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ブックマーク / chnpk.hatenablog.com (3)

  • 都心住まいの価値とは何か - よそ行きの妄想

    みなさんご存知の通り、都心の地代は高い。実に。 しかし果たして当にそれだけの価値があるものなのか、都心住まいというものは、という話である。今日はそのあたりについて考えてみたい。 かくいう私の生家は渋谷から歩いてまあ15分程度、都心といえば言えなくもない立地にある。今でもそこに住んでおり、家賃というものを支払っている事実はない。従って、都心の地代が高かろうが安かろうが関係ないと思われがちな立場だ。 とは言え、である。 もし都心住まいの価値が不当に割高に評価されているのであれば、私は、今の家を高値で売り払って郊外で悠々と暮らすことが合理的だということになるだろう。 つまり、私は家を売却してしまうという選択肢に関する機会費用を、常に負担していると言える。であれば、都心住まいの当の価値には、やはり人一倍敏感で然るべきなのだ。 で、渋谷。 渋谷から徒歩圏というと便利だなんだと持ち上げられることが

    都心住まいの価値とは何か - よそ行きの妄想
    kimihito
    kimihito 2013/01/16
  • アメリカ人の考えていることはよくわからんという話 - よそ行きの妄想

    「幸せな未来は「ゲーム」が創る」というを読んでみた。 先日のエントリーでは、ソーシャルゲームに少し批判的なスタンスを取ってみた私だが、実はゲーム全般に話を広げれば、その将来について、割りと肯定的な見解を持っている。いや、ほんとうは肯定的というよりももう少し大袈裟に、むしろこれからの時代、大半の人々は基的にゲームしかしないくらいの状況が実現してもおかしくないとさえ思っていたりする。 現実世界では、構造上、参加者全員が自己を実現する、というようなことがない。誰かが自己を実現するということは、同時に他の誰かが実現できなかったということを意味する。「優秀」とか「デキル社畜」といった誉れ高き称号は、誰か他にデキない奴がいるからこそ成り立つのであって、みんながみんな望ましい自己を実現できたら、それは誰もできていないということと同じになる。 私の理解では、こうした現実世界の質的問題を止揚するテクノ

    アメリカ人の考えていることはよくわからんという話 - よそ行きの妄想
  • 日本のベンチャー企業に見られる3つの類型 - よそ行きの妄想

    ということで、先日のエントリー「木村剛はなぜ暴走したのか」からの流れで、「ヤンキー的なもの」を求めてナンシー関を読んでみたわけである。 ナンシー関は、横浜銀蠅を論じる文脈において、「銀蠅的なものを求める人は、どんな世の中になろうとも必ず一定数いる」と述べ、次のように続けている。 銀蠅なきあと、世の中は無意識のうちに銀蠅の代わりを探していたようにも思える。これは私の個人的見解だが「X」や「BUCK-TICK」などの売れセンヘビメタや、工藤静香の方向性、THE虎舞竜のヒット、一部の素人女にみられる露出狂の域にまで達したボディコン(というよりコスプレ)文化などの根底に、いずれも「銀蠅の魂」が流れているように感じられてしようがないのだ。 現在、不良の傾向は「ツッパリ・ヤンキー」ではなく「チーム」みたいなことになってるみたいだけど、世の中が(意識下で)連帯するのはやはり「ツッパリ」なのだと思う。日

    日本のベンチャー企業に見られる3つの類型 - よそ行きの妄想
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