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ブックマーク / medt00lz.s59.xrea.com (54)

  • 罵倒の運用について - レジデント初期研修用資料

    罵倒のようなやりかたにも使いかたがある。誰かを罵倒することで、その人の背中を強力に後押しするような効果を期待することもあるし、同じ罵倒のやりかたであっても、誰かを徹底的に否定してみせることで、その人から抵抗の意思を奪い去るような効果が期待できることもある。 海兵隊の教官は新兵を罵倒する 海兵隊訓練教官の罵倒を集めた記事を読んだ。 テレビ番組でときどき紹介される海兵隊の訓練風景は恐ろしいけれど、文章として罵倒の言葉だけを取り出すと、訓練教官をやっている人は、罵倒であっても相当に言葉を選んでいるのだろうなと思う。 訓練教官の罵倒は、読んでいて面白い。新兵に対して、何か「できなかった」ことを叱るのではなく、新兵ごとに到達点を仮想して、「やらなかった」ことを叱る。同じ「できない」を表現するにしても、結果を叱れば「お前は無能だ」というメッセージを送ることになる。できたはずの到達点を仮想して、そこに到

  • 人格否定の使いかた - レジデント初期研修用資料

    今日アルバイトの面接に行ってきた という記事の感想。 リンク先冒頭、アルバイトの面接に出向いた作者の人は、面接担当の人から 「なんでもっと頑張らないんだ!?こんな貴重な体験をしてきたのに、もっと能動的に動かないともったいないぞ!」と叱られ、否定され、その割に不思議と、否定を行った面接担当者に親近感を覚えたんだという。 否定の入り口は「取り返しのつかない過去」 面接担当者は冒頭で、まずは作者の話に耳を傾ける。話を十分に聴いてから、「こんなに貴重な経験を積んできたのにそれを生かせないあなたはだめな人間だ」と否定を行使する。 否定というのは強い感情だけれど、初対面の誰かから「お前はだめなやつだ。クズだ」なんて面罵されたところで腹が立つだけで、その人を信頼しようとか、その人の言うことに耳を貸そうという気分にはならない。 否定の感情をぶつけるためには根拠が必要で、根拠は相手の過去にある。否定の対象と

    kisiritooru
    kisiritooru 2013/03/13
    恐いね。百戦錬磨な人なら、新人を騙すのは容易いんだろうね。
  • 御札はどうして売れるのか - レジデント初期研修用資料

    神社の御札は、機能がないのによく売れる。構造は簡単で、恐らくは寸分違わぬコピーを量産することも容易であって、神社で販売されている物にしたところで、売っているのは職ではなくアルバイトであることも多い。 熊野神社の牛王符宣誓あたりになると、そもそもあれは和紙に印刷された木版画であって、同じ品質、同じ材料で、レーザープリンターで何枚でも量産できる。同等の機能を持った安価なコピー品をいくらでも作れるはずなのに、神社の御札を求める人達は「物」を求めて、山奥にある神社までわざわざ出向く。 映画であったり音楽であったり、同等機能を持ったコピー品が安価に出回る昨今にあって、神社の御札にはなんのコピープロテクトもかけられていないのに、コピー品を求めるユーザーがどこにもいない。あれはヒントなのだと思う。 宣誓は大事 熊野神社の熊野牛王符は、お守りとして飾られる場合と、誓約書として使われる場合とがあって、

  • 強すぎる相手との戦いかた - レジデント初期研修用資料

    blog より転載した記事。ちょうど「維新の会」が選挙で圧勝した頃。 橋下知事の勢いを「機動戦士ガンダム」に誰とえたら、戦いとは「ガンダムが負ける状況を作ること」だという指摘をいただいた。橋下知事に選挙で惨敗した、そういう意味でまだ戦いを始めてもいない可能性がある。 ガンダムは恐ろしい ジオン軍の「普通の兵士」から見たガンダムは、理不尽で恐ろしい。勢いに乗った超人は、その人の視点に乗っかる分にはまだしも人間として理解できるけれど、超人と同じ場所にいる普通の人から見たときには単なる自然災害であって、あれを同じ人間相手の戦いだと考えると、理不尽に過ぎて話にならない。 市長に当選した橋下知事には勢いがあって、これからしばらく、恐らくは暫定的な無敵状態が続く。人にどんな攻撃を仕掛けたところで揺らがないだろうし、市長の弱点に見えた何かを叩いたところで、それが弱点であってもなお、返り討ちにされるリ

    kisiritooru
    kisiritooru 2013/02/26
    ターゲットインサイトをジオンサイドで始めて、何の改造もしてないザクに搭乗してガンダムが来るとかなり恐ろしい。
  • 信頼地形の使いかた - レジデント初期研修用資料

    信頼されている人は、誰かに背中を任されることが多くなる。同時にたぶん、誰かの背中に回りこむのに成功すれば、結果としてその人から信頼を獲得できる。 信頼という感情と、誰かの背中という地形とは等しい価値を持つ。誰かから信頼されようと思ったら、内面の道徳を磨くことよりもむしろ、その人の背中を奪う方法を考えたほうが早いのだろうと思う。 背中は信頼の基礎 たとえば「返す当てはないが金を貸してくれ」というお願いを、机を挟んで向かい合った相手から切りだされても、たいていは断られてしまう。机を挟んだ相手なら跳びかかったり殴ったりするのは難しいだろうし、相手の振る舞いは机を挟んですべて見えるから、無理な依頼を受けたその人は、何があっても自分で対処ができてしまう。状況を自分でコントロールできる状況においては、依頼の内容は文言どおりに検討されて、信頼できない以来は断れる。 同じ無理なお願いを、後ろに回った相手が

  • 名付けの効果について - レジデント初期研修用資料

    医局でたまたま、免疫について話題になった。 漠然と「抵抗力」のような意味あいで使う免疫という言葉は、医療従事者も「ある」という前提で違和感なく会話をするのに、「免疫力」みたいなものをきちんと測定できるようなパラメーターが存在しない。免疫グロブリンの量を測定することはもちろん可能だけれど、それはあくまでも特殊な蛋白質の量であって、いわゆる的な「免疫力」とは少し違う。 ないものには商売の種がある 「免疫力を向上させる」と自称するオカルトグッズはたくさん販売されているし、実際よく売れている。効果を検証して反論しようにも、そもそもどんなパラメーターで「免疫力」を代表させればいいのか、グッズを売る人と反論を試みる人との間で見解が共通することはありえないだろうから、難しい。 誰もが「ある」と思っているのに測定できない何かを探し出せば、それを商売の種にすることが出来る。あるいは当然測定できると認識されて

  • 0から1を作った経験 - レジデント初期研修用資料

    たとえば爆弾テロの事例がニュースで報じられれば、たいていの人はたぶん、それを「ひどい事件だな」と思う。テロリストの側に与する人が同じニュースを聞けば、もしかしたら「よくやった」と思うかもしれない。ニュースに対してどんな態度をとるにせよ、ニュースというものはほとんどの人にとっては消費の対象であって、それを経験として蓄積できる人は少ない。 同じニュースを聞いても、見聞した事例を通じて自分の経験値を高める人もいる。爆弾テロの事例ならば、爆弾を自分で作り、爆薬の威力というものを知っている人がそれであって、こういう人がニュースを見ると、「なるほどそういう仕掛けかたもできるのか」と、爆弾の仕掛け方がより凶悪になってみたりする。 どんな分野であれ、ゼロから何かを生み出す経験をした人は、あとは事例を見るほどに、自身の経験が増していく。 経験には2種類ある 100年続くチームを引き継ぎ、体育会のキャプテンと

  • 暴力の工学的な側面 - レジデント初期研修用資料

    顧問の体罰が集中して、キャプテンの学生が亡くなった事例は、あれは「暴力を用いた統治」というものを考えると、ひどい事例とはいえ、工学として理にかなっているようにも思えた。 暴力は疲れる。暴力を行使する側は、「統治」という目標を達成するために投じる暴力量は、できることなら減らしたいだろうから、そこには「効率」の考えかたが入ってくる。説得みたいなやりかたは、暴力を好む人には甘すぎるように見えるだろうから、たぶん最初から選択肢に入らない。 選択枝を持たない人を探す 生徒を死に追いやった顧問の先生は、キャプテンに対して体罰を集中したらしい。 暴力を統治の道具として行使するときには、「選択枝を持たない」人間を選ばないと意味が無い。暴力というのは不快なやりかただから、その人に付き従う以外の選択肢がある人に暴力を振るったところで統治は達成できないし、警察に通報されれば詰んでしまう。 「いつでもやめられる」

  • 制約を身につける - レジデント初期研修用資料

    「ここまでは得意ですが、ここから先はできません」という制約を持つ人が得意分野に熟達すると、その人は専門家と呼ばれるようになる。 「得意不得意こそありますが、私は基的になんでもやります」という人が全方向に頑張ると、その人は「熟達した使い走り」になってしまう。 制約は知恵を引き出す たとえば300文字程度の考えを文章化しようと思ったときに、Twitter はいい道具になる。簡単なサービスだからすぐに書けるし、つながった誰かの反応をもらうこともできる。何よりもTwiter には「140文字しか書けない」という制約があって、アイデアを文章化するときには、こうした制約が役に立つ。 アイデアを文章化するのに必要なのが300字なら、Twitter ではそれを2回に分けて書く必要がある。ベタ打ちしたアイデアを途中できるのはみっともないから、思いついた何かは必然的に、140字で語れるだけの大きさに分割され

  • JASRAC の謝罪文について - レジデント初期研修用資料

    音楽著作権協会(JASRAC)が最近出した謝罪の告知 は、組織へのダメージを最少にするという意味において、上手な謝罪のお手に思えた。 以下引用。 雅楽演奏者へのお問い合わせについて. 昨日よりJASRACが雅楽演奏者の方へ著作物使用料の支払いを求めたなど、SNS等での書き込みや報道などがなされていることについて、ご説明いたします。. JASRACでは、全国各地で行われる演奏会などの催物において、JASRACの管理楽曲(以下「管理楽曲」という。)を利用される場合には、催物の主催者の方から手続きのお申込みをいただいた上で、 著作物使用料のお支払いをいただいております。管理楽曲の利用を確認せずに、著作物使用料のお支払いを求めることはございません。. 管理楽曲の利用が定かでない演奏会等の場合、主催者の方に電話や書面等でご連絡をし、管理楽曲のご利用の有無を確認させていただくことがあり、著作権消

  • 説得に必要な体積 - レジデント初期研修用資料

    誰かに何かの行動をお願いしたり、期待したりするときには、言葉の内容に気を配るよりも、その人の手元に「体積」を送るやりかたを考えたほうが、説得という成果はより近づくのではないかと思う。 ワープロとメモ書きの昔 今回出版させていただいた「内科診療ヒントブック」というは、もともとは研修医の大昔、同級生と交換したメモ書きの束だった。 有名な研修病院は、どこもその頃から独自のマニュアルを作り、いろんな出版社から販売していた。どれも使いやすくて、でもそうした何かを持っていない側としてはそれがいかにもうらやましかった。当時から、研修していた病院ではローテーション研修のシステムが組まれていたから、同級生がお互いのメモ書きを交換すると、結果として内科全科の知識を集めることができ、休みを使ってそれを全部ワープロで打ち上げた。 Win95 も発売されていなかった昔、研修医にはPCは遠すぎて、自分はずっとワー

  • マインドコントロールの基礎 - レジデント初期研修用資料

    うちの家を、まったくの他人が支配してたことがあったという逸話を読んで思ったこと。 リンク先では、「母の友人」としてやってきた正体のよく分からない人が、家族のそれぞれに怪しい働きかけを行うことで、一家が離散寸前まで追い詰められる。 マインドコントロールというと、なんだか怪しげな、複雑怪奇な技法を想像しがちなのだけれど、リンク先の物語で行われていることはたぶん、「君、なんだか評判悪いみたいだね。でも僕は君の味方だから」という文言を、家族の全員に、何度も繰り返していただけなのだろうと思う。 心理的な隔離の効果 上司に当たる人が、組織から誰かをつかまえて、「君、なんだか評判悪いみたいだね。でも僕は君の味方だから」といい含め、組織に戻すと、呼び出されたその人は、他の人を信じられなくなる。他ののメンバーに自分の評判を確認すれば、もちろん「そんなことはない」という返事が返ってくるのだろうけれど、それが嘘

  • 新しい市場のつくりかた - レジデント初期研修用資料

    最近買った新しい市場のつくりかたというの感想文。 足で書いたは面白い 今までになかった新しい商品を販売することで成功した人たちを訪ね歩いて、成功の理由、あるいは新しい商品を発送する原理のようなものを導こうとした。いろいろ参考になった これは「足で書かれただ」という印象を持った。理念ではなく、具体を重ねて論に到達するような。こうした書かれかたをしたは、読むといろんな発想が広がる。同じ具体例を作者と共有しつつ、作者とは異なった理念の衝突が楽しかったりもする 「足で書かれた」とは逆に、理念先行、論が理念を補強する「頭で書かれた」というものもある。頭で書かれたで描かれる理念は整合がとれていて、読んで「ははぁ」と頷く部分も多いのだけれど、発想はそこで閉じてしまうことも多い 個人的にはたとえば、佐々淳行の危機管理に関するは、「頭で書かれた」であるように思う。佐々の危機管理に関する

  • 人は禁じられた方向に努力する - レジデント初期研修用資料

    組織やチームの文化というものは、スローガンや目標ではなく、日常の動作やおしゃべりにおけるちょっとした制約が作り出す。 「全部英語」は極端であるにせよ、その会社、その組織、その業界独自の言葉や言い回しを作ったり、あるいは「その場で発してはいけない言葉」を作って共有すると、その場には独自の空気が生まれる。外から入ってきた人が「その組織の人」になるまでの時間は、そうした空気がある場所では大幅に短くなっていく。 制約が空気を作る 「ノー」を禁じた組織には、「ノー」を表現するための語彙が増えていく。「現実的に」を禁じた会議室からは、実際に実現できるアイデアが増えていく。 何か到達したい状態があるのなら、それを目標として声高に叫んでみせるよりも、目標と反対側の単語を禁じてやると、人間は案外、その方向に能力を発揮する。 内科医の会話から「外科」という言葉を禁じると、「外科に相談」みたいに便利な言葉が一切

  • チームワークとは「いい敵」の共有 - レジデント初期研修用資料

    チームワークは大切だけれど、リーダーがチームに対して、「チームワークを大事にしましょう」と諭してしまうと、誰もが「チーム」に遠慮する。結果としてたぶん、チームの能力は集まった人数を下回る。 チームには「敵」が必要 チームワークとは、チームが「共通の敵を持つこと」で生み出される。「チームをまとめるためには敵を探そう」が、リーダーが身につけるべき方法論でもある。 「敵」という存在は、対立や排除の対象であって、概念を共有した上で、それを「敵」と名指しすることで、チームには「何をやらないのか」、「誰に嫌われるのか」が共有される。 「敵」を名指しすることは、だからリーダーが戦略を策定するのと同じ意味を持つ。 目的の共有には意味が無い 目的とは単なる到達点で、どれだけそれを熱心に説いたところで、そこに到達するための道程は共有できない。メンバーの思い描いた道筋はバラけてしまうから、チームは結局まとまれな

    kisiritooru
    kisiritooru 2012/09/09
    ウチの会社の場合の「いい敵」を一緒に探してほしい。一回目読んだ感想です。何回か読まないと難しい。
  • 危機コミュニケーションのゲームデザイン - レジデント初期研修用資料

    公平は信頼の基礎になる。ところが災厄に代表される危機的な状況において、機会や配分の公平は、たいていまっ先に失われてしまう。 危機コミュニケーションの現場において、情報の発信者が唯一管理可能な公平は「ルールの公平」であって、信頼が重視されるコミュニケーションにおいては、「それがゲームとして楽しい」ルールの設定が大切になってくる。 「それがゲームとして楽しい」ことと、「その状況におけるルールが信頼できる」こと、ひいては「ルールの範囲内において相手を信頼できること」は等しい価値を持つ。相手から信頼を獲得することは、コミュニケーションの場におけるゲーム構築の試みに他ならないのだと思う。 昔話 原発災害の当初、情報が錯綜して、不安ばかりが広がっていくさなか、英国大使館が「日の原発についてのお知らせ」という見解を発表した。 新しい情報こそ発表されなかったけれど、現在公開されている情報を吟味して、そこ

  • 「ちゃんと」できる人なんていない - レジデント初期研修用資料

    あってはならない「確実に」という作業指示 – プリウスに見るゴムホースの「組み付け基準」 という記事が興味深かった。 「適切」は難しい 「適切に」判断したり、「正しく」組み付けたりすることは、特にそれが100% に近い再現を求められた場合には、とんでもなく難しい。 詳細なマニュアルを作成して、現場にそれを徹底したところで、大きく「適切に判断を行う」と書かれた項目が残っていたら、かならず誰かが間違える。 「適切」な判断や「正しい」組み付けを現場に実現しようと思ったら、マニュアルから「適切」や「正しく」といった言葉を追放すればいい。便利な言葉が禁止されれば不便になって、マニュアルを書く人は頭を抱える。抱えた頭で手順を見直すと、「正しく」やらなくても正しい結果にしかなりようがない、来そうあるべき手順が見つかる。 困っている人は「正しく」やらない 最近部屋を整理していたら、棚の奥から研修医時代

    kisiritooru
    kisiritooru 2012/05/14
    素敵過ぎてついていきたいわ>「現場で今困っている人が、問題の解決に必用な道具を作る」のが正解なのだろうと思う。
  • クレーム対処について - レジデント初期研修用資料

    クレームに正しく対処するためには、そのクレームに対して「正しく恐れる」ことが大切になる。 恐れかたは、少なすぎても、多すぎても、トラブルを生む。正統なクレームに「毅然とした対処」を行うことはトラブルを生むけれど、ちょっとしたクレームに対して大きすぎる反応を返すこともまた、同じぐらいに間違っている。クレームを恐れることは大切だけれど、必要な大きさだけ正しく恐れて、恐れた大きさに見合った対処を行わなくてはいけない。 不快には種類がある 同じ不快の表明であっても、それが主治医の人格や、病院での接遇に対する不快なのか、あるいは医師の技量や治療方針に対する不快なのかで、対応は異なってくる。 人格や接遇に対する不快が表明された場合には、まずはその不快に対して謝意を表明しないといけない。不快に対して最小限の妥協を遅滞なく行った後、「その状況を維持します」と表明するのが正しい対処になる。不快を突っぱねれば

  • 中心は黒がいい - レジデント初期研修用資料

    ずるい人は得をする。得があるから人が集まって、人の集まりが組織を作る。組織の真ん中にはリーダーがいて、リーダーはもっともずるい人だから、リーダーはたいてい、黒から始まる。 黒は仲間を増やす 黒い人のまわりに人が集まった人達も、外から見ると黒くなる。色は混ぜれば別の色になるけれど、黒にどんな色を混ぜたところで、黒はやっぱり黒く見える。 黒い人達を取り巻く誰かにとっては、そうしたリーダーが率いる組織は「ずるい」連中に見えるだろうし、ずるさと感覚される何かはたいていの場合、そのルールに対する正解でもある。「ずるい」連中は時々叩かれて、ルールは変更されるけれど、リーダーにアイデアがある限り、その場は黒く、居心地良くまとまっていく。 リーダーは「きれい事」をつぶやく お客さんを相手にする仕事において、お客さんから見て「きれいでない」組織は成功できない。「黒い」リーダーも、「白い」リーダーも、だからみ

  • 対等な関係は難しい - レジデント初期研修用資料

    白い巨塔という医学小説は、主人公たる財前は悪役として、財前を告発した患者さん家族の味方となった里見は正義として描かれるけれど、あの物語において、財前はむしろ被害者であって、当の悪役は里見なのではないかと思う。 対等と正義は相性が悪い 物語の序盤、財前は、手術した患者さんの肺転移を見逃す。まわりはそれに気がつきつつ、誰もそれを財前に進言できないままに状態は悪化する。里見もまた、財前に「これは肺転移だ」と進言したはずだけれど、結局生検は行われることなく、患者さんは亡くなってしまう。 患者さんの経過において、もちろん責任者は主治医であった財前なのだけれど、肺転移した胃癌に対して、昭和40年代の医療でできることはほとんど無かっただろうから、患者さんは結局亡くなってしまうであろうとはいえ、訴訟を回避できた可能性は無数にあって、「正義の人」である里見があの場所にいたことが、そうした可能性を閉ざしてし

    kisiritooru
    kisiritooru 2011/12/06
    面白い見方