画が行われたものである。また前者では都心への通勤客の動きこそ莫大であるものの、地域内に百貨店以下沿線の商業施設なども充実しているのに対し、後者では新宿へのストロー現象が著しく、多摩ニュータウン中央でさえ商業地域として完結しているとはいいがたいものがある。これらの相違点につい