このサイトを作っていくうえで、どうしても明らかにしておかなくてはいけないことがある。 筆者は山での食材採集と同じくらい海でも採集を行っている。 手段もスピアフィッシィング(素潜り魚突き)、タモすくい、釣りと多岐にわたっている。 釣りは慣例的に許されているからいいとして、残りの二つは現状グレーな部分があることは認めざるを得ない。 しかしそのグレーさというのは「これらの行為の犯罪性」ではなく、「条例そのもの」にあるというのが筆者の見解だ。 もとより海水面は万人に開かれたもので、一部の人々に利益を偏与するものではないというのが基本的なルールである。 だからはっきり言うと、一部の既得権者によって「遊漁そのもの」が制限されてしまうこと自体、憲法違反だと考えられる。 とはいえ自分も漁業者と衝突したいわけではなく、また稚魚・稚貝放流までして涵養している漁業環境をあらしその分け前をかすめ取るのは良心が痛む
安田峰俊氏のSEALDs論評が話題だ。 「なんかSEALDs感じ悪いよね」の理由を考える ──中国や台湾の学生運動との比較から── 氏の意見は、乱暴に言えば次のようにまとめられると思う。 ・SEALDsには違和感を覚える。 ・それは彼らに組織性と戦略性と思想性が欠如しているからだ ・1989年の天安門、2014年の雨傘革命など、失敗した運動は常にこれらの問題を抱えている。 ・反面、成功した運動(台湾のヒマワリ学連)は、これらの特徴を保持して運動を展開している。 ・SEALDs運動が失敗した原因は、ここにあるだろう。 なるほど、確か成功した運動と失敗した運動を比較検討するのは有益な行為だろう。 しかし、たった3ケースの事例(しかも近年のものばかり)を比較検討しただけで「失敗の本質はこれだ」と断言するのは、自分にはあまりにも早計に思えてしまう。 氏の主張──政治運動には強力な組織性と戦略性が必
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