J2のファジアーノ岡山は21日、クラブホームページ(HP)上で2013年シーズンに向けて、アクチュアルプレーイングタイム(実際にプレーする時間)を伸長するため、選手がピッチに倒れている際であってもボールを外に蹴り出すことなくプレーを継続する意向を示した。クラブHP上では、「ピッチ上に選手が倒れている際は、けがに関する判断は全面的にレフェリーに委ねることとし、そのホイッスルが試合を中断するまで全力でプレーを続ける」ことが明記されている。 同クラブではすでに4年前から意思表示されている考え方だが、22日のJリーグキックオフカンファレンスにおいて影山雅永監督に改めてその考えについて聞いた。影山監督は「ずっと続けてきていることなので、改めてというより、普通に行なっているだけです」と前置きした上で、「これはわれわれチームにとっても重要なことであり、サッカーにとっても重要なことだと思っています」と述
「日本人かい? オシムに会いに来たのかね?」 ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボで、おとぎ話の中に迷い込んだかのような錯覚に陥った。その美しい旧市街で笑顔とともに話しかけてきたのは、土産物屋の老婦人だった。この国における日本との最大のつながりは、サッカーである。自分たちの英雄が代表チームを率いた国から旅人が来たなら、声をかけたくなるのも当然だろう。イビチャ・オシムの存在は、今もボスニアの人々の誇りであるようだ。 日本を離れて3年が経った。だが、オシム氏の思いは、今も日本サッカーとともにある。今秋、その名伯楽にサラエボで話をうかがう機会を得た。 部屋に入ってきたオシム氏の手に、離日前には握られていた杖はなかった。190センチを越える長身が、ゆっくりとではあるが確かな足取りで部屋へと入ってきた。イスに腰を下ろすとまず、近くにあった2006年のヤマザキナビスコカップ決勝のプログラムに手
J1ヴィッセル神戸戦に向けてコメントをひと通り発したあと、「帰ります! 子どもに会いに帰ります」と車を出そうとした川崎フロンターレの中村憲剛の帰宅を20分以上引き伸ばしたのは「サポーターが、動揺している」という記者の言葉だった。「何も変わらない、熱くて、あたたかい」サポーターがそうなってしまったことの責任を背負うかのように、中村は言葉を紡いだ。 川崎が思うように勝ち星を伸ばせないでいる。前節、17位のガンバ大阪に敗れ、29試合終了時点で12位と低迷している。タイトル争いを目標としてきたクラブの停滞は、強いシーズンしか知らない多くのサポーターにとって、消化しきれない現実なのだろう。そんな現状に対する不安や不満は、ネット上に罵詈雑言としてにじみ出始めている。そしてそれがクラブへの愛情表現であることを理解しつつ、中村が川崎の今について語った。 「変化には痛みがつきもの。頑張っていない選手は1
J1・川崎フロンターレが17日に、川崎市内にある川崎市立菅生小学校にてゲストティーチャー実践学習を実施した。これは2009年度以降、川崎市内の小学6年生を対象に作成・配布されてきた「川崎フロンターレ算数ドリル」をベースにしたもので、09年度から数えて4度目の開催となった。今回参加したのは、ジェシ、レナト、レネ・サントスのブラジル人3選手。これに対し、菅生小学校の6年生全員を2組に分け、2つのテーマについて実践学習が行われた。 1つ目のテーマとなったのは、シュートのスピードといろいろな動物の走る速度とを比較するというもの。シュートスピードを計測したのはレナトで時速98キロ。これに対し、この実践学習に参加した生徒がそれぞれにシュートスピードを計測した。またあらかじめ分速や秒速で示された野生動物のスピードと単位をあわせて比較し、順位を付けた。 もう1つのテーマは、レネ・サントスが50メートル
12日、前日にイラク代表監督として日本代表とワールドカップ・アジア最終予選を戦ったジーコ氏が、古巣であるJ1鹿島アントラーズのクラブハウスを訪れた。“常勝鹿島”の礎を築いたジーコ氏は、今季は12位と低迷するチームに対して「鹿島は1位にならないといけないチーム。川崎フロンターレ戦は絶対に勝ちなさい」と激励した。 昨年6月の東日本大震災復興チャリティーイベント「FOOTBALL STARS AID」以来の恩師との再会となった主将の小笠原満男は、「こんな順位にいるのは申し訳ない。一番上にいるべきと言われたが、本当にその通りだと思う」と神妙に受け止める。「ジーコもイラクで頑張っている。お互いに良い報告ができるように頑張りたい」と、残るタイトルに全力を尽くすことを誓っていた。 取材・文:田中滋 【関連記事】 ・ J1リーグ日程(第25節) ・ ジーコ監督「日本がグループ1位になるのは間違いない」
昨年に引き続き2度目となったJ1川崎フロンターレの、陸前高田市での復興支援活動が9月2日に行われた。支援を受ける立場である陸前高田市の皆さんはもちろん、支援をする立場にある川崎の選手たちも前向きな力を受けた1日となった。 被災地の子どもたちの力を実感した一人が中村憲剛である。前日に行われたベガルタ仙台戦の逆転負けという結果を受け、試合後の中村は険しい表情のまま無言でバスに乗り込んでいた。しかし、この日は気持ちを切り替えて支援活動に臨み「(去年と同様に)またしても子どもたちに元気をもらいました」と述べていた。また、共にボールを蹴った子どもたちに対しては「(被災地の子どもたちや親御さんが)頑張ろうと思うきっかけになるのなら、ここに来る意味はある。一緒にボールを蹴っている時は楽しいし、そういう何かのきっかけになっていればうれしい。変化が起きてくれればいいと思う」と口にしていた。 この陸前高田
甲高いエンジン音を響かせてフォーミュラカーが疾走する。それを見守る18000人あまりの観客はその迫力と非日常的な光景に目を輝かせた。6月30日に行われたJ1第16節、川崎フロンターレvs.ヴィッセル神戸の試合直前。等々力陸上競技場のトラックでの出来事だった。 日本サッカー界の頂点に位置するJ1リーグ所属の川崎フロンターレと、日本のレース界最高峰のフォーミュラ・ニッポンとのありえないコラボレーションを実現させたのは、川崎が誇るプロモーション部の2人。1人はJリーグ界屈指のアイディアマンとして知られる天野春果氏と、その片腕として数々のイベントを取り仕切ってきた恋塚唯氏である。 「きっかけは、天野とサーキットを運営する会社の担当者さんとの話でした。その後、私がこの案件を任されることになり、1月の中旬から打ち合わせを始めました。2月10日には実際に担当の方とお会いして、そこからフォーミュラ・ニ
行列は、想像していた以上に長かった。 5月13日、岐阜の長良川競技場で行われたJ2リーグ第14節、FC岐阜対松本山雅FCの試合。この日、キックオフは19時、入場時間は16時45分となっていた。ちょうど開門直後に現場を訪れたのだが、すでに競技場のメーンゲートはグリーンのレプリカユニホームを着た地元ファンがずらりと並んでいる。昨シーズンに続き、今季もJ2リーグ最下位に低迷する岐阜だけに、スタンドが閑散としていたらどうしようと思っていたのだが、なかなかどうして、まったくの杞憂(きゆう)だったようだ(この日の公式入場者数は5088人)。 そんな中、行列に何やらチラシのようなものを配っているユニホーム姿の2人組を発見する。受け取った人々は、すぐさまそれを貪るように熟読し始める。どうやら単なる告知のチラシではないようだ。配布作業は、およそ20分で終了。 「これだけ早くまき終わったのは、たぶん(今
4月11日にJ1川崎フロンターレに所属するジェシが、算数ドリルを配布した。場所は川崎の練習場からも程近い片平小学校で、2009年に始まったこの活動において、選手が配布に参加するのは初めてのこととなった。 配布の対象となる6年生を前に、ジェシは桜に囲まれた学校の環境の素晴らしさを伝えつつ、勉強の大事さを切々と語りかけた。また子供たちからの「サッカー選手になるためにはどうすればいいのですか?」との質問に対し「サッカー選手になるには夢を持つことが大事です。わたしの場合、サッカー選手になる前にまず学校に通い、いろいろなことを学びました。ですから学校の中での規律、ルールを守り、暮らしの中でそれを学んでいってください。サッカー選手になるということに限らず、まず夢を持つこと。そしていまのルールを守り、両親の言うことをちゃんと聞いて、しっかりとした自分になることが大事だと思います」と答えていた。 配布
J1第5節は7日に8試合が行われ、浦和レッズは3−1で鹿島アントラーズを下した。試合は序盤から激しい点の取り合いとなった。前半2分に鹿島が興梠慎三のゴールで先制したが、浦和はその1分後にマルシオ・リシャルデス、続けてポポもゴールを決めてすぐさま逆転に成功。後半にも浦和はマルシオ・リシャルデスがこの日2点目を決めて突き放した。 試合後、若手選手の育成法に関して質問が飛んだペトロヴィッチ監督(浦和)は快勝したこともあって、「サッカーの話なら2日でも、3日でも話すよ」と、持論を展開した。 ――日本の若い選手は成長の伸びが遅い。それはボールのないところでサボっているからだと思うのだが、それを直すためにペトロヴィッチ監督が一番大事だと考えるのはどこか? まず、日本のサッカーのなかで問題になるのは、若い選手が1、2試合出て、メディアに載ることで彼らが持っている能力よりも高い評価をされてしまうこと
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く