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詩に関するkeiseiryokuのブックマーク (64)

  • ろぼだもの(連作15首) | 中で出すのが愛なのか

    ろぼだもの       佐々木あらら 右あしの次に出すのは左あし 歩く秘訣をやっと見つけた 不細工な顔立ちなのでマックよりウィンドウズに共感します 「いい帽子ですね 似合っていませんね」わたしは嘘がつけない仕様 慎重によけて進むかミサイルで一掃するか迷う人ごみ ヤオハンで赤い自分とすれ違う 三倍速く動ける奴だ 群がってくる少年よわたしにはコントローラはついてないのだ 公園に住んでる人が丁寧に教えてくれるセとパの違い 美しい虫を見つける……(検索中)……ほほう あなたは「ごみむし」ですか いつもよりマニピュレータを速く振る 君が何度も振り返るので 夕焼けを見ていたらまた瞳から冷却液が漏れる不具合 「さくらや」にいる新品がわたしより白く賢くおまけに安い 死ぬことは恐ろしいです リサイクルできるパーツが少ないのです 道ばたで電池が切れて立ってます 背中にセミもとまっています 人間になったつもりで

    ろぼだもの(連作15首) | 中で出すのが愛なのか
  • finalvent's Christmas story 7: 極東ブログ

    KFFサンタクロース協会にいくつか裏の顔があることは知っている。SEつまり「サイエンティフィック・エンカレッジメンツ」もその一つと言えないこともない。科学教育普及の看板を掲げているが、当にそれだけが目的なのか。しかしマリーからSEの支援に行ってほしいという話が夏にあったとき、とりあえず引き受けることにした。その日がクリスマスなのも気がかりだった。 支援先は、カイロにある英国国教会系のスクールで開催される講演会である。主役は2002年にノーベル生理学・医学賞を受賞したシドニー・ブレナーと、その弟子にあたるサミュエル・ショルマンという若い学者だ。彼もブレナーと同じヨハネスブルグ出身とのことだった。ブレナーの講演は以前一度聞いたことがある。非常に面白かったが、今ではもうけっこうなお年のはずだ。 10年前と代わり映えのしないカイロ空港に着いてみると、ブレナーは出席できないとのメッセージが入ってい

    keiseiryoku
    keiseiryoku 2012/12/26
    《生命が生きるためにセックスをして死を受けれたのではないですか?》 ならばその瞬間に悪は生まれようとし生まれるために善という対極を導いただろう。善悪という双生児は生と死によって作られた(=分化)形だ。
  • BLEACHの作者久保帯人先生の言語センスって素晴らしいよな : 腹筋崩壊ニュース

    Posts : 2012年12月11日 12:15 Category : 漫画    面白い  Comments : 0 Tag :  BLEACH ポエム センス Social : Tweet ____                 /   u \         /  \    /\    僕は ついてゆけるだろうか     /  し (>)  (<)\       | ∪    (__人__)  J |      \  u   `⌒´   /       ノ           \    /´               ヽ      l                        ____              /      \           /  rデミ    \  君のいない世界のスピードに     /     `ー′ でン \      |     、   .ゝ

    keiseiryoku
    keiseiryoku 2012/12/12
    《絶えず自壊する泥の人形 》とかストライクすぎる。
  • 俳人死亡かるた 「俳句とはお茶のボトルのあれですか」 - 蟹亭奇譚

    デザイナー、IT、研究者、記者… 業界愚痴綴る「死亡かるた」が大流行 : J-CASTニュース 「死亡かるた」なるものが流行っているそうなので、ちょっと作ってみました。 前書 かるたにしてはちょっと長いんですが、俳句っぽく五七五にしてみました。(破調、字余りもあります。) Twitter で「#俳人死亡かるた」というハッシュタグをつけて作ったものなので、何人か参加して下さった方もあるのですが、以下は僕のツイートのみとなっております。 死亡しかけたので「ゐ」と「ゑ」はありません。 五七五だし、ほとんど季語も入ってるのですが、基「あるあるネタ」なので、どちらかというと川柳にちかいものになっています。 「この程度では死亡しない」というご意見もいただきましたが、僕は何度も死にました。 俳人死亡かるた(可児編) あ 「秋深しあと二十句を今日中に」 い 「いつも同じ場所を添削される秋」 う 「梅擬清

    俳人死亡かるた 「俳句とはお茶のボトルのあれですか」 - 蟹亭奇譚
    keiseiryoku
    keiseiryoku 2012/10/30
    《や 「山さへも粧ふといふのにお前らは」》
  • BLEACHの巻頭ポエムは素晴らしいので順番にはってく : あじゃじゃしたー

    1:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/06/27(水) 21:25:16.86 ID:eX/dhvSXP 我等は 姿無き故に それを畏れ BLEACH1 THE DEATH AND THE STRAWBERRY (黒崎一護) 3:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/06/27(水) 21:25:48.44 ID:oU+tKMaN0 オサレだな 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/06/27(水) 21:26:20.25 ID:sdoBr6IK0 この頃は面白かった 7:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/06/27(水) 21:26:24.78 ID:iyj760Dn0 超期待 10:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/06/27(水) 21:27:00.70 ID:sdoBr

    keiseiryoku
    keiseiryoku 2012/06/28
    正味ねえ、センスあるよねえ。だからこそオリジナルか疑わしいw/こういう感じの言葉で各章を締めくくる小説がチャンドラーの『長いお別れ』、クールだぜぇ。例)《さよならをいうのはわずかのあいだ死ぬことだ》
  • オカルト自由律俳句 - 蟹亭奇譚

    貞子のビデオテープ巻戻し再生する この家だけ雨降り 幼き日に見たのと同じ森ガール 遠足の一人増えてる帰り道 曽祖父の卒業写真唄ひ出す夜 墓の後ろから抱きつかれる 廃校からオルガンの音が聞こえる このトイレ叩くと中から叩くのよ三年前から

    オカルト自由律俳句 - 蟹亭奇譚
    keiseiryoku
    keiseiryoku 2012/06/11
    《遠足の一人増えてる帰り道》/これは面白い!
  • 名詩の林

    名詩の林◆出身別 ◆1960〜 ◆参考リンク ◆没年順 北村透谷  1868-1894 永野用無  1877-1898 ■1900-1919 大西 祝  1864-1900 松岡荒村  1879-1904 末吉安持  1887-1907 国木田独歩 1871-1908 山川登美子 1879-1909 表 棹彰  1891-1909 大和田建樹 1857-1910 大塚楠緒子 1875-1910 一色醒川  1877-1910 大塚甲山  1880-1911 前田翠渓  1880-1911 渡久山水鳴 1884-1911 石川啄木  1886-1912 大貫晶川  1887-1912 岩崎 正  1886-1914 平木白星  1876-1915 田中恭吉  1892-1915 草野民平 1899-1915 夏目漱石  1867-1916

  • 【ご注意】佐々木あららが載っているのは「小説すばる」です。 - ねこの森に帰る ―雑なほうのササキ―

    2011年12月17日発売の雑誌「小説すばる」に、このブログの作者であるところのササキのエロ短歌が掲載されているのですが、いろいろと誤解されている方も多いようなので、ここで整理してみたいと思います。 まず、ササキが載っているのはこれではありません。 これはスバル・インプレッサです。ササキは免許を持っておりません。 また、ササキが載っているのはこれでもありません。 これは曽田正人先生の漫画です。もう連載は終了しておりますし、ササキの運動神経では花笠音頭を超えるハードなダンスパフォーマンスはできません。 また、ササキが載っているのはこれでもありません。 これは「昴」を歌い終わった後の満足そうな谷村新司です。清水アキラでもありません。ササキに期待されているのは顔面セロテープ芸ではなく短歌だそうです。(ただし、編集部の意向で「ササキさん、次号は顔面セロテープで行きましょう!」というのであればいつで

    【ご注意】佐々木あららが載っているのは「小説すばる」です。 - ねこの森に帰る ―雑なほうのササキ―
    keiseiryoku
    keiseiryoku 2011/12/16
    谷村新司で笑ってしまった。/あれ、あっちのすばるじゃなかったのか、勘違いしていた。
  • 坂のある非風景 ザ・インタビューズ(3)

    Author: M ペンを折ることさえ、ここではもう「別の手段による詩の継続」を意味しているにすぎないという宿命に、それからも耐え続けた。 freezingm▽gmail.com ■死後、わたしたちはどこへ行くと思いますか? 古代インドの思想であった輪廻転生をいかにして破壊するか、 それが仏教の中心思想だったわけですが、そこで「死後」が生まれました。 死後は、死を生に繰り込むことで死を乗り越えようとする考え方ですし、また、 生きていることは死ぬことでは完結できないという「生きる」ことの欠落を物語っているように感じられます。 生物的な死がくる前に象徴的な死がやってくると、ひとは廃人となって生きつづけます。象徴的な死よりも先に肉体の死があったとき、ひとは亡霊となって行き別れたひとの心の中で生きつづけます。これが重なることのないふたつの死です。すべての死は遅すぎるか早すぎます。 そしてひとは、ひ

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    keiseiryoku 2011/11/01
    《空を見上げてしまうのがうつむく青年の宿命ではないでしょうか》
  • 俳句について考えていること - 蟹亭奇譚

    最近、当ダイアリーは俳句ブログになりつつあるのですが、僕は俳句に関しては全くの素人です。 俳句を始めたのは15年前。友人と東北を旅行した際に筆記用具を持ち歩き、移動中にちょこちょこ詠んだのが最初でした。詠み始めたら面白くなってしまい、旅行中に撮った写真の枚数より詠んだ句のほうが多かったのを覚えています。 しばらくブランクがありましたが、数年前に旧ブログで句会を催したのがきっかけで、俳句を再開しました。パソコンや携帯で詠む俳句は下手くそですが、その時その場所で見た風景をスナップ写真みたいな感覚で切り取ることができて、楽しいものですね。 さて、俳句の詠み方について、自己流ではありますが、少しずつ僕なりの考え方が出来つつありますので、以下書き出しておきたいと思います。現時点での考えですので、過去の自分とは違いますし、これからも変化していくものだと思ってください。 具体的な風景、情景を切り取るよう

    俳句について考えていること - 蟹亭奇譚
    keiseiryoku
    keiseiryoku 2011/10/29
    楽しそう。/季節を感じると詠みたくなる。
  • 坂のある非風景 ザ・インタビューズ(2)

    Author: M ペンを折ることさえ、ここではもう「別の手段による詩の継続」を意味しているにすぎないという宿命に、それからも耐え続けた。 freezingm▽gmail.com ■好きな花を教えて下さい。 花といえば展望台に立って、彼女がゆっくりとこの場所をめざして登ってくるのを見ていましたが、ふと道の曲がるところで屈むと野花を手に取った、それがシロツメクサでした。 けっきょく展望台は工事中で、私たちはその坂をふたりで下ったのですが、そのシーンはまったく覚えていません。 シロツメクサを摘んだ、それだけなのです。私が先に来ていて、登ってゆく姿を見られていることをもちろん彼女は知っていたのです。もちろんそのシロツメクサは、私にその姿を見せるために彼女に摘まれることを知っていたのです。 シロツメクサがいつ咲くのか知ってしまうと、私はそのデートがあった季節を知ってしまうでしょう。季節などがあった

    keiseiryoku
    keiseiryoku 2011/10/11
    詩(を作り続けるコツ)とは習慣ではなく反復、というのが興味深い。/《わざとぐるぐると回って森を抜けだそうとする試み》プーさんもやってたな。
  • 坂のある非風景 ザ・インタビューズ(1)

    隆明を介して出会う吉隆明 JAP on the blog(09/06) その亡霊、その模倣 miya blog(08/22) 中上健次は語る 南無の日記(08/11) ブランショを月明かりにして歩く 愛と苦悩の日記(01/21) 作品は過大評価を求めつづける 青藍山研鑽通信(12/01) 十一月の白さは、その白さに尋ねなければならない M’s Library(11/09) 十一月の白さは、その白さに尋ねなければならない 僕等は人生における幾つかの事柄において祈ることしかできない(11/07) 停滞すべき現在さえ 斜向かいの巣箱(10/22) 東京旅行記 #4 azul sangriento(09/23) 東京旅行記 #1 南無の日記(09/21)

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    keiseiryoku 2011/10/04
    《言葉は音楽の死後を生き始めました。》《歌は同時に生きられなかったふたりの夢の続きです。》
  • 坂のある非風景 忘れられない記憶のほとんどは思い出せない記憶でできている

    対岸には違う私と違う生活があるだろうか。でもそれは思い出せない過去とどこが違うだろう。 違う私は、けっきょくただの「違わない私」にすぎないことを私は知っている。おそらくそれが対岸に渡れない理由なのである。 昨日思った「あらゆるものはあるがままに見えない」が思い出せない。仮に「あらゆるものがあるがままに見えない」ならはたして嘘に意味があるだろうか。 だれかの「汚い嘘」という言葉に立ち止まるのは、まるで「美しい真実」があるかのように思えたからだ。実際は、汚い真実を隠そうとする美しい嘘があり、その当たり前な隠蔽工作が醜悪なだけである。 1940年代末のある日、ケージはハーバード大学の無響室を訪れた。ケージは「無音」を聴こうとして無響室に入ったが、彼が後に書いたものによれば、彼は『二つの音を聴いた。一つは高く、一つは低かった。エンジニアにそのことを話すと彼は、高いほうは神経系が働いている音で、低い

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    keiseiryoku 2011/09/19
    《だれかの「汚い嘘」という言葉に立ち止まるのは、まるで「美しい真実」があるかのように思えたからだ。実際は、汚い真実を隠そうとする美しい嘘があり、その当たり前な隠蔽工作が醜悪なだけである。》
  • リア充五七五したら誰かがぼっち七七するスレ : まめ速

    1:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/09/04(日) 21:37:07.13ID:FkBG0TlO0 和の心をVIPに。 7:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/09/04(日) 21:53:44.56ID:YYpiRbv8O 友達と 浴衣で縁日 花火大会 8:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/09/04(日) 21:57:34.91ID:WzsHBvb70 開かれてた事 mixiで知る 9:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/09/04(日) 21:58:54.13ID:yL1focs/0 夏が来た 海にキャンプに 夏祭り 12:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/09/04(日) 22:01:03.96ID:KhZT0sGQ0 リア充片目に 俺は夏コミ 15:以下、名無し

    リア充五七五したら誰かがぼっち七七するスレ : まめ速
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    keiseiryoku 2011/09/10
    視点が180°ぐるりと変化する、この快感!
  • ジャバウォックの詩 - Wikipedia

    「ジャバウォッキー」はルイス・キャロルの詩作品について説明しているこの項目へ転送されています。その他の例については「ジャバーウォッキー」をご覧ください。 この記事のほとんどまたは全てが唯一の出典にのみ基づいています。他の出典の追加も行い、記事の正確性・中立性・信頼性の向上にご協力ください。 出典検索?: "ジャバウォックの詩" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2017年7月) ジョン・テニエルによるジャバウォック 『ジャバウォックの詩』(ジャバウォックのし、Jabberwocky )は、ルイス・キャロルの児童文学『鏡の国のアリス』で記述されたナンセンス詩である。『ジャバウォックの詩』は、英語で書かれた最も秀逸なナンセンス詩であると考えられている[要出典]。 この詩では、ジャバウォックと

    ジャバウォックの詩 - Wikipedia
    keiseiryoku
    keiseiryoku 2011/09/03
    Wow , it's a jabberwocky ! /さすがにブクマされてるなぁ。/ナンセンスすぎていつも覚えられないのだが、なぜかジャブジャブの名前だけは覚えている。
  • 届け この想い | 今日も脳天気

    君にまた会えるのを 楽しみにしていたんだ なのに 9年の月日が君を変えてしまった 当に 君が好きだった 待たせるのは いつも君の方だった でも 君のためなら 待つことすら喜びだった あの頃の君に会いたい たとえ総理大臣が何度変わろうと 君だけは変わらないと信じていたのに あの頃の君は もういない 誰だって変わるものよ 昔よりさっぱりしたでしょ 違う そんなのは 君じゃない 君が目の前を通り過ぎる時の あの芳醇な香りが忘れられない 永遠になんて言わない 一度だけでいい あの頃の君に 戻って欲しい 届けこの想い あの山と海と太陽の彼方に いつか願いが叶う その日まで 2011/08/09(火) 23:43:08| 未分類 | トラックバック:0 | コメント:7 | | ポエムのふりして「この動物は何か」という問題ですね。 パンダ・・・芳醇な香りね~~あっスカンク・・・ 違うか~~~ 昔より

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    keiseiryoku 2011/08/10
    くどい味の懐かしさ。/一度失われたものは、二度ともとには……
  • 坂のある非風景 昼は明るい夜にすぎない

    表題の元ネタは「ぼくは夜明けなんて信じてないの。あるのは明るい夜だけ。」という@_tokeru_氏のツイートだが、たしかに春はあたたかい冬だし秋は涼しい冬にすぎない。では夏は暑苦しい冬だと言えるだろうかとすでに半日くらい考えているところだ。 希望にまみれた昼を拒否して〈その夜〉、どこからも去ってしまったひとを、もうここにしかいないと胸を指さした人と語り合った。〈その夜〉、愛はただ欲望によってたしかめられようとしていたし、〈その夜〉、足りない言葉がさらに足りない思いを作り出していた。 悪趣味は犯罪に通じると言ったのはスタンダールだったが、それを踏まえて戦争は悪趣味すぎると言ったのはセリーヌである。犯罪に通じる悪趣味はまだ犯罪ではない。それはいったいいつ犯罪となるのか。いつか犯罪になるようなものだろうか。原発事故は悪趣味である。 そのセリーヌは医者でもありこういうことを言っている。「現場では、

  • 坂のある非風景 カタロニアの光と影

    吹いていた風に吹かれている。私がもし音楽について語ったらそれは口を滑らせたからだ。忘れるために語ったわけではない。記憶に留まることを妨害する何かがこのときも口を滑らせる。 音楽についてはほとんど知らない。音楽に没頭しないために、あらゆることを試したと言いたくなってしまう。実際、バッハを聴きながら目を閉じると、涙が流れ続けた。この感じは「もう私には過去しかない、それなのに過去はない」という言葉が生まれるときの感じと似ている。バッハは神に至る道を示している、それゆえにわかる。引き裂かれる悲しみの根源にある過去の不在とは、おそらく神の不在である。 目を開かなければならない。ソプラノ歌手の美しい横顔に見惚れて、音楽に没頭してはならない。 止んでしまった雨にまだ降られている。カタロニア民謡はどれも「荒城の月」のように聴こえた。太田哲也氏の過激な編曲で「荒城の月」はぎしぎしと音をたてていた。民謡が民謡

    keiseiryoku
    keiseiryoku 2011/05/15
    《吹いていた風に吹かれている》/《止んでしまった雨にまだ降られている》
  • 坂のある非風景 何も待つまい、何も持つまい

    石原東京都知事が震災に関して「天罰」発言をしたことにしばらく立ち止まった。フーコーによれば18世紀、糧難に対する政治的態度は二種類の形式をとったという。ひとつは「不運」と呼ばれるギリシャ・ローマ的概念、もうひとつが「罰」だった。 「不運」は自然に対する人間の無能力を確認するための概念ではなく、自分の政治的失敗を受け容れるときの政治的権力者のためにあった概念だとされる。政策が失敗したときに自らの不運を嘆く責任放棄のための方便というより、権力が責務を負うときに必要な形式だった。ただしそこには幸運というものはない。 さて「罰」である。「罰」は人間を悪とみる、ひとつの道徳観からもたらされる。これこそが倫理的というより政治的な概念だった。なぜ人間を善か悪でとらえなければならなかったのか、そこには政治的な強大な権力を道徳によって抑制しようとする意図があったとされている。絶対的な政治的権力に「やっては

    keiseiryoku
    keiseiryoku 2011/04/12
    《いずれにせよ、幸運のない不運、善のない悪といった対義語をうしなった言葉が、厭世的な政治性だけをまとって現在にまで延命している。 》
  • さよなら僕のパステルズバッジ - 僕等は人生における幾つかの事柄において祈ることしかできない

    骨身を惜しまず勉強する。そして頭でっかちにならぬよう手を動かす。身体を動かす。 当たり前のことを、ちゃんとやってみようと思う。どこかの出世した女の人が「10年先のビジョンがないとダメ」と言っていた。私には10年先なんてわからない。わかっているのは「今日」は明日に続いてるということだけ。欲しいのはきっと「結果」じゃなく、小さな自信のようなもの。たくさんのものを失くしながら生きている。でもだからと言って、でもだからこそ、失くしたものを紙の左側に書いて、得たものを右側に書いて、それを眺めているような生き方はしたくない。したくないんだよ。

    keiseiryoku
    keiseiryoku 2011/01/30
    《私には10年先なんてわからない。わかっているのは「今日」は明日に続いてるということだけ。》