おねだり、というものが苦手だ。 男に媚を売ってプレゼントをもらったり、おごってもらったりすることはポリシーに反する、とずっと思っていた。だから彼氏とはいつも割り勘。 そういうのを求める女は図々しいし下品だし、そもそも「かわいらしい女でいる」ことの対価としてそういう扱いを受けるのであれば、可愛げのない私がそんなものを望むのは身の程知らずというものだろう。 それに、愛は金額じゃないっていうでしょう? でも。でもね。 付き合う前から、お菓子食べたいとか言われたらしょうがないなーとか言って作ってあげたりしてた。旅行へ行くとお土産買ってきて!と言われるのでいつも買ってった。 別にお礼目当てでやってたわけじゃないけど、こないだのお礼ーとかいってちょっとしたコンビニ菓子とかでも買ってくれたり、喫茶店入った時に今日は払うよーとかしてもらったらうれしいじゃないですか。 そういうのないと寂しいじゃないですか。
「お箸は何本、お付けしましょうか?」 // いつか電池がきれるまで 大好きなid:fujiponさんのこの記事を、面白く読んだ。 まあ、その店員さんに「箸は『本』じゃなくて、『膳』ですよ」なんて物知り顔で言うのは論外だとしても、間違っているとわかっていることに「おつきあい」してしまっても良いのだろうか? さりげなく「二膳お願いします」と返すべきだろうか。 ここは黙って、指を二本立てる、なんていうのもひとつのやり方ではあるのだろうけど、それはそれで、何かしゃべれない事情があるのか?などと勘ぐられるのも不本意だ。 うーむ。 これは、レジの従業員には見えないお客さんの心の中、だよね。 ネットって面白い、って思うのは、いろんな立場の人が、それぞれの個人的な考えを文字にしてるから。 私は、お箸の数え方が「1本」なのか、「1膳」なのか、っていうことより。 レジの接客に、お客さんがそこで何を感じてるか
むかし、インターネットがブログでも web サイトでもなく、ホームページだった頃…。たとえば「私のホームページへようこそ」「自己紹介」「猫の写真です」「自作の詩です」「ゲストブックです」「リンクの冒険」「画廊伝説」等々の文字列が踊っていた時代。を、踏まえた、そのひとつあとくらいから、管理人プロフィールのページに「table で組んだ自作 PC のスペック表がある」「「好きな〇〇」項に対応する「嫌いな〇〇」がある」らへんはオタサイトのありがち要素として認識されていたようなかんじだ。PC スペックは「プロフィールに載ってる情報として、あっても困らんけど他人からすると読む価値があんまりない、人物を推し量るためのヒントとして有効でない、管理人自身が「その表をメンテする行為」のやり甲斐だけで置いてあるもの」という部分から、垢抜けないかんじがした。「嫌いな〇〇」はー、主張としての是非は場合によるけど自
1. はてなブックマーク - otsuneはネタだから許されるという風潮 私が「どうでもいい」と判断することを「大問題だ!」と騒ぐ人(Aさん)がいたら、「そりゃおかしいだろ」といいたくなるのは自然なことだ。そのとき私が問題視しているのは「瑣末なことをことさらに問題視して大騒ぎすること」であって、Aさんが問題視していたことは「どうでもいい」ままである。 「どうでもいいことならスルーするのが自然」とかいって反論した気になってる人は、日本語の能力か、論理を把握する能力に問題がある。 2. 例え話を試みる。 裁縫糸をハサミで切るとき、糸に斜めに刃を当てるか、垂直に当てるかで悩んでいる人(Bさん)がいたとする。斜めに切る方が針に糸を通しやすい。しかし糸がほつれやすくもなるから、素直に垂直に切る方がいいかもしれない。それに対してCさんが「どちらでも大差ない。どうしても気になるなら、両方試せばいいだけだ
実は少し前まで三年ぐらいはアメブロを使ってた。 そのうち二年半ぐらいはダラダラ書いてたから、熱心な読者もいなかったし、コメントも集まらなかったんだけど、最後の半年ぐらいは結構本気で更新してたから一気に読者も増えて、記事ごとにコメントも集まるようになってた。最初はその状況がうれしかったんだけど、徐々に違和感を感じるようになってきた。 アメブロの空間って基本的に「肯定」しかなかった。 アメブロのコメントってFacebookの「いいね!」と一緒で基本的に肯定から始まる。 よくよく考えたらそうなんだけど、アメブロって芸能人ブログが主体でエンターテイメント性が強く、個人で使ってる人たちも「自分の考えを書いて発信する」というよりも日記的な使い方の人が多くて、「ブログ」というよりはつながりを重視した「SNS」なんだよな。だからブログサービスとしてよりも「つながる」ことが主体だから、初対面から基本的に相手
ツイッターでもブログでも意見を主張するモチベーションの一つに憤りがあります。ある出来事、またそれを伝える記事に対する憤りです。通常は批判記事になるのですが、憤りが強いほど力の入ったものになりやすい傾向は確実にありそうに思っています。言うまでもなく私もそうです。ですから憤りで書く事自体は肯定します。 この憤りですが分けると私憤と公憤の部分はあります。きっかけの出来事に対して起こった憤り自体は私憤と公憤が入り混じったものですが、主張としてまとめる時には分けておくのが必要だと考えます。 私憤にもいろいろタイプはあるでしょうが、当人が抱いた不快感情である事も多いと考えています。先週も少し紹介しましたが、飲食店の対応が不快であった経験は誰しもあると思っています。この不快感情が私憤になるわけです。ストレートに私憤を爆発させれば、 あの店員は許せない → あの店も許せない → 悪口を言い触らしたろ この
花をきれいだと思わない子どもたち 例えば「花が咲き乱れている」という文を読んで、どんなことを思うか聞いたとする。 「花がたくさんあるということは自然が豊かな場所かな」とか 「どんな花だろうか」「季節は春なのかな」とか 「たくさん花があったらきれいだろうな」とか 考えようと思えば考えることはたくさんある。 でも、子どもたちは「わからない」「何も感じない」って言うんだよね。(経験談) この件について、ブックマークでこんなこと言った。 http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20110711193536 花を愛でる心持ちなんてのは、人生の経験と相まって作りあげられていくもんだろ。年寄りの趣味だ。 言いたいことを言ったが、言い切れてないところと、よくわからないところもあって、ちょっとメモする。 まず第一に、なんか俺の指摘はもとの文とずれたところの
2010年02月26日14:13 「たこつぼ」と「際崩れ」 カテゴリインターネット kinkiboy Comment(0)Trackback(0) 「たこつぼ」現象という言葉があります。嗜好や考え方、また当然、関心事が近い人たちが集団となって、独特の世界をつくり、その世界のなかにひきこもることです。 社会現象を語る言葉として、この言葉が登場したのはいつの頃からだったでしょうか。おそらく1980年代あたりだったと記憶しています。人びとはそれぞれのライフスタイルや好みで分衆化し、お互いい別個の世界で生きはじめている、だからマスとしての市場はどんどん分断化されてきていると言われ始めたころでした。 その後、企業や業界の特殊な文化やものの見方へのひきこもりを「たこつぼ」として表現されることもありました。 ネットビジネスの終わり (Voice select) 著者:山本 一郎 販売元:PHP研究所 発
はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28
プロフィールバックナンバー これは私が訳した訴訟コンサルタントのフィリップ・マグローの著書『史上最強の人生戦略マニュアル』(きこ書房)にあった言葉です。 すなわち、自分が正しいのか、正しくないのか、あるいは相手が悪いのか、悪くないのかは関係ない。ただ、被害にあって悪い感情を抱いてしまった場合、その感情をどこで断ち切るのかは、自分でコントロールできるし、コントロールすべきである、という考え方です。 私たちは、さまざまな場面で、相手の発言や行動に傷ついたり、腹を立てたり、悲しんだりします。そして、自分が犠牲者だと感じ、自分に落ち度がないことを是が非でも証明するため、さまざまな理由づけをおこないます。しかもそれがうまくいかないと、いつまでも「被害者感情」を引きずってしまいがちです。 確かに、私たちは過失がゼロであっても、被害者になることはあります。しかし、その被害者になっている時間をどこ
協力し合えばトータルではより大きな利益が得られるのに、目先の利益に目がくらんで(?)非協力的な行動をしてしまう。 いわゆる社会的ジレンマである。 さて、この社会的ジレンマを越えて、協力し合うためには、参加者がみんな「かしこい利己主義者」であればいい、とされてきた。 「かしこい利己主義者」は何しろ「かしこい」ので、トータルな利益には相互協力が必要であることを理解する。 加えて、他の参加者も「かしこい利己主義者」であることもわかるので、つまり他の参加者も「かしこい」以上トータルな利益には相互協力が必要であることを理解するだろうと、予測する。 しかし、世の中「かしこい利己主義者」ばかりではない。 もっと悪いことに、「かしこい利己主義者」の中に「バカ」が混じってることで、「バカ」が一人勝ちする場合だってあるのである。 ああ、だったら、そんな「バカ」になりてえ(笑)! だって「かしこい」人の計算って
2009.12.1022:10 「Amebaなう」がさっそくヨハネスブルグ化したでござる の巻 カテゴリ雑談 ■Amebaなう、PC版サービスが開始 -BB Watch 先にケータイ版をリリースして本日、1週間ほど前倒しでPC版もリリースされた「Amebaなう」。 さっそく面白半分で登録した人たちにいろいろ試されて、こんな結論がでてしまいました(´・ω・`) monaken: ひでぇwRT @bluesman7777: 見事な纏め。RT @nyattta: アメーバなう【フォロー上限501人、ログ保存1ヶ月◆RNとはRTの事◆いきなりフォローすると怒る人があり注意◆ブロック・非公開設定はありません◆ワーム蔓延。どんな内容でも短縮URLは踏まない …へ? なんでも社長さん曰く「Twitterのパクリで作った」そうなのだけど、Twitterってもう少し多機能だったような? monaken: a
じっくり、、(ってなことが、ここでできるのかは、定かではない、、) きびしい現実、、てか、それが当然? http://terutell.at.webry.info/200504/article_2.html#comment (過去1990~2005年の彼的印象より) http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050406#c1112918930 http://terutell.at.webry.info/200504/article_3.html#comment http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/myhoney0079/20070110/p11 てか、この話題での議論のながれ、別件として もう少し追ってみるかなはてな、、 ぺんぺん草も生えない?とも思われる、その落穂ひろい、、。拙速?の落穂?、、とりあえず、前へと進ん
(22:56 追記) (ご指摘がありましたので、誤字脱字を含め文面全体を修正しました。それによって以前の文章と文意が異なる箇所が出てくると思いますが、それは私が言い合いについて感情的にならずに出来るだけ客観的になろうとした為です。 ですが、この文章を書いた動機であり目的である「こんな腹の立つヤツが居るんだけど、みんなどう思う?」という部分については一切、変わっていません。この文章を書いた動機、目的についての批判は真摯に受け止めたいと思います。) 昨日、一緒にゲームを作る事になった男の子とゲームに使う画像の取材に出かけた。その取材の帰りに一緒にご飯を食べることになったのだが、その食事の席で些細な話から言い合いになった。18歳と25歳の醜い言い合いは、僕の完膚無きまでの敗北で終わったしまったが、彼は負けてしまった俺に対して「薄い人間だなぁ」と言い放った。 < 彼はこのゲームで、立ち絵やイベント
勝間さんがツイッターにやってきて、その後、広瀬香美さんがやってきたこの1週間。ツイッターは新しいステージに入ったのではないか?というぐらいタイムラインの色が変わっていました。 先週の日曜日あたりは特に新鮮で、有名人を中心とした話題の展開に、悪く言えば理系の大学の学食で見かけるような風景がTL上に繰り広げられていて、その段階では正直言うと、その変化に対して嫌悪感を示していました。 というのも、モバツイッターの写ツやイマココで実現したかったのは、日本中、世界中の誰かの状況や場所を雑多にpostしてもらう手段であって、人それぞれの文脈をてんでバラバラに共有し、突発的にその瞬間その瞬間で、誰かと誰かがつぶやきベースで繋がりあえることにツイッターの価値があると思っていたからです。 それがツイッターの中で、一人のタレントの発言に周りの人が影響されて、ツリー構造のような流れになっていくのはあまり好ましい
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