毎年恒例ですが、日本生産性本部が世界の労働生産性国際比較というのを発表し、世間の生産性概念をこれっぽっちもわかってない連中があれこれとろくでもない戯言をまき散らすという季節がやってきたようで、これまたもう何年も前から本ブログでの毎年恒例の行事になっちゃってますが、飽きもせず同じ事を繰り返すことといたしませう。 http://activity.jpc-net.jp/detail/01.data/activity001495.html (労働生産性の国際比較2016年版) http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161219/k10010812081000.html (労働生産性 日本は主要7か国の中で最下位) 従業員が一定の労働時間にどのくらいのモノやサービスを生み出すかを示す「労働生産性」の調査で、日本は小売り業や飲食業などで業務の効率化が進んでいないことなどか
歌って上手い下手が分かりやすいし、人によって歌い方とか声質の違いがめちゃくちゃあるから「あぁこれはあの人が歌ってるな」と「この歌あの人っぽい歌い方してるな」とか分かるんだけど。 楽器の演奏の場合、そういう個人ごとの特徴ってのがよく分からない。ギターとかピアノとか割とソロで演奏しているところ聞く機会も多いと思うんだけど、その人らしさ?みたいなものがよく分からない。 さすがに演奏が上手いことぐらいは理解できるけど、ズブのど素人だからある一定の上手さを超えるとAさんとBさんの演奏の違いとか癖?みたいなのがあるかどうかとか全然分かんない。 ソロ演奏ですらこのレベルだからバンドのベーシストとかドラマーの演奏の個性とか全然分からない。ベースは音が違うことくらいは分かるけどドラムは本当に分からない。 そしてどうやったらこういう演奏の特徴とかが聞き分けられるようになるのかも分からない。 分からない分からな
ブログやSNSが発達して、誰もがネット上に自分で撮影した写真をアップする時代になりました。 そこで問題になるのが「個人情報」です。 悪意がなくても、アップした写真によって他人の個人情報を公開してしまう可能性があります。 今回は、利用する写真の個人情報はどこまで意識しなければならないのか、解説します。 ナンバープレートで個人情報はバレない ネット上に画像を上げるときによく言われるのは「車のナンバープレートは隠さなくてはならない」ということです。 その理由として言われるのは「ナンバープレートから個人情報が分かってしまう」ということです。しかし、これは実は間違っています。 車の登録情報は、陸運局で管理されています。 そのため以前までは、ナンバープレートだけ分かれば、請求者が請求理由を記入し、身分証を提示すれば、その車の保有者の情報を取得することができました。 しかし、これでは犯罪に利用されてしま
大学の授業内で時々ミニレポートを書かせ、その提出をもって出席票に替えている。その日、家に帰って80人あまりの学生のミニレポートを読んでいたら、ほぼ同じ内容のミニレポートが続けて四枚出てきた。内容もそっくりなら書体もまるでそっくり。すぐに、これは全部一人の学生が書いたなと感じた。 おそらく、四人の中で一番文章量の多いAさんが「主犯」。あらかじめ頼まれていたAさんが、欠席している残りの三人の分も書いたのだ。そして次回は、その三人の中の誰かが「主犯」を引き受けるのだろう。他の学生の出席票も書いて出すとか、代返をするとかと同じ、昔からある大学生の不正互助行為である。 にしても、それを堂々とやっているのにちょっと驚いた。普通はバレないよう、内容や言葉遣いや書体を多少は変えるものだ。これでは「見つけて下さい」と言っているも同然。自分のも含めて四人分を時間内に書かねばならないということで、小細工している
大手広告会社、電通の新入社員だった高橋まつりさんが過労のため自殺してから25日で1年になりました。高橋さんの母親が寄せた手記の全文です。 まつりは、あの日どんなに辛かったか。人生の最後の数か月がどんなに苦しかったか。まつりはずっと頑張ってきました。就職活動のエントリーシートの自己PRの欄に、「逆境に対するストレスに強い」と書いていました。自分が困難な境遇にあっても絶望せずあきらめないで生きてきたからです。 10歳の時に中学受験をすることを自分で決めた時から、夢に向かって努力し続けてきました。凡才の私には娘を手助けできることは少なく、周囲の沢山の人が娘を応援してくれました。娘は、地域格差・教育格差・所得格差に時にはくじけそうになりながらも努力を続け、大学を卒業し就職しました。 電通に入ってからも、期待に応えようと手を抜くことなく仕事を続けたのだと思います。その結果、正常な判断ができないほどに
帰宅したら知らない男が私のお気に入りの包丁を握って、チキンソテーを作っていた… のではなく包丁で脅され犯されました。 私は警察に通報して起訴、裁判が終わるまで 調書の作成などをする日々が続きました。 起訴するための書類には、私が話した内容を元に刑事が私の気持ちを考えて 勝手にやや詩的な文章を作成してくれます。 裁判員の同情心を煽るような感情を交えながら事実を述べつつ 「犯人にはできるだけ重い刑を望みます」といったことが書かれますが 正直なところ判決の内容には興味がありませんでした。 奴のことが許せないだとか、不幸になれだとか、そのような感情は不思議と全くありません。 奴が牢の中でイイ子にしているかどうかのレポートが定期的に送られてくるのですが 評価が悪いとがっかりします。どうか更生してほしいと思うのです。 私は自分よりラクして幸せになる人を見ると不快になるようなイマドキの卑屈な人間なので
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