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ブックマーク / mubou.seesaa.net (18)

  • 我々は「炎上すれば炎上する程喜んじゃう人」にどう対処すべきか: 不倒城

    目次・記事一覧(1) レトロゲーム(185) 日記(767) 雑文(511) 書籍・漫画関連(55) 子育て・子どもたち観察(115) ゲームブック(12) フォルクローレ・ケーナ・演奏関連(86) FF14(40) レトロでもないゲーム(334) 始めたばっか(13) アナログゲームいろいろ(37) 人狼(48) ネットの話やブログ論(60) 三国志大戦(20) 無謀的世評(52) ゴーストライター(16) 大航海時代ONLINE(38) FF3(6) Civ4(18)

    klim0824
    klim0824 2016/09/29
  • ネットゲームデータベース設計むかしばなし、あるいはとんでもないMMORPGの設計の話: 不倒城

    目次・記事一覧(1) レトロゲーム(185) 日記(772) 雑文(512) 書籍・漫画関連(56) 子育て・子どもたち観察(115) ゲームブック(12) フォルクローレ・ケーナ・演奏関連(86) FF14(40) レトロでもないゲーム(336) 始めたばっか(13) アナログゲームいろいろ(37) 人狼(48) ネットの話やブログ論(61) 三国志大戦(20) 無謀的世評(52) ゴーストライター(16) 大航海時代ONLINE(40) FF3(6) Civ4(18)

    klim0824
    klim0824 2016/05/30
  • ブログ○周年の記事の数が年を経るにつれてどんどん減っていく、というお話: 不倒城

    ふとどうでもいいことが気になったのでちょっと調べてみました。つまり、「ブログ一周年の記事はよく見かけるけれど、二周年、三周年の記事ってそんなには見かけないよね?」という疑問です。 単に観測範囲の問題かもしれないので、よくありそうな記事タイトルをダブルクオーテーションで囲って試しにぐぐってみました。検索設定やら表記ゆれやらで変動もしますが、大体の目安にはなると思います。 "ブログ一周年":約 61,900 件 "ブログ開設一周年":約 34,700 件 "ブログ二周年":約 8,470 件 "ブログ開設二周年":約 4,380 件 "ブログ三周年":約 3,950 件 "ブログ開設三周年":約 2,570 件 "ブログ四周年":約 1,580 件 "ブログ開設四周年":約 833 件 "ブログ五周年":約 2,970 件 "ブログ開設五周年":約 1,160 件 "ブログ十周年":約 1,2

  • 「読まずに馬鹿にする人」は珍しくもなんともないというお話、あるいは批評の追随者について: 不倒城

    こちらの記事を読みました。 私がラノベをバカにしている唯一の理由 私がラノベをバカにしている理由は簡単です、読んでいないから。それだけです。 読んでないくせにバカにするとか馬鹿じゃね?と思われるでしょうが、世の中のラノベをバカにしている多くの人はラノベを読んだことがなく、それでもバカにしています。 読んだことがないけれど、ラノベってハーレムで突然呪文を詠唱して、俺TUEEEEでラッキースケベを繰り返すだけでしょ、って思ってバカにするのです。読んでないけど多くのラノベがそうだと思っています。 率直に言いまして、「ラノベを馬鹿にするのは読んでないから」という点自体は、凄く的確だと私は思いました。なんかブコメとかtwitterとか見てると、色んな人に怒られてらっしゃいますけど。 ラノベ好きな方、記憶にありませんか。なんだか一部の作品のほんの一部分だけをあげつらわれて、ちょっと突っ込んでみるとなん

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    klim0824 2015/02/02
  • 不自由になっているのは、多分ブログやWebそれ自体じゃなくて: 不倒城

    例えば私たちが普段使っているブログサービスだとか、例えば私たちの情報収集手段だとか、例えば書き手としての私たちであるとか、例えば私たちの観測範囲それ自体とか、そういうもんなんじゃないかなあ、と思うのです。 こちらの記事を拝読しました。 最近、ブログが不自由になってきたと思いませんか? 特に反論とか意見提示とかではなく、上記の記事を読んで思いついたことを根拠なしに書きます。 箇条書きで言いたいことを書くと、下記の通りになります。 ・id:orangestar先生の所感、ないし慨嘆は、感覚としては分かる。閉塞感みたいなものは正直感じる ・けれど、少なくとも私に関して言えば、多分観測者としての感じ方、あるいは立ち位置の問題なんだと思う ・昔のWebって、確かに野放しだったし、わけが分かんないものがたくさんあふれていた。楽しかった。 ・けど、よく考えてみると、昔の自分が遊んでいた場所だって、別に「

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    klim0824 2015/01/05
    "「あるコンテンツが面白くなくなってきたと感じたら、まずコンテンツの質の低下ではなく、自分の感性の劣化を疑え」というのは金言だと思う"
  • JASRACがあまりにも藁人形にされ過ぎているように見えたので、ちゃんとした議論の為にちょっと緩和を試みてみる: 不倒城

    このニュースを見ました。 音楽の無断使用禁止求める 祇園のディスコにJASRACが仮処分申し立て 概略しか情報がないので判断が難しい部分もありますが、 同協会によると、同店は19年7月の営業開始から、利用契約を結ばないまま、店内でレコードやCDなどを流して著作権を侵害したとしている。経営者に面談や文書で20回以上、契約をするよう求めてきたが、応じなかったという。という記載を見る限りでは、スラップ訴訟のようには思えません。これだけ交渉して応じられないのであれば、法的手段以外にどんな手があるんだよ、という程度のレベルではあると思います。また、実施しているのも仮処分申し立てであって、いきなり損害賠償を求めるような内容ではないようです。むしろ、よくここまで放置していたな、という印象を受けます。 ところが、当該記事のコメントを見ていると、疾風怒濤のJASRAC非難・経営者擁護の嵐、罵倒や怒声の満漢全

  • 国語学研究員は、「日本語の乱れ」の夢を見るか: 不倒城

    最初に結論を書いてしまうと、言語に「乱れ」なんて存在しない、少なくとも非難されるようなものではない、というのが私のスタンスです。 多分、同じ研究をしていた人は大体そうなんじゃないかと思います。私の研究室で「日語の乱れだ!けしからん!」という考え方の人を観測したことは一度もなく、「なんか新しい口語用法だ!レポートのネタになる、逃がすな!!」って人ばっかりでした。 この記事の目次は下記の通りになります。 1.書いている人の立ち位置 2.国語学ってなんですか 3.で、「日語の乱れ」ってなんでしょうね 4.「正しい日語」とかいうものを商売のタネにする人達があんまり好きじゃない 順番にいきます。 1.書いている人の立ち位置 私は文学部出身でして、日語日文学、その中でも国文学ではなく国語学というものをやってました。古い日語から新しい日語まで、「言語としての日語」について研究する学問です

  • 「テレビに出られることが報酬」という意識について。: 不倒城

    いつものことだが、特に一般化するべき話題ではない。こんな考え方もあるのか、という程度で。 先日、某テレビ局に勤務している知人と話す機会があった。というか、とある飲みの場で一緒になった。 あまり世評がどうとかメディアがどうとかいう話にはならなかったのだが、ふとした拍子に「インタビューに対するインセンティブ」という話題が持ち上がった。通常、たとえば街頭インタビューなどで顔を晒してインタビューに応じている人は、顔を晒すというリスクの割に殆どインセンティブを受けていない。これは何故なのか、あるいは遠からずインセンティブを生じないインタビューというものは難しくなるのではないか。そんなことについては以前から考えていた。 それに対する回答がこうだった。「いや、テレビに出られるってことが十分インセンティブになるだろう?」 直感的には、私はその回答は余りにも時代錯誤だと思ったのでそう指摘したし、それ程深まり

    klim0824
    klim0824 2014/08/14
    2010年05月18日の記事
  • テレビ朝日様がなんか面白いことを始めようとしているようです: 不倒城

    いやーこれはテレビ朝日様の為にも宣伝に協力しないとなー。 テレビ朝日:みんながカメラマン 「自分が撮ったスクープ映像をテレビ朝日に送って、テレビに流してもらおう!これで君もジャーナリストだね!やったね!まあ無償だけどね!」みたいなコンセプトなんだと思います。 スクープのアウトソースを図るって報道局としてどうなの、という話もないではないですが、まあそれは今までも、youtubeの動画をパクってそのまま流しているだけの番組とか色々あった訳ですし、今更のことと考えて問題ないだろうとは思います。 ただ、 投稿者は、サイトに投稿データを投稿するにあたり、規約の全文をお読みいただき、規約に同意いただく必要があります。と謳っている割に、絶妙な感じでデフォルト非表示になっている規約については色々と興味深いです。 テレビ朝日様の説明の手間を省くために、重要そうなところを幾つか確認してみましょう。 4.

  • 小泉元首相のTwitter絡みの話がかなり面白いことになっている: 不倒城

    経緯観察の為自分用メモ。 小泉元首相がtwitterを始めたという宣言をツイートしたのが1/19。 Twitter:小泉純一郎 J.Koizumi このアカウントは認証済アカウント。つまり、Twitter社が「人です」と保証したアカウント、ということになります。流石は小泉元首相、既にして7万前後のフォロワー数を集めておられるようです。 と、思ったら、まさにこの文章を書いている段階で、いきなり上記アカウント、消えました。一国の首相を勤めた方の認証済アカウントが、一瞬にして完全削除です。一体どういうことなの。 一方、時事ドットコムからはこんな話が。 「ツイッター開始」を否定=なりすましの可能性-小泉事務所 小泉純一郎元首相の事務所は20日、短文投稿サイト「ツイッター」に小泉純一郎名のサイトが開設されたことについて「人はツイッターをやっていない。間違いだ」と全面否定するコメントを発表した。事

  • 安易な「気付き」には身構えた方がいいよなあ、という話: 不倒城

    「そうだったのか!」「今まで俺が信じていたことは間違いだったのか!」という感覚は、それが自分の根幹を揺るがすようなものでない限り、実はとっても気持ちいい。 固定観念に触れない程度の気付き、というものは快感だ。覚醒欲求、とでもいうのか。それとも真実欲求、とでもいうのか。どんなジャンルでもそうだが、大体の人は「勘違いしていた自分からの脱却」「正しい知識を得たことによるレベルアップ」という感覚にわりと弱い。 という話を、以下のようなリンクを読んで考えた。 「間髪をいれず」が殺された日 そうなんですよね。 上記の記事を乱暴に要約してしまうと、「来言葉は変化するものであって、「正しくはこう!」などということを希求することに意味などないのに、知ったかぶって「正しい日語」などというものを主張する輩によって言葉狩りが発生してしまう」という問題提起になる、と思う。 この問題提起については、私は全面的に賛

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    klim0824 2013/12/03
  • 「今日、幼稚園で何があった?」という質問が息子に嫌がられていた理由: 不倒城

    長男(幼稚園年中)と話していた際、ふと気付いたこと。よく考えてみればごく当然のことだったのだが、今まではっきりと認識出来ていなかったので、ちょっと書きとめておきたくなった。 子供たちや奥様と一緒に、風呂に入った時の話である。 我が家の風呂は、比較的早風呂である。とはいえ、風呂に入りながらも色々と話す。 息子さんとばしゃばしゃお湯をいじりながら、私はなんとはなしに、「今日、幼稚園で何があったー?」と聞いた。この時、彼は「もう、そんなにいろいろ聞かないでよー」という嫌がり方をしたのである。 ん、色々? 私が聞いたのは、「幼稚園でどんなことが起きたか」という一点だけであり、別に「色々な質問」をした訳ではない。そして、この質問をする前にしていた話は、お風呂で遊ぶおもちゃについての話であり、特段何か質問をした訳でもない。 実は、この質問に対して息子さんが難色を示すのは、初めてのことではない。いつもは

  • 近頃のヲチ界隈に関する苦言: 不倒城

    具体的にどの案件がどうのと申し上げるつもりはございませんが、最近のTogetterなど眺めるに、聊か案件の消費ペースが速すぎるのではないか、と思ったりする訳なのです。 あ、以下、ヲチという言葉の意味やニュアンスが分からない方には一切理解出来ない文脈で話が進みますのでご了承ください。ヘルプなどという便利なものは存在しません。 一般的なヲチ案件というものは、ざっくり下記のような流れで進むと思います。 1.ユニークな人登場 2.ユニークな人が誰かに絡んだりユニークな考えを周囲に披露したりする 3.周囲からあまりポジティブではない感想、リプライなどが戻ってくる 4.ユニークな人、更にエキサイトする 5.周囲を巻き込んで大炎上 6.鎮静化 細かい流れは色々ですし、最終的に6.鎮静化に至るパターンも色々ですが、大筋では上記パターンが多くのケースに当てはまると思います。 で、勿論この際、もっとも重要なメ

    klim0824
    klim0824 2012/04/26
  • 今だからこそ、「実名/匿名」問題を個人的に総括してみる。: 不倒城

    早い話、「実名/匿名」という基準と、「責任/無責任」という軸を結びつけて語る時代はとっくの昔に終わった、という話に落ち着くんじゃないかと思う。 先日Twitter周辺で、「匿名批判」を声高に論じている人を久々に見かけた。その際、この人は何をいっておるんじゃろうな、みたいな違和感を感じたので、ちょっと自分の中でその違和感をまとめてみたくなった。今更なあ、と自分でも思わないでもないが、整理の為ということでご容赦願いたい。 以下はおはなしの要点。 ・匿名批判の中核は、実名を出すかどうか、ということよりも「発言にリスクをとっているかとっていないか」「発言に責任をとっているかいないか」という部分にあると思う。 ・しかし、実名であること、匿名であることがどの程度のリスクになるか、というものは人それぞれであって、責任ある発言・無責任な発言を保証するものではない。ありふれた名前の人、珍しい名前の人、実生活

  • 今まで散々報道されてきたことを「報道されていなかった」「マスコミに隠された真実」などと評することがマジックワードになりつつあるような気がする: 不倒城

    タイトルで完結しているのだけれど。 「新聞やテレビなどで報道されたか、されなかったか」というのを検証するコストは、確かに非常に高い。Webのコンテンツは基的には永遠に残るが、新聞やテレビの過去分のアーカイブを検索するのは、Webに比べれば恐ろしい程手間がかかるし、場合によっては不可能だったりする。一つのテキストが正しいかどうかを検証するだけの為に、図書館にいってマイクロフィルムを漁るのは、Googleを数クリックする手間にくらべれば死ぬ程面倒くさい。 ただ、多分それが理由の一つで、「今まで報道されなかった」「マスコミが隠していた」という言葉が、Web上の反応を煽る為にお手軽に使われるようになりつつある現状、みたいなものがあるような気がする。 たとえば。 日経済の不都合な真実 何故、日経済の不都合な真実は報道されなかったのか? 今回紹介した、『日の産業を巡る現状と課題』の個々の資料は

  • ネット上では「誰も有名人である必要はない」: 不倒城

    まあ理想論なんだろうけど。 ネットでは「誰もが有名人」である 先日、Twitter上で有名人 vs 自称非有名人という構図のバトルが発生しました。自称非有名人であるユーザが有名人に対して批判的な意見を「個人的なつぶやき」としてTwitterに書き込んだ事が発端でした。この批判的な意見は有名人に届き、有名人はTwitterで反論を行いました。 反論された自称非有名人は「テレビに出てる人に文句言ってる感覚」という感想とともに謝罪を行いつつ、有名人が反論するのは「大人げない」と不満をTwitterやブログに書き込みました。それらの推移を多くのネットユーザが見つつ、様々な意見が様々な人々によって様々な媒体を使ってネット上に吐き出されました。 今回の件のように「引っ張り出される」という状況は、ネットのフラットさが生んだ現象なのかも知れません。現在のWebの世界は善くも悪くもフラットな一面を持っていま

    klim0824
    klim0824 2009/09/02
    "現実で話しかけにくい人とがんがん議論が出来てこそ、Webのメリットを100%生かしきることになるんじゃないか"
  • 不倒城: 面接官をやり始めて分かったことと、思ったこと。

    ここしばらく、新卒・中途問わず面接の場に出たり、別の面接官の人と色々話したりした。 で、色々と、面接する側に立ってみて初めて分かることが結構あるなあと思ったりもした。ちょっとメモっておく。 ○面接側の事情について思ったこと。 ・「縁」とは、特筆するべき事由が特にない時、強引に理由付けをする為に存在する言葉。 ・面接をする側にもモチベーションと切迫具合というものがある。 ・当に人手不足の場合と、採用計画の消化過程にある場合では、切迫具合がまったく異なる。人を見る目にもかなりの差が出る。 ・面接官に人を見る目があると思ったら大間違いである。また、面接官が現場を熟知していると思ったら大間違いである。 ・特に中小企業において、面接という仕事は往々にして面接官の業ではない。面接官は、大抵の場合他にもどっさりと仕事を抱えている。つまり、面接という場にやる気なく臨んでいる人も割といる。 ・「弊社を希

  • 「嫌うスタンス」にまつわる色々。: 不倒城

    ふと気付いてみると、今の私には「嫌いな人」がいない。 ここ数日妙に色々と立て込んでいて、Webでのアンテナを下げていた折。職場で例によって他部署の同僚の愚痴を聞いている時、ふと違和感を感じた。 何でこの人は、そんな簡単に人を嫌いになれるんだろうなあ、と。 同じく、ちょっと仕事が立て込んでいて、現実逃避にブログをぶらぶらとしている折。多分同じ様な違和感を感じた。 何でこの人は、そんな簡単に人格否定の文言を形に出来るんだろうなあ、と。 ちょっと雑然とした話になりそうなので、まず先に思ったことをまとめておく。 ・「人を嫌う為のコスト」というものがある様な気がする。そして、それは人それぞれ、結構差があるものである様な気がする。 ・私に関する限り。ろくに知りもしない人を嫌いにはなれない。そして、ある程度その人のことを知ると、結構色々と面白い部分があるので嫌いになれない。 ・それは私が「色んな人を深く

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