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2015年12月15日のブックマーク (10件)

  • 「NEWS23」岸井成格氏の発言が放送法違反なのは明白ではないか テレビ局の“傲慢”許すな (産経新聞) - Yahoo!ニュース

    政治的公平」をうたった放送法上、テレビの報道番組はどうあるべきかという問題は、私がこのコラムで昨年5月に提起させていただいたときも大きな反響いただき、議論になってきましたが、ここにきてまた注目されています。というのも、TBSの「NEWS23」の報道が「放送法違反だ」として、作曲家のすぎやまこういちさんが代表呼びかけ人を務める任意団体「放送法遵守を求める視聴者の会」が11月26日、番組アンカーの岸井成格(しげただ)氏やTBS、総務相に公開質問状を送ったからです。 私は以前から、とくに平成24年の安倍晋三政権発足以降は「NEWS23」や同じくTBSの「サンデーモーニング」、テレビ朝日の「報道ステーション」は、政治の問題を扱う際に明らかに特定のスタンス(はっきり言えば反安倍政権ですが)をとっており、放送法上疑義があると思っていたので、この動きは歓迎すべきことです。今回は改めてこの問題を考えて

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    kjin 2015/12/15
  • 川崎中1殺害「ここが犯人の自宅らしいよ」実名さらしネット中継、どんな問題がある? - 弁護士ドットコムニュース

    「ここが犯人の自宅らしいよ」。2月に少年3人が殺人容疑で逮捕された川崎市の中学1年生殺害事件で、逮捕された少年の自宅前とみられる場所から、ニコニコ生放送のユーザーが、ネット中継している動画が話題になっている。 このユーザーは、逮捕された少年の自宅前とみられる場所でネット中継を行い、マスコミの取材陣が集まっている様子や、親族とみられる人たちが出入りする様子を生中継していた。表札を映して、「犯人の名は●●、下の名前は●●」と個人名を口にしたり、「人を殺しているからね。まあしょうがないね」と取材陣が殺到していることについてコメントしていた。 この動画に対して、ネットユーザーからは「お前の行動力に脱帽した」「個人情報出すな、訴えられるぞ」「これが冤罪だったらどうするよ」など、さまざまなコメントが寄せられた。 最近の犯罪では、犯罪の容疑者の情報をネットでさらして、社会的な制裁を加える「私刑」が問題

    川崎中1殺害「ここが犯人の自宅らしいよ」実名さらしネット中継、どんな問題がある? - 弁護士ドットコムニュース
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    kjin 2015/12/15
  • 「放送法の解釈がでたらめだ」学者らがテレビ報道に対する「政治介入」を批判 - 弁護士ドットコムニュース

    「放送法の解釈がでたらめだ」学者らがテレビ報道に対する「政治介入」を批判 - 弁護士ドットコムニュース
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    kjin 2015/12/15
  • 「放送法の解釈がでたらめだ」学者らがテレビ報道に対する「政治介入」を批判 (弁護士ドットコム) - Yahoo!ニュース

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    kjin 2015/12/15
  • 極東ブログ: 仏教の考え方の難しいところ

    「仏教と大量殺人」というタイトルにしようかと思ったが、不用意に刺激的なのでいい加減なタイトルに変えた。たぶん普通の日人は仏教は不殺生の宗教なので、大量殺人を教義的に許容することなどありえないと考えるのではないか。実際夏安居などはジャイナ教かと思えるほどだ。あるいは多少日史を知っている人なら僧兵や願寺戦なども連想するかもしれないが、それでも仏教の教理において殺生を是とする考えがあるとは思わないだろう。しかし、子細に仏教を検討していくとそうとばかりもいえない。 歴史的に興味深いのは北魏における大乗の乱だろう。なぜかウィキペディアに項目がある(参照)。 大乗の乱(だいじょうのらん)とは、中国北魏の宗教反乱であるが、人を殺せば殺す程、教団内での位が上がるという教説に従った殺人集団であり、その背景には弥勒下生信仰があるとされる。 515年(延昌4年)6月、沙門の法慶が冀州(山東省)で反乱を起こ

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    kjin 2015/12/15
  • [書評]ブータン仏教から見た日本仏教(今枝由郎): 極東ブログ

    「ブータン仏教から見た日仏教(NHKブックス)」(今枝由郎)は標題のとおり、ブータン仏教から日の仏教はどう見えるかという話だ。 参照)があげられている。 私はこのをさっと読んだとき、別にどってことないだなと思った。日の仏教と仏教という宗教についての私の考えは、すでにこのブログになんどか書いてきたが、基的に私は日の仏教には批判的だ。 仏教入門その1(参照) 仏教入門その2(参照) 仏教入門その3(参照) 仏教入門その4(参照) 仏教入門おわり(補遺)(参照) 般若心経について(参照) [書評]砂漠と幻想の国 アフガニスタンの仏教(金岡秀友・菅沼晃・金岡都)(参照) ざっと思い返すとそんなところか。私は日の仏教に基的には批判的でもあるので、今枝由郎「ブータン仏教から見た日仏教」はむしろなじみやすかった。と同時に多少退屈な読書という感じもした。ブータンが抱える民族問題などに仏

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    kjin 2015/12/15
  • [書評] ハーバード大学は「音楽」で人を育てる 21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育(菅野恵理子): 極東ブログ

    リベラル・アーツ」とは何かというか、自分がたまたまそうした大学教育を受けてきたこともあり、その体験者の内側の思いを自著にも記したものだが、ひとつ、もどかしい思いも残った。リベラル・アーツと西洋音楽との関わりである。 この点については、cakesの連載で森有正や「のだめのカンタービレ」について扱ったおりにもいろいろ考えていた。簡単に言えば、「リベラル・アーツ」には音楽教育が不可欠なのではないか、ということだ。だが、さてそれをどう表現したものだろうか。それ以前にそれについてどう記したらよいのだろうか。 個人的なことだが加えて今年は、「ニーベルングの指環」に取り組む過程から、西洋における教養音楽の関係も一段自分なりの理解が深まり、西欧におけるリベラル・アーツの美しい姿が見えてくるように思えた。 その部分も簡単に言えば、教養・知性というのは、音楽を深く愛する、ということに関連している。 ただ、

    [書評] ハーバード大学は「音楽」で人を育てる 21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育(菅野恵理子): 極東ブログ
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    kjin 2015/12/15
  • ブログに書こうかと思って書かないでいたこと、としての東京オリンピックのエンブレム問題: 極東ブログ

    今年は気が付くとブログを書く量がぐっと減ってしまった。理由はいくつかある。個人的な理由が多い。それでも、これは書かねければいけないなという点は書いてきたようにも思う。「安保法制」など。しかしまあ、それはそれとして、ブログに書こうかと思って書かないでいたことも多かった。書いてもうんざりする事態になるだけじゃないかと予想がついてしまって、その時点でめげてしまう。その一つに東京オリンピックのエンブレム問題がある。 もう年末かあとも思うと、しかし、少し書いておきたい気にもなった。 要点のひとつは、こうだ。佐野研二郎氏による2020年東京オリンピックのエンブレムのデザインになんら問題はなかったではないか、ということだ。が、そういうとまさかと思う人が多いのではないかとも思う。 逆に、何が問題だったのだろうか? 盗作疑惑だろうか。そういう話題が多くあがっていたが、結果として、盗作の認定はされていなかった

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    kjin 2015/12/15
  • 川島なお美さん闘病手記「カーテンコール」で明らかになったこと - 大場大のブログ "セカンドオピニオン"

    川島なお美さんの闘病手記「カーテンコール」(新潮社) が日発売され、目を通してみました。芸能人ならではのリテラシー問題も垣間みえましたが、生活 (=life) の質というQOLではなく、人生 (=life) の質、生き方 (=life) の質というQOLを何よりも大切にされていたことが伺えました。あとは、書にたびたび登場してくる患者さんの藁にもすがる思いにつけ込んだ、「がんビジネス」が盛んなことにも驚きました。 そして、かねてから問題視してきた近藤誠氏によるセカンドオピニオンのまずい実態が明らかにされただけではなく、彼女が受けた腹腔鏡手術についての新たな疑問点もみえてきたので述べてみたいと思います。 書の中では、ドクターとの「お見合い」と記されているように、川島さんは自身が心底信頼の置ける医師を求めて、多くのセカンドオピニオンを受けていたようです。その中でも、近藤氏のもとへは2番目に

    川島なお美さん闘病手記「カーテンコール」で明らかになったこと - 大場大のブログ "セカンドオピニオン"
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    kjin 2015/12/15
  • 相手が下げた頭を、踏みつけてはいけない - インターネットの備忘録

    「引きどき」ってあると思うんです。 仕事で揉めたり、相手がよくわかんないこと言い出して拮抗状態になって、ウワーこれもうどうしよう、みたいになって、最終的にこっちに非がないことがわかって「まあまあじゃあここいらで一発手打ちにしましょうや」となり、相手が謝罪してきたとき。ついつい「ほらだから言っただろ」みたいになりがちなんですけど、こっちがまだ攻められる余地を少し残した状態で引くのがうまいやり方なんじゃないかな、と思うんですよね。最近、一緒に仕事してる人がこのへんすごく上手で、その線引きのポイントっていうのが「これ以上攻めると、相手のプライドを傷つける」と思うかどうかだそうなんです。 揉める、っていうのは、相手も少なからず自分の正義を信じて主張してきているわけですよね。もちろんこちらにも主張はあるので、そこ同士をぶつけた結果、こちらに理があるとなり、相手が折れた場合、次に何が大切かというと、「

    相手が下げた頭を、踏みつけてはいけない - インターネットの備忘録
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    kjin 2015/12/15