野矢茂樹さんの『無限論の教室』(講談社現代新書)では、実無限と可能無限が中心的な話題となっている。野矢さんの分身のようなタジマ先生は、実無限に懐疑的で、無限の概念としては可能無限だけを認めるべきだと主張している。 実無限というのは、無限の対象の全体性を把握して、無限が実際に存在しているとする立場だ。可能無限というのは、無限を把握出来るのは、限りがないということを確認する操作が存在していることだけで、無限全体というのは認識出来ないとする立場だ。 実無限を認めないという立場は、それなりに納得出来るものだ。無限という言葉で呼んではいても、その細部にわたってそれが分かっていないとき、それを果たして「無限」という言葉で呼んでいいものかどうかに疑問を持つというのは正当な疑問のように思える。よく分かっていないものに対して「無限」という判断をするのは、単に名前を付けているだけのような気もする。 「実無限」
2007年06月27日13:00 カテゴリValue 2.0Math 無限は君が思っているほど大きいとは限らない この「可能無限」という言葉は、120% Fasionable Nonsenseだと考えている。それも、人畜無害なものではなく、「水からの伝言」なみかそれ以上に危険な。 My Life Between Silicon Valley and Japan - フューチャリスト宣言や茂木さんのことやはてなのことなどを酔っ払いながら書いてみる 茂木さんが最初に「自分が書いた文章」を披露しながら、「自分は可能無限の世界を愛していて、人間の有限性というのを受け入れることが未だにできずにいる。だから物事を決められないのが自分の欠点なんだ。弱さなんだ。そういう秘密を頭に浮かべながら、この文章書きました」みたいな話をしていた。茂木は可能無限を以下のように定義している。 フューチャリスト宣言 p.1
もじら組スタッフは、以前からスタッフだったyukichiさんをもじら組から除名することを決めた。彼が昨年11月にOSC沖縄でトラブルを起こしたこと、および、そのことについて誠意ある対応を取らなかったこと、が理由だ。 彼がリードしていた拡張勉強会を今後どうするかは、まだ決まっていない。 除名は最悪の選択肢だった。彼が起こしたトラブルにつりあうものではない。拡張勉強会はもじら組の新しい活動として成功していたのに、存続が危うくなっている。 もじら組ができてから7年。残念だがそろそろ寿命なのかもしれない。今はMozilla Japanがあるので、もじら組の存在意義は以前より小さくなっている。このまま寿命がつきても悪影響はあまりない。
#!/usr/bin/perl use strict; use warnings; my $pm = $ARGV[0]; exit unless $pm; $pm = join("/", split(/::/, $pm)) . ".pm"; exit unless (eval{ require $pm; }); print $INC{$pm} . "\n"; こんな感じ?pmpath.plとかで保存して、PATHの通ったディレクトリに実行権限つけて置いといて $ pmpath.pl Test::More /usr/lib/perl5/5.8.8/Test/More.pmみたいな感じ $ vi `pmpath.pl Test::More`とかやるとモジュール名でそのファイルが開けるです。便利。 追記 $ perldoc -l Test::Moreで同じ結果みたいです。 知らなかったー!
正しくHTMLを書こうと心がけている人に5つの質問 : 雑記帳 : der Gegenwartに答えてみる。自分の認識を整理するのに役立ててみた。 HTML文書を制作する際に使用しているプログラムをお答えください。(Webプログラムも含む) 意地悪しないで書くと、Microsoft IMEと様々な入力環境。 採用しているDTDとその理由をお答えください。 最近はHTML4.01。文書インスタンスはこのDTDに基づいて省略できるところはすべて省略して書き、Javascript1.7でHTMLの非力なリンクトラバーサルを補うのがマイブーム。 何故正しくHTMLを書いているのですか? 間違えて書かなければならない理由がないから。自然なこと。 W3CとWHATWG、どちらに期待してますか? リンクのセマンティクスの強化に主に力を入れている方に期待するだろう。どっちなの? あなたにとってHTMLとは
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