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ブックマーク / okadakenji.blogspot.com (2)

  • 大人の政治読本&愛おしき学生に告ぐ: 言葉にして、肉体を動かした人の意思は簡単に消えません

    「どうせ反対したって強行採決されちゃうんでしょ?」という気持ちはよくわかりますが、「どうせ死ぬんだから生きててもしょうがない」なんて思いませんよね。 同じことです。 しかも、反対にも色々なニュアンスがあって、それがこの先無駄になるということは確定していません。 人が「それはいかがなものか?」と実感して、肉体を動かして訴えた時、それは雲散霧消しません。 なぜならば、その後も、私たちには「言葉」があるからです。 「あの時反対したが、ま・た・反対する」と言うための手段があるからです。 まだ今のうちは。 どうせ強行採決されちゃう「のに」ではなく、どうせ強行採決される「から」、あるいは「けれど」、だからと言って「黙り込む理由」もありません。 反対した。 強く反対した。 弱めに反対した。 一生懸命に反対した。 性格に引きずられじんわりと反対した。 静かだが持続性の長い高いカロリーで反対した。 それほど

    kk_solanet
    kk_solanet 2015/07/15
    『意見を表明しながら生きる』。社会とはそういうものと僕は思う。《反対するのは、私たちが「民主社会を生きるために呼吸をしている」からです。》
  • 「公」(おおやけ)は「国家」とイコールではありません

    【公(おおやけ)の意味をすり合わせないから隣人を友人と気がつかないことになるのです】 人々が共同で大切にしたいと思うものは、大雑把な言葉を使っていてはなかなか発見できません。他者を重んじ、家族を愛し、地域に根ざし、ある種の共同性なしに自分の人生は立ち行かないと考えるなら、そしてその気持ちを共有しているなら、「公」(おおやけ)というものを漠然と「国家」という言葉に吸収させてしまうことは、非常にもったいないことです。なぜなら、我々にはともに守りたいと思うものがたくさんあるのに、この国家というビッグワードによって、それを協力しながら守ろうという気持ちが削がれてしまうからです。 国家という言葉の非常に困った側面です。 以下、私が考える公(おおやけ)の意味を示し、そう考える理由を書きます。 「公」というのは、実体として存在する組織ではなく、だから「国家」などというものには回収されません(そもそも、B

    kk_solanet
    kk_solanet 2015/04/26
    そこね。かつての小林はその国家と公の接続が杜撰だった印象。
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