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psychologyとthinkingに関するkenjiro_nのブックマーク (35)

  • 【コロナ】怖がってくれない人たちについて|小野ほりでい

    今回のコロナ禍では、世界中で「どうしてそうなるの?」と疑問に思うようなできごとがたくさん起きていますね。記憶に新しいのは、テキサスで「ウイルスはデマだ」と考えていた30歳の男性が罹患者と触れ合ういわゆる「コロナパーティ」に参加し、死亡したというニュース(付記:このニュース自体がデマではないかという指摘もあります)です。 人間は何らかのリスクに直面すると(生命でなく)精神を防衛するためにさまざまな策をめぐらすのですが、この性質についてよく知っておくと今起きていること、今後起こるであろうことに対する理解が深まるかもしれません。今から書く見方は仮定を多分に含みますが、身近な考える足がかりにしていただければと思います。 頑なにリスクを認めない人 さて、まず問題になるのはどんなに説得してもリスクを認めようとしない人々のことです。コロナは単なる風邪だとか、昔からある病気だから今までどおりに過ごすべきだ

    【コロナ】怖がってくれない人たちについて|小野ほりでい
  • <12>感情と理性のコントロールだけでは解決できない問題がある 「共感できない物事への向き合い方」考察 | 朝日新聞デジタルマガジン&[and]

    テロ・紛争解決の専門家で実務家でもある永井陽右さんが「共感」の問題点を考察する連載です。過去6回は思想家や哲学者ら各界の知識人を招き、多角的に議論を深めてきました。識者の意見に触れ、永井さんの思考にも変化が生じます――。 弱者との向き合い方も「人それぞれ」 これまで分野の異なる6人の方々と対談させていただき、「共感」について様々な視点から検討を重ねてきた。それらを通じて私が考えたことは大きく二つある。 一つは、連載の第1回から第5回で指摘したとおり、共感にはポジティブな面だけでなくネガティブな面が多数存在しているということだ。人は何かに強く共感したとき、視野が狭まりやすい。その延長線上に、共感できない相手に対する攻撃や排除といった暴力が顔を覗(のぞ)かせることもある。 私が共感を巡る大きな問題と考えているのが、この排除に近い行為だ。社会的支援を必要とする弱い立場の人が、世間から共感されな

    <12>感情と理性のコントロールだけでは解決できない問題がある 「共感できない物事への向き合い方」考察 | 朝日新聞デジタルマガジン&[and]
  • 事実はなぜ人の意見を変えられないのか|白揚社 -Hakuyosha-

    ★★★脳科学が解き明かす〈人の動かし方〉の極意★★★ 「銃規制などの議論を呼ぶ話題では、明らかな事実を提示することは、かえって逆効果になるという。書が指摘するとおり、頭脳が優れている人ほど、自説に合わない情報を自分の都合よく解釈してしまうからだ」(ニューヨーク・タイムズ) 「他人を説得するための優れた方法だと思っていたものは、いまや間違いであることが明らかになった。その誤りを正し、役に立つ助言を詰め込んだ書は、あなたの人生すら変えてくれるかもしれない」(キャス・サンスティーン〔『実践 行動経済学』著者〕) 人はいかにして他者に影響を与え、他者から影響を受けているのか? 教室や会議室といったリアルな場所からネット上のSNSまで、私たちはみな、毎日何かしらのかたちで他者に影響を与え、また受けながら生活をしています。 しかし、私たちはその重要な行為についてどれだけ自覚的なのでしょうか? もっ

  • 「線路を切り替えれば5人助かる、切り替えなければ1人助かる」いわゆる『トロッコ問題』に対する答えに熱い議論が交わされる

    とある高校教師S @hellohellock これを昔、授業でやったら「なぜ助ける必要があるのかわからない。俺は傍観者だから放置して5人が死んでも責任はない。でも切り替えたら俺の責任になる」と言った生徒がいて衝撃を受けた。確かにその通り。「5人の人に感謝されるメリットよりも、1人の遺族に責められるデメリットの方が大きい」と。 pic.twitter.com/BU9tmtMnMU 2019-04-11 17:58:53 とある高校教師S @hellohellock 彼はひねくれていたから敢えて俺を困らせようとした可能性は濃厚だけど、彼が気でそう思っていたのかはさておき、そういう意見が出てくる授業というのは「良い授業」だと思う。周囲も衝撃を受けていたけど、どう受け止めたのかは未知数。それが良い点であり怖い点でもある。授業はまさに生き物だ。 2019-04-11 18:03:14 とある高校教

    「線路を切り替えれば5人助かる、切り替えなければ1人助かる」いわゆる『トロッコ問題』に対する答えに熱い議論が交わされる
    kenjiro_n
    kenjiro_n 2019/04/15
    「0年代によく言われた決断主義への忌避」という解釈で合ってる?
  • Webライターを10年やっている僕が「SNSで傷つかない理由」

    SNSでひどいことを言われてショックを受けた」そんな話をよく聞きます。でも僕はあまりそういうことがないんです。顔出ししているWebライターなのでいろいろな言葉が飛んでくるのですが。 そんな僕の考え方をマンガにしてみました。ただ、考え方がわりと極端なのでほとんどの人には全然役に立たないような気がします。 ライター:斎藤充博 記事を書くことがどうしてもやめられない指圧師です。「ふしぎ指圧」を運営中。 Twitter:@3216/ライター活動まとめ マンガをまとめて読む(スワイプで次に進む) 「世界のどこかにいる誰か」に何を言われてもあんまりなんとも思いません。したがって、心が傷つくこともない、という感じなんです。世の中にいろいろな意見が存在して、その1つが表出してきた。それだけのことではありませんか。 ワールドニュースを観ると世界のどこかでは大抵ひどい事件が起こっていますが、それについて

    Webライターを10年やっている僕が「SNSで傷つかない理由」
    kenjiro_n
    kenjiro_n 2019/03/28
    過去記事もいくつか見たことがあったが、俺自身あるいは俺の考える平均的なネット民からは随分と考え方が離れているようには見える。
  • 人間はハックされる動物である

  • はてなで意味深なこと書くと勝手に自分のことだと思って噛みついてくる人がいておもしろい

    はてなで意味深なこと書くと勝手に自分のことだと思って噛みついてくる人がいておもしろい
    kenjiro_n
    kenjiro_n 2018/06/20
    物陰から人を嗤うな。それはさておき加野瀬さんが「あなたの自意識の当たり判定はどのぐらいですか?」 id:entry:10950030 という記事を書かれたのがちょうど10年前で少し驚いている。もう少し昔の話だと思ったのだが。
  • 頼むから静かにしてくれ

    成人した人間の最低限の処世術として、自分の感情を無闇矢鱈に他人にぶつけない、ぶつけてもどうにもならない、他人はコントロールできない、自分の感情のツケは自分が払うしかないって理解しなければ、社会生活は大変に難しい、と言う前提があると思う。 ところが、世の中には些細なことを粗探ししたり、小さなことで他人を恫喝したり、意識せずにモラハラを働くような(それこそ、「なんで私が怒ってるかわかる?」式の)人間や、逆に他人からの評価が自己評価に直結してて、他人からの承認を集めないと自分を保てない承認欲求モンスターたちが掃いて捨てるほどいる。こう言う人たち は何を考えて生きてるんだろう? 他人を支配したいと言う欲望を抱えているのか? 普通に考えて、自分と他人の精神は別で、他人の精神はコントロールできないなんて当たり前のこと、誰にでも分かりそうなもんじゃないか?自分と他人が未分化なのか?赤ん坊なのか?社会は赤

    頼むから静かにしてくれ
    kenjiro_n
    kenjiro_n 2017/07/13
    同意はしてみたいが大はホリエモンから小はチルド氏まで良くない感情をあおる人間がいる以上そういうのに対する対抗処置として感情をぶつけるのは許してもらえないかと思うことがままある。
  • 私が思う「心が弱い人と強い人のちがい」 - ニャート

    心が弱い人と強い人のちがい ある人が自殺したときに、「そんなことで死ぬなんて」と言う人がいます。 Aさんには「そんなこと」でも、Bさんには同じことが死ぬほど苦しい場合があります。 たとえば、身長148cmのきゃしゃな人と、身長190cmの筋骨隆々な人がいるとします。 どちらが肉体作業に向いていないかは一目で分かるでしょう。 そんなふうに、心が弱い人と強い人のちがいが一目で分かるといいなと思い、それぞれの心の許容量を入れ物にたとえてみました。 心が弱い人は、口は大きいのに容量は小さい、不安定な入れ物です。 同じ量の雨(つらいこと)が降っていても、心の弱い人の入口(感受性)は広いため、雨がいっぱい入ってきます。 なのに、容器(心の許容量)は小さいため、すぐにあふれてしまいます。 また、同じ量の雨でも、一つ一つの雨つぶ(つらい事実)の受けとめ方も、弱い人と強い人ではちがいます。 たとえば、「家族

    私が思う「心が弱い人と強い人のちがい」 - ニャート
    kenjiro_n
    kenjiro_n 2016/11/13
    ものを捨てられない俺だから生徒学生時代のいじめの復讐を果たさずに果たそうとしているのか、とも思った。
  • EQ(心の知能指数)が高い人に共通の10の資質 | ライフハッカー・ジャパン

    Inc.:世の中には私生活も仕事も限りなく成功し続けていくように見える人がいるのは何故だろうと思ったことはありませんか? もしかしたらそういう人たちはEQが高いのかもしれません。 心理学サイト『Psychology Today』によれば、「EQは自分や他人の感情を理解したり管理する能力」で、具体的には次のようなことが挙げられます。 感情の認識。自分の感情も他人の感情も認識できること 感情をうまく使って問題解決のような作業に適用できること 腹が立っても冷静になれるなど、自分の感情をコントロールできること 今回は、自分には高いEQがあるか知りたい人やEQを高める努力をして人生やキャリアで成功したい人のために、EQが高い人たちに共通の10の資質をご紹介しましょう。 1.完璧主義者ではない 完璧主義は、作業を完了したり目標を達成する際の妨げになることがあります。それは、なかなか腰を上げることができ

    EQ(心の知能指数)が高い人に共通の10の資質 | ライフハッカー・ジャパン
    kenjiro_n
    kenjiro_n 2016/04/13
    おれもEQが高くなさそうだという話に。
  • 「死にたい」と思う気持ちの違い

    健康な人でも仕事や学校行くのが嫌で「死にたい」と思うことはあると思うけど、その「死にたい」って思うのは、ただ「思っただけ」なんだろうか? 自分は今、心の病で休職している。 休職前はよく「死にたい」と思っていてた。 通勤中も、「今、道路に飛びだしたら死ぬかな?」や「あの高さのビルから飛び降りたら確実に死ねるかな」とぼんやり考えていた。 自宅にいても自殺の方法を検索したりしていた。 苦しくて、こころの健康相談窓口に電話したこともある。 二回話したことがあるが、正直、気休めに程度にしかならなかった。 なんでこんなこと書いてるかというと、もうすぐ復職するから。 幸いなことに今は「死にたい」なんて思わない。 心が健康なら「死にたい」とそもそも思わないのか、それとも思ったとしても自分の「死にたい」とは違うのだろうか。

    「死にたい」と思う気持ちの違い
  • 自分と違うモノ・コトに対して違和感を覚えるのは当たり前 - 発声練習

    Togetter:生徒から「片腕の人の授業は、気持ち悪いので聞きたくない」との声が出たとのこと、職場から連絡があった。その生徒より、その発言を平然と伝えてくる職場の方に腹が立った。にまとめられているつぶやきの中に「子供をこんな考えを持つ子に育てたくない」というコメントがあった。私もそう思ったのだけど、やり方によってはうまくない結果もでちゃうかなと思って、自分の考えをまとめてみる。 口からでる言葉と頭・心で感じていることは必ずしも一致していない このブログでも、大学で学生を指導するときにも「自分の言いたい事が相手に誤解なく伝わるように適切な言葉を使え!」と言い続けている。でも、これは科学の場を含むビジネスの場でのコミュニケーションを想定した話であって、私的な場でのやりとりは話は別。自分が何を考えているのか、何を感じているのかすら自分でわかっていない場合もある。 今も流行っているかどうかわから

    自分と違うモノ・コトに対して違和感を覚えるのは当たり前 - 発声練習
    kenjiro_n
    kenjiro_n 2016/01/06
    そういうのってある種コミュニケーションでの大原則みたいな話だとは思うのだがなあ。
  • 執着を捨てる。良いできごとにだけ目を向ける。 - インターネットの備忘録

    大人になってからできた親友がひとりいて、彼女と話しているといろんなヒントをもらえるんですが、最近したのが「執着」についての話。 執着のネガティブサイクル 仕事でも人間関係でも、執着しだすと何もかもうまくいかなくなる、という話をしました。何かにこだわって、絶対に手放したくない、優秀だと思われたい、あいつに負けたくない、と思えば思うほど、 身体が緊張して空回りして、自分の良さが出なくなる。 仕事のポジションとか、持ってるプロジェクトとか、「これを誰かに奪われたくない」と思ったり、失敗にいつまでもこだわったりしていると、どんどん身体がこわばって、気持ちも固く、重くなってしまう。 重く固い思考はその人の表面に現れて、重く固い人になってしまって、結果、人が寄ってこなくなって、自分の首を締めることになる。 執着を手放す 人はやっぱり明るくて軽やかな人が好きだから、そして仕事も情報も人に乗ってやってくる

    執着を捨てる。良いできごとにだけ目を向ける。 - インターネットの備忘録
    kenjiro_n
    kenjiro_n 2015/02/15
    いじめなどの人間関係の被害者としての人生を生きさせられる人間に届く言葉ではないようにも思える。
  • 自分を「肯定」することと「正当化」することは違う - 生きづらいふ

    このあいだ、過度な自己否定はよくない、ということを主張した。 自己否定なんか今すぐやめた方がいい、とりあえず現状を肯定してみることからすべては始まる 自己否定しまくって、気分が落ち込んでなにもできなくなるくらいなら、とりあえず現状を肯定してみて、それから対策を考えた方がいいよ、ということを書いた。 だから最近は、無為に自分を否定するのではなく、なるべく自分を認めてやろうと意識しているのだが、「ちょっとこれは違うのかな」と思うときがある。それについて少し話をしたい。 僕はなるべく自分を認め、受けいれていこうと意識している。ダメな自分。クズな自分。やる気のない自分。頑張れない自分。怠惰な自分。などなど。これらすべてを受け入れ、肯定しようと意識している。 だが、ダメでクズでやる気がなく、頑張ることもできず怠惰な自分を肯定したところで、それは単なる「開き直り」なんじゃないか、という疑問が湧いてくる

    自分を「肯定」することと「正当化」することは違う - 生きづらいふ
  • はてなブログで引退発言をする人の特徴

    ・自意識過剰な人は、テキストサイト時代に活躍したが、 はてなでは流れ星のように去っていく。 他者の視線が可視化されすぎて、かつコメントまでつくことが原因ではないだろうか。 こう書くと、はてなはメンヘルの巣窟でネガコメや呪詛ばかりだからな、というXMENを思い出すが 私は実際に問題になるのは、実はネガコメではなく、承認の方であると考える。 「いいね!」以上の具体的な承認は書き手を確実に変容させてしまう。 ・はてなブログで引退発言をするような人間は基的に文章くっそながい。 どうでもいいことやピントがズレたことをものすごいコストかけて書く。 ひとことでいうと自意識過剰。だからこそ傍目で見ている分には面白い。 ・このテの人間は否定されてることには慣れているというか自虐大好きだ。 普段から基的にネガティブな発言が多い。 だからこそネガティブなコメントを常に呼び寄せるが、同時に耐性は実は非常に高い

  • 「あなたを大切にしない人のことを、あなたが大切にする必要はない」 - インターネットの備忘録

    タイトルの通りだなということを最近実感しており備忘。 これは「優しくしてくれない人には優しくしなくていい」というわけではありません。 前提として、「ひどいことをされてもつい後ろめたさから相手に尽くしてしまう」みたいなわたしの悪しきパーソナリティがあるのですが、この言葉の意味するところは、「相手と自分が対等な関係を保てているときにのみ、その献身は発揮されるべきである」みたいなことだと理解しています。 この言葉をくれたのはカウンセラーさんで、親子関係を中心とした人間関係のバランスについてフラットにアドバイスしてもらい、とても救われました。ちょっと話が逸れますが、カウンセリングはひところ毎週通っていて、友人に対して日々の愚痴を逸脱するようなドロドロした部分をぶちまけるのは相手の負担になるし、そもそも友人にだって毎日の暮らしがあって、ストレスや問題があるわけで、わたしのドロドロを押し付けるわけには

    「あなたを大切にしない人のことを、あなたが大切にする必要はない」 - インターネットの備忘録
    kenjiro_n
    kenjiro_n 2014/09/09
    よくわからない。それこそ反省会の面子は他人を大切にしないような人々ではないのか。それとも自分は大切にしてくれるからそれでよし、という考え方なのか。
  • 集合知が衆愚になるのはバイアスが原因、そして衆愚化するのを防ぐ方法

    by Sreejith K 集団から得た意見は専門家1人で出した答えよりも正解に近づくという「集合知」の存在が知られていますが、一方で、集団心理によって人は「衆愚」となり愚かな行動を起こすこともあります。集合知ではなく衆愚になってしまう時には何が起こっているのか、そして衆愚にならないようにするためにはどうすればいいのかが、研究によって明らかになっています。 Forget the Wisdom of Crowds; Neurobiologists Reveal the Wisdom of the Confident | MIT Technology Review https://www.technologyreview.com/2014/07/14/172082/forget-the-wisdom-of-crowds-neurobiologists-reveal-the-wisdom-of-

    集合知が衆愚になるのはバイアスが原因、そして衆愚化するのを防ぐ方法
    kenjiro_n
    kenjiro_n 2014/07/16
    しかし日本のWeb論壇だとちきりんさんやホリエモンや池田信夫氏のような無責任なアジテーターが跋扈するという次の問題があるわけで。
  • netcraft氏に心から忠告したい。どうか聞いて欲しい。

    netcraft氏、オフ会を準備している方々に、どうか聞いて欲しいことがある。当は増田ではなく自分のブログでやるべきなのだが、そうすると、自分の過去も掘り返されてしまいそうで怖い。すまない。さて、自分が言いたいのは、netcraft氏がどれだけ崇高な理念のもとにオフ会を開こうとしても、周りにそれを台無しにしようとする輩がいるということ。例えばだ、もし何事もなくオフ会自体は終わったとしてもだ、後で必ず人間関係のトラブルは起きる。男が女にしつこくメールしただとか、誰々がその後ホテルに行っただとか、メンヘラに群がる男たちがいたりだとか、そのメンヘラがリストカットしただとか、そういうことは大規模なオフ会をすると必ず起こることなんだ。今だってそうだ。netcraftさんは純粋な親睦会をするつもりでも、外野はやれオフパコだ、やれ女は来るのか、やれmeerkatのトラブルだ、酷いものだ。そういう輩がオ

  • スルースキル|dr.karigari|note

    kenjiro_n
    kenjiro_n 2014/06/13
    どうでもいいことにかかわらない「スルー力」の印象が強いので自分への害意をなかったことにするこの手のケースには別の語をあててほしいとも自分は考えている。
  • ネットでは、給湯室談義が権力を帯びるようになり、ワイドショー人間が権力者になる - シロクマの屑籠

    昨日の続き。 これまでの社会では、ほとんどの人間がワイドショー的なお喋りに耽っていようとも、たいして問題になることはなかった。 もともと人間は、ある程度までワイドショー的だ。給湯室談義も、床屋談義も、居酒屋談義も、かしこまって専門的に喋るわけでも、責任を意識しながら喋るわけでもない。学術的な正確さよりもゴシップや醜聞に惹かれ、下世話な話題に相槌を打つ――そうした泡のような言葉は、歴史が始まって以来、無数にわき起こってきたし、これからもわき起こるだろう。 問題は、そうした給湯室談義、居酒屋談義的なものが、インターネットでは泡のような言葉として消えてしまわず、ときには権力や強制力を帯び始めるって点だ。 素人同士のワイドショー的会話は、来はたわいもなく話され、たわいもなく忘れられていくものだった。純粋な話し言葉だった頃のワイドショー的会話は一過性の度合いが強く、まさに泡のような存在だった。 そ

    ネットでは、給湯室談義が権力を帯びるようになり、ワイドショー人間が権力者になる - シロクマの屑籠
    kenjiro_n
    kenjiro_n 2014/03/19
    びっくりするほど何も書いてなくて期待外れのエントリ。いや、処方箋を(あえて?)示さないのは熊代氏のエントリの特徴だからこういう展開になるのは予想しておくべきだったか。