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ブックマーク / yeemar.seesaa.net (7)

  • スクープ! 早大赤本の間違い見つけた

    大学入試の現代文を、久しぶりに読む機会がありました。印象として、以前(私が受験した1980年代)に比べ、出題される文章の質が上がっているようです。以前は、どう考えても読むのがむだでしかない、無内容な文章が出てきました。今回読んだ文章は、読みながら「なるほど」と考えさせられる、興味深いものが多くありました。もっとも、入試問題文の制約上、一部分だけの引用であるため、それを読んだだけで何かまとまった知識が得られるというものではないのですが(入試の文章だけ解いているのではだめで、1冊のを読む必要があるのはこのためです)。 それはともかく、私の答案を「赤」(教学社『大学入試シリーズ』)の解答と照らし合わせてみて、がっかりしました。ちょいちょい間違いがあって、どうも満点が取れないのです。まことにお恥ずかしい。日語を研究し、教えていながら、こんなざまでは困ります。うっかりしていた部分もあるし、引っ

    スクープ! 早大赤本の間違い見つけた
  • 「推量する」の意の「積もる」は使うか

    『三省堂国語辞典』の「積もる」には、「雪が積もる」と言うときの意味などとともに、〈考える。思いはかる。〉という意味が載っています。初版以来、この記述があり、前身に当たる『明解国語辞典』にも載っているので、えんえん引き継がれてきた語釈と言えます。 でも、私は、「考える」とか「思いはかる」とかいう意味で「積もる」を使いません。もちろん、「○○するつもり」と、名詞形の形では使いますが、動詞形では、自分も使わないし、現代語での例を見たこともありません。 ほかの辞書を引いてみると、『大辞林』第3版や『広辞苑』第6版には江戸時代の例が出ています。『日国語大辞典』第2版も江戸時代の例(4例)です。どうも、古い使い方ではないかと考えられます。『学研国語大辞典』第2版には、泉鏡花「照葉狂言」(1896年)および樋口一葉「われから」(1896年)の例が引いてありますが、近代の例としてもだいぶ早いものです。「

    「推量する」の意の「積もる」は使うか
    kits
    kits 2008/10/23
    「見積もる」があるので「積もる」に推量の意味が記載されていてもいいように思う。
  • 笹原宏之『訓読みのはなし』を読む

    漢字には何千年の歴史がありますが、時代によって、また地域によって変転をきわめてきました。けっして、使われ方の固定した、万古不易の文字ではありませんでした。日では、漢字は日語の一部として用いられ、中国とはまったく異なった展開を見せました。これは、笹原宏之氏が一貫して追究し、かつ証明してきたところです。 今のコンピュータ時代にあっても、日の漢字は変化し続けています。私自身も、ほうぼうでめずらしい漢字にしばしば出会って、そのたびに驚きます(「文字のスナップ」参照)。とはいえ、以前に比べれば、私たちはペンを持つことが少なくなり、書いた文字を人に見せる機会も減りました。まして、新しい漢字や漢字字体を生み出して流通させることもむずかしくなりました。私たちの書写生活の大部分は、規格化されたコンピュータ文字に支配され、画一化に向かっているとみることもできます。少なくとも、私はそうだろうと思っていまし

    笹原宏之『訓読みのはなし』を読む
    kits
    kits 2008/05/24
    進化する訓読み(←現代の驚異風)
  • 「号泣」の「誤用」成立まで

    三省堂辞書サイトでの連載に書いたばかりのことですが、『三省堂国語辞典』第6版に「号泣」の「誤用」の意味が入りました。いわく、(2)〔あやまって〕大いに なみだを流すこと。この用法の成立について、上の連載の文章に例を補ったりして、もう少し詳しく記してみます。 「号」は、「号令」「怒号」で分かるとおり、「さけぶ」という意味です。でも、大声をあげず、いわば「滂沱の涙を流す」とでもいうべき場合に使われているというのが、上の語釈の趣旨です。 声を上げない「号泣」については、早くは、橋五郎監修・読売新聞新日語取材班『乱れているか? テレビの言葉』(中公新書ラクレ 2004)p.26で触れられています(元の新聞記事は2003.10.09 夕刊 p.18)。ワイドショーなどでは、過剰な表現のタイトルを多用することが多い。「遺族号泣」「アジト潜入」「極秘入籍発覚」――。大げさな言葉で視聴者の目を引こうと

    「号泣」の「誤用」成立まで
  • 「腑に落ちる」は腑に落ちる

    井上ひさし氏の戯曲『雪やこんこん』(朝日新聞社 1987)を読んでいたら――読んでいたらといっても、もう20年も前の作品ですが、いろいろおもしろいことばがありました。その1つに「腑に落ちる」というのがあります。和子 なるとも、ならないでか。ま、さっきのおっかさんのお考えが腑{ふ}に落ちたこともあり、また、これから年の瀬にかけてはなにかと物入りだから、(p.124) 和子 (頷いて)そう見当をつけたら、昨夜{ゆうべ}からのことが何も彼も腑に落ちました。(p.178)私はこの作品を発表当時に読み、また、当時のこまつ座の舞台も見ましたが(余談、その時はこの作品の良さが分からなかった。今は分かります。もう一度舞台が見たい)、この「腑に落ちる」には注意を引かれませんでした。 今は注意を引かれます。というのも、「『腑に落ちる』は誤りだ、『腑に落ちない』としか言わない」という声をしばしば聞くようになった

    「腑に落ちる」は腑に落ちる
    kits
    kits 2008/04/07
    「現に存在し、現代の文章の名手も使っており、ことばとしても昔からある、ということが分かりました」腑に落ちました。
  • むずかしい漢字「油ちょう」

    冷凍ギョーザの毒物混入事件が報じられはじめたころ、テレビで毒物混入のルートを探る特集が放送されました。その中で、卸売り業者が冷凍品の輸入元について知らせるファクスが紹介されていました。表の中に、「油ちょう」という見慣れないことばがありました。てづくり野菜かき揚げ40(油ちょう済) 〔略〕 てづくりむきえびかき揚げ60油ちょう (NHK「クローズアップ現代・追跡・毒混入ルート ~中国製ギョーザ 深まる謎~」2008.02.04 19:30)「油ちょう」のような書き方は、「憂うつ」などと同じで交ぜ書きと言われます。もとは二字熟語で、「ちょう」も漢字で書いたはずです。どういう漢字だったのか知りたくなりました。 とりあえず、ウェブサイトを検索してみます。こういう場合、「ゆちょう」のようにひらがなで検索すると、用語解説のサイトなどで、漢字を示しているのに突き当たるものです。ところが、なかなかそれら

    むずかしい漢字「油ちょう」
  • 使うべし、「とんでもございません」

    新宿の地下街で書店に寄った際(3月7日)、『頭がいい人の敬語の使い方』(郷陽二著、日文芸社 2006)というを目にしました。いくつも重ねてあったので、売れているものとみえます。以前に出たなのに今になって気づいたわけは、帯に次のように大書してあったからです。使ってませんか!?/「とんでも/ございません」「おや、自分は『とんでもございません』という言い方を使っているが、誤りなのだろうか?」と思った人が手に取ることをねらっているものとみえます。 この「とんでもございません」は、たしかに、よく敬語の誤りの例として出されるものです。それで、帯で訴えるのにふさわしいと出版社は判断したのでしょう。インターネット書店で確認したかぎりでは(買わなかったので)、「「とんでもございません」はとんでもない誤用」という章または節もあるようです。 筆者の文章の細かいニュアンスを知らずにいうのも気が引けますが、

    使うべし、「とんでもございません」
    kits
    kits 2008/03/09
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