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溜飲が下がるに関するkeiseiryokuのブックマーク (3)

  • 稀勢の里横綱昇進への異議: 星野智幸 言ってしまえばよかったのに日記

    稀勢の里の優勝、長い長い長い間の重圧を思うと、この安堵と喜びは、稀勢とともに落胆し続けてきたファンにしかわからないものもあると思う。入門時から横綱候補と言われてきたその才能と努力がようやく報われたことを心から祝福したい。稀勢の里関もファンの方もおめでとうございます。  しかし、それと横綱昇進とは別問題だ。私はただただ唖然としている。40年相撲を見てきて、こんな事態は初めてだ。  いくつもの問題が重なっているのだが、まず最も不可解なのが、どうして昇進できるのか、その基準が明確に示されていない点だろう。昨年の年間最多勝であること、安定した成績や優勝争いの多さ、優勝次点の多さなど、理由はいくつも挙げられているが、問題はそれらの成績は今まで横綱昇進の条件として顧みられたことはほとんどない、ということ。  横綱昇進の基準は、1987年の双羽黒の廃業以前と以降とで分けられる。双羽黒(北尾)の廃業以降は

    keiseiryoku
    keiseiryoku 2017/01/26
    ほんそれ案件/《綱取りのかかった場所という重圧の中で、連続優勝できるかどうかを見ることは、横綱審査の重要な一要素》
  • 武術としての太極拳/太極拳はどう戦うのか第二回

    私は、格闘技と伝統武術のいずれが強いか弱いかを論じるつもりはない。 いや、そもそも誰が強い、何が強い、どちらが強い、というようなことに興味もない。 この時代にあっての一般的な伝統武術の存在意義とは、物騒な世相に対応できる自衛手段という意味もあろうが、その真の価値は、家庭や教育が崩壊したためにすっかり失われ、過去の遺物となったように見える、個人が絶えず自省内観できる精神性と、人間性の高みへ向かって成長していける日々の修養・修練のシステムが、確かなものとして残されているということに他ならない。 その根を差し置いて、表面的な技巧だけを身に着けるための武術をどれほど追い求めようと、 そこで得られる「強さ」など、高の知れたものに過ぎないと思う。 それに、強い弱いなどというのは、様々な意味において各々の個人的な問題であって、人が追求する武術とは何の関係もない。小次郎と戦って武蔵が勝ったからといって

    keiseiryoku
    keiseiryoku 2015/03/26
    スポーツ格闘技と武術の違いについて。こうして平易に言語化できるところがすごい。
  • 有給休暇は当然の権利です | 100% Pure NEET

    『異議あり! 有給休暇 – 守井 嘉朗』という記事があった。 僕は経営者として以前から疑問に思っていることがあります。それは有給休暇という制度に対してです。 お勤めの方と経営者側ではそもそも180度見解が違うものですが、僕にとってはこの有給休暇ほど、不思議な制度はありません。 なぜなら、「働かないのに給料がもらえる」ということと、それが「労働者の当然の権利」と言われていることに対して、率直に「ありえない」と思うからです。 自分が経営者であることを書いた上でこのようなことを言うのは「私はバカです」と言っているに等しい。なぜなら、「働かないのに給料がもらえる」のではなくて、給与なり人的リソースの配置は有給休暇を前提として決めなければならないものなのに、それをしていないばかりか、自分が無理解であることをネット上で吐露しているからだ。 単純な話をすると8人の人が必要な職場を8人で回してはいけない。

    有給休暇は当然の権利です | 100% Pure NEET
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