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ブックマーク / kechack.hatenadiary.org (10)

  • 政治家志望者は保守ばかり。日本のリベラル派に春は来ない。 - Munchener Brucke

    野田政権が非常に自民党的だという話をよく聞くが、私もその通りだと思う。民主党内では、鳩山元総理のように自民党を離党した経験のある政治家より、自民党議員を経験していない議員の方が自民党的なことが多い。自民党を離党した政治家は、自民党に違和感を覚えて離党したのに対し、最初から日新党や新進党、或いは民主党から政治家のキャリアをスタートさせた政治家は、当時自民党の候補者が二世議員と官僚出身者に偏り立候補の余地がなかったためにそれらの政党の門を叩いたケースが多く、気質的には保守政治家が多い。 野田総理は新自由クラブの選挙スタッフを経験するなど、常に自民党に代る政治体制の必要性を意識してきたと言うが、自身保守政治家を自認して憚らない。 民主党は保守的な政治家を多く抱えながら、政策的には自民党政治に不満を持つ層の支持を最大化する必要からリベラル色の強い政策を多く打ち出してきた。端的に言えば、自分たちの

    政治家志望者は保守ばかり。日本のリベラル派に春は来ない。 - Munchener Brucke
    kir_royal
    kir_royal 2012/06/02
    若手のリベラルって、確かに自治体とかの地方議会以上じゃ、もうあんま見ないやね。
  • 国民のマジョリティーは新自由主義でも社民主義でもない - Munchener Brucke

    新自由主義か社民主義かという議論は、正直空振りにあることが多い。なんやかんや、日で常に支持されているベタな考えは「税金の無駄遣いをやめて、その分で社会保障を充実」という思想だからだ。これは55年体制時代から、現在まで何ら変わっていないということをこの頃痛感する。 55年体制というのは、公共事業型「大きな政府」の自民党と、社会福祉型「大きな政府」の社会党という対立構造であった。社会党は既に大きな政府である現状で更に大きな政府にするための「増税」を謳うことはなく、基的に「税金の使い道を変える」ことを主張し、政府の増税策に対しては常に反対する立場を取ってきた。これについては共産党の同様の立場であった。 80年代末に、保守政治家の中から「税金の無駄遣いを止める」というような税金の使い道を変える議論が盛んに為されるようになった。その中で起きたのが自民党の分裂と新生党、新党さきがけ、日新党の誕生

    国民のマジョリティーは新自由主義でも社民主義でもない - Munchener Brucke
  • 新自由主義と陸続きにあった80年代都市リベラル - Munchener Brucke

    私は中高生時代に左翼教師の洗礼を受けて、左翼的思想に染まり、90年前半20歳前後で新自由主義の洗礼を浴び、2003年頃から新自由主義に疑問を持つようになった。 ただ、どうも私が中高生時代に浴びたものは、左翼思想でないのではないかという疑問が最近沸いてきた。私が影響を受けた現代社会の左翼教師は、毎回朝日ジャーナルからネタを引用し、今日的な問題と政治的背景を私たちに語ってくれた。まあいかにも左翼なのだが、授業の内容を思い出すとこんな感じであった。自民党はわざと一票の格差をつけ農村部の選挙区を増やし、我々が納めた税金を農家にばら撒いて選挙基盤を構築しているので一党独裁が続いている。ガソリン代の半分は税金で、これを元手に誰もいない山奥まで道路網を整備し、土建屋を儲けさせている。その土建屋が政治献金したり選挙運動するので自民党は強い。都市部では大型小売店を保護して、商店街を守っている。都市部では商店

    新自由主義と陸続きにあった80年代都市リベラル - Munchener Brucke
  • 中国毒ギョウザ問題 90年代的価値観を見直す契機に - Munchener Brucke

    この問題において、我々消費者も反省せねばならないことがある。「消費者利益至上主義」とその現象としての「安物賛美」である。これらを「90年代的価値観」として紐解きたい。 80年代後半にアメリカからの外圧により、輸入自由化や大店法の運用緩和による大型スーパーの進出などを背景に流通業主導の「価格破壊」が盛んに宣伝された。都市住民の多くは自民党と商店街や農家が癒着しているために消費者が高いモノを買わされていると不満を持っており、当時「生活者」という言葉を多用した社会党がこの不満層を吸引しブームを起こしている頃で、複雑な流通経路を破壊し消費者に安い価格で商品を提供する「価格破壊」は拍手喝采を以って支持された。 90年代になり、「様々な規制緩和が消費者の利益になる」と新自由主義が宣伝され、かつて社会党を支持した層が、新自由主義を唱えた新進党などにこぞって流れた。自民党も新自由主義的政策を採用し、規制は

    中国毒ギョウザ問題 90年代的価値観を見直す契機に - Munchener Brucke
  • 左派ブロガーの極端な改革アレルギー - Munchener Brucke

    最近「改革」という言葉に過剰な拒否反応を示すブロガーを多く散見する。もちろんここ数年はエセ改革者がチープな改革論を振りかざして、散々日を荒らしたのは事実だ。ただ「改革」と名のつくものはすべて悪なのであろうか?これは「バラマキはすべて悪である。」と信じて止まない改革論者同様、言葉ジリの俘虜に成り下がった人々の断末魔に見えてならない。 特に目に付くのが「改革」という言葉に過剰に拒否反応を示す左派ブロガーの存在である。保守主義者で、例えば西部邁のように「進歩」や「改革」「革新」という態度そのものを批判するのであれば、それはそれでスジが通る。日常的に左翼やリベラル派に共闘を呼びかけるような立場を取りながら、極端な改革否定に走るような態度は理解に苦しむ。元々、左派は「生活を改善したい」というような改良主義を基盤にしており、「改革」を否定した段階で左翼であることを辞めるべきだと思う。平和や人権を大事

    左派ブロガーの極端な改革アレルギー - Munchener Brucke
  • 消費者はバカなのだ! - Munchener Brucke

    農業関係のエントリーを書いていて、つくづく思ったのが、いかに消費者がバカであるかということだ。 90年代に勃興した消費者利益至上主義みたいのに毒された病人がいかに多いことか。これはクスリを飲ませた程度では直りそうもない。 生産者は消費者の望むものを作れだと? 何を偉そうに! 馬鹿な消費者は曲がっていないまっすぐなキュウリとか、イボの少ないツルツルしたキュウリを欲しがる。 そして農協はそういうのが売れるからと農家にそのような農産物を作らせる。そんな馬鹿げた光景がどれだけ日文化を貧しくさせたか。 また今の消費者は旬を知らない。取れる時期や産地によって味が全然違うのに、何も考えずに自分のべたい時に適当に買い物をする。 当は生産者はバカな消費者に、この時期のこの野菜が一番美味いとか、この品種は見栄えは良くないが美味いとか、そういう生きた知識を教えてあげればいいのだ。三流学者やコンサルタン

    消費者はバカなのだ! - Munchener Brucke
  • 良いナショナリズム・悪いナショナリズム - Munchener Brucke

    私はナショナリズム不信からアンチナショナリズムに傾斜したこともあったが、やはりネーション抜きに人は生きられないと思い、愛国心の必要性について意識するようになった。ただ、その中でベタないい方だが、良い愛国心と悪い愛国心を明確に区別するようになった。 良い愛国心の条件の一つは、愛国心の価値を絶対的に認めなければならないということである。自分の或いは自国・自民族の愛国心は良くて、他民族の愛国心に嫌悪感を示すというのは、単なる自己中心主義であって、悪しき愛国心の典型である。 もう一つはすべてを受け入れた上での愛国心であること。どの国、どの民族にも汚点や屈辱的な歴史があるものである。それらもすべて美化・歪曲化せず受け入れているということである。 残念ながら今の日のナショナリズムは洗練されるとは言えない。悪しきナショナリズムを妄信して猛進している人とアンチナショナリスト*1が不毛な論争をし、ちっとも

    良いナショナリズム・悪いナショナリズム - Munchener Brucke
  • なぜ女性が石原慎太郎を支持? - Munchener Brucke

    朝日新聞社は17、18の両日、東京都内の有権者を対象に都知事選に関する第2回情勢調査を行い、取材で得た情報をあわせて告示前の情勢を探った。現職の石原慎太郎氏(74)の支持が前回調査(10、11日)から拡大し、前宮城県知事の浅野史郎氏(59)にやや差をつけている。石原氏は幅広い層に浸透し、特に女性の支持が伸びた。 3/19 朝日新聞 このニュースはかなり衝撃的だったようだ。特に石原都政に苦い思いをしているフェミニストの方々にはショックだったようだ。なぜ「閉経した女性無用論」「ババア」と侮辱されても、なぜ同じ女性がこうも石原を支持するのか理解に苦しいところであろう。ただフェミニストの方々はアンチ・ジェンダーフリーのバックラッシュについてもう少し客観的な分析ができないと、この流れに対峙する策を打てないであろう。意外なことに現職の石原知事の最有力対抗馬と目される浅野史郎候補が冷静なコメントをしてい

    なぜ女性が石原慎太郎を支持? - Munchener Brucke
  • 近親憎悪してきた日本の右派と左派 - Munchener Brucke

    戦後の日の右派と左派は、実は近似的な共同体主義であり、新自由主義の隆盛で右翼も左翼も流動化したのち、現在昔の右派と左派は更に近似性を強めて、新しい共同体主義に収斂しようとしている。便宜上右派だの左派だの言うが、実は余り意味のない区分なのかも知れない。 ともに「共同体主義」であり「大きな政府」であった右派と左派 私は2/19のエントリーで戦後日の右派も左派も共同体主義であったと申し上げたが、同じ共同体主義でどこが違うかといえば、右派の共同体主義が地域や家族を基盤に置いているのに対し、労働組合や共産党などは地方から都会への人口移動が起こる中で伝統的な地域との繋がりを失った若者に擬似共同体を提供して組織化していった。創価学会も同様に組織を拡大した点では似ている。結局、伝統的な共同体か、人工的な共同体かの違いでないのである。 また右派と左派は高度成長で得た富を弱い部分に再分配するという考えは同

    近親憎悪してきた日本の右派と左派 - Munchener Brucke
  • 「おててつないで仲良くゴール」にみる90年代のネオリベと民族派の蜜月が終わり、無産右派が胎動する可能性 - Munchener Brucke

    「おててつないで仲良くゴール」の話をご存知であろうか、実にくだらない話ではあるのだが、実に象徴的な話である。小学校の運動会の徒競走で順位をつけるのを止め、最後は仲良く手をつないでゴールするという話だ。実は今になってどこの小学校で行われていたのか全く情報もなく、「自分の小学校はそうだった」という体験談も聞かない一種の都市伝説であったとも言われているのだが、90年代は保守派の日教組攻撃、サヨク批判のネタとして頻繁に聞かれたネタだ。未だにこのネタを使っているブロガーもいるぐらいだ。このネタを知りたい人は↓のエントリーを読んで欲しい。 http://d.hatena.ne.jp/debyu-bo/20060928/1159407413 http://d.hatena.ne.jp/opemu/20060929/1159524762 90年代前半はネオリベが新鮮な輝きを持っていた時代で、「悪平等」「自

    「おててつないで仲良くゴール」にみる90年代のネオリベと民族派の蜜月が終わり、無産右派が胎動する可能性 - Munchener Brucke
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