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ブックマーク / blog.szk.cc (17)

  • 社会学は何をしているのか

    「何をしているのか分からない」 社会学部の教員をしているとぶつかる壁のひとつに「社会学を宣伝することの難しさ」がある。社会学部の教員も学生も、「社会学部って何をするところ?」とよく聞かれるのに、それに答えられないというのだ。もっとも「じゃあ経済学部では何を勉強するか知ってる?」と聞いても「経済のことを勉強するんでしょ」という、おそらく経済学者なら間違いだと言うだろう回答しか返ってこないわけだから、「社会学は説明が難しい」というのも思い込みでしかないのだけれど。 一昔前の日の教科書では、「社会学は常識を疑う学問です」なんて書かれていた。けれどこの説明も、もう古臭いものになっている(この辺についてはこのや講義動画を参照)。最近の説明としては、日社会学会の社会学部への進学を考えている人向けのサイトで示されている「異なる価値観をもった人間たちが多数集まって形成されるこの社会を解き明かす学問」

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  • イノベーションとボトルネック

    もう先月の話になるのだけど、名古屋方面に出かける用事があったついでに、以前から気になっていたトヨタ産業技術記念館に足を伸ばしてみた。もともとは豊田紡績の工場があったところに、その外観を活かしながら作られた紡績と自動車の技術史を展示するミュージアムだ。こういう企業博物館を見るとつい「この人たちの雇用ってどうなってるんだろう」というのが気になってしまうのだけど、社の皆さんも研修で訪れるという中の展示はとても示唆に富むもので、解説の方のお話にも聞き入ってしまった。気づけば当初の予定を超えて何時間も居座ってしまったにもかかわらず、それでも自動車の方は駆け足になってしまったので、また時間を見つけて行きたいなと思う。 時間をってしまった最大の原因は、ちょうど紡績技術のイノベーションと産業革命について考えていたところだったので、そのヒントになるような展示がたくさんあったからだ。世界史の時間に習ったと

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  • 「パワー・トゥ・ザ・ピープル」の世界

    ICTを巡る議論の中で、いわば「お約束」というか、定番のストーリーとなっているものがある。新たなテクノロジーの普及によって、グーテンベルクの活版印刷が市民革命を生み出したのと同じような革命が起きる、というものだ。とはいえ42行聖書の印刷が1455年、名誉革命が1688年とかなので、両者の間にどのくらい直接的な因果関係があるのかは謎だし、間に200年も開いてるのだから、いま起きている技術革新が革命につながるまで何年かかることやら、とか、突っ込みどころは満載なのだけど。 ところがこの数年、「世界のパワーシフトが起きる」という話がやたらと目につく。エリック・ブリニョルフソン『機械との競争』(邦訳2013)、ニコ・メレ『ビッグの終焉』(邦訳2014)、ジェレミー・リフキン『限界費用ゼロ社会』(邦訳2015)、マーティン・フォード『ロボットの脅威』(邦訳2015)などなど、同じようなが次から次へと

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    klim0824 2015/12/31
  • 対談:鈴木謙介×東浩紀「1995/2015――いま人文知は必要か」

    鈴木謙介×東浩紀「1995/2015――いま人文知は必要か」 @hazuma 前売2600円(1ドリンク付き)/ゲンロン友の会会員証または学生証のご提示で2100円(1ドリンク付き)に! 詳細 当日券は3100円 (1ドリンク付き)です。ゲンロン友の会会員証または学生証のご提示で2600円(1ドリンク付き)になります。 友の会会員限定席を複数予約される場合は、お連れの方が会員でなくても結構です。 お席はチケットの申し込み順ではなく、当日会場にご来場頂いた順にご案内致します。 開場時間はイベント開始1時間前の18:00となります。 【イベント概要】 6月28日、東浩紀が6年ぶりに『文化系トークラジオ Life』に出演した(電話出演)。 大学における文学部の価値が問われ、人文知そのもののプレゼンスが低下するなかで、現代における人文知の役割はいったいなんなのか。そして、それは当に維持可能なのか

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    klim0824 2015/08/20
  • スマートトイの不思議な世界

    ゆえあって、子ども向けスマートトイについて調べているのだけど、まあ面白いというかなんというか。海外においては、子どもと消費は消費社会研究の立派ないちジャンルだけど、日だとどうしても教育学、幼児教育の方向で、消費社会の研究ではなく、いかにして(悪いことが前提の)消費から子どもを守るかという話になっちゃうわけで、なかなか商品のほうにフォーカスした話にならない。 で、スマホもどきがこの分野では先頭を走ってるわけだけど、 ママとつながるスマホ|Fairisia(フェアリシア) Jewelpod Diamond Premium|セガトイズ ちゃおガールセレクトオンライン|スマトモ|プレミアムバンダイ マイタッチスマート LINE FRIENDS|タカラトミー Android搭載で3G通信できるよっていう格安スマホみたいなものから、LINEもどきのコミュニケーションができるものまでまあ色々。それより

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  • 欲望するは我にあり

    6月は気づけば講義期間も山場で、何か見た映画もブログに書くほどではないという感じのまま終わってしまった(試写で拝見した『あえかなる部屋 内藤礼と、光たち』は、公式サイトにコメントを載せてもらったけど)。7月には勤め先の研究所の報告もあって、ややハードな研究活動をしていることもあり、どうにも振れ幅が大きい。 そんな中で、主張の新幹線で読んだ、佐藤尚之『明日のプランニング』がちょっと面白かった。というか、刺激を受けた。昨年、このブログでIPPS消費について書いて以来、色んなところで消費の話をする機会に恵まれていて(たとえばこちら)、その関係もあって消費論やマーケティング論にも手を伸ばしているのだけど、基線として思うところは重なりつつ、落とし所は違う視点という感じだろうか。 書の前提となるのは、日にはまだ7000万人ほどの「非アクティブ」なネットユーザーがいて、そこが、いまミリ単位でしの

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    klim0824 2015/07/09
  • 「考えていない」ということ

    若い子、特に男の子たちを見ていると、ほんとうに「何も考えていない」というのに出くわすことがある。頭が悪いという意味じゃない。たとえば誰かが傷ついて悲しんでいるときに、相手の感情を慮って慰めるのではなく、この場においては「はげます」コマンドが正解だ、という考え方で行動してしまうような。 直感で行動するというのも違う。考えるより先に正解の行動を探してしまうというのかもしれない。その行動が正解であるかどうかは一般論では判断できず、両者の関係やそれまでの経緯に左右されるはずだし、行為とその結果の関係も不確定だ。問題は慰めたいという気持ちはあるのに、相手について思考することを投げ出しているその点にある。 そうした傾向は言葉選びにも現れる。どんな文章も「事実」と「感想・主張」で構成されるのだけど、よく考えていない人の文章は、事実ばかりで感想がない。たまたま今朝見ていたふたつの文章が、その対比をよく示し

    「考えていない」ということ
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    klim0824 2015/06/08
  • 大学が促す「友だちづくり」?

    自分がいま勤め先で手がけている仕事に関連して、ちょっとタイムリーなニュースが出ていた。 新学期が始まって1か月余りが過ぎましたが、入学する前からSNS=ソーシャルネットワーキングサービスで友達グループができているなど、学生の友人関係が変化していると感じている大学が9割に上り、人間関係の不安を解消するために相談コーナーを設けたり友達づくりのイベントを行ったりしていることが、NHKのアンケート調査で分かりました。 9割の大学 “学生の友人関係 変化感じる” NHKニュース この種のニュースはどうしても「現代の大学生(若者)」一般を巡る大きな傾向として捉えられるし、反応する読み手の側も自分の体験に照らして色んなことを言うから話がまとまりにくい。大学関係者の中でも意見が分かれるところなので、ちょっとこの機会に自分が取り組んでいることについて書いておきたい。 「ピア・エデュケーション」の取り組み 勤

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  • 「スマホ依存」に対する誤解

    信州大学の入学式における、山沢学長のスピーチが話題になっている。先行する記事で「スマホやめるか、大学やめるか」の見出しとともに 山沢学長は、昨今の若者世代がスマートフォン偏重や依存症になっている風潮を憂慮。「スイッチを切ってを読み、友だちと話し、自分で考える習慣をつけ、物事を根から考えて全力で行動することが独創性豊かな学生を育てる」と語りかけた。 と報じられたのが原因だ。この記述だけでもちょっとまずいな、と思っていたのだけど、全文を読んでみて、その思いが確かになった。なので、この件について手短に。 まず、全文が出たことで「やっぱり言ってることはまともだった」という感想が多いことについて、僕も異論はない。最初から「大学でスマホを禁止する」などと言っているとは思わなかったし、入学式のスピーチでそんな極端なことを言うはずもないだろうと思っていたからだ。 だが問題なのは、「スマホ依存症」に対す

    「スマホ依存」に対する誤解
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    klim0824 2015/04/06
    "ネット依存やスマホ依存は、近年になって教育関係者の間で問題視されるようになり、また臨床分野での研究も進んできているけれど、社会学においては、既に10年近い研究蓄積のある分野"
  • 「体系の学び」をデザインする

    4月になると新年度の始まり、というけど、社会人になると「新年度を始めるための準備」が前年度末に続くので、さてここからスタート、というほどの区切りはない。むしろそういう区切りがあるのは、新入社員だとか新入学生といった人たちだろう。で、このブログでは入学式が執り行われるこの時期に、そんな新入生向けに学びをめぐるエッセイを書いている。さすがにもう一般論的な話は尽きているので、今年は少し勤め先に寄せた話でも。昨年のエントリから辿ってもらえれば一般論的なことは読めると思う。 「頑張り迷子」にならないために 今年は、宣伝がてらいままでとは違う話を。昨今の大学は、今の子たちの親の世代と比べても、学びの幅が大きく広がっていると思う。かつて専門科目と対置された一般教養科目の扱いが小さくなった一方で、キャリア科目や留学など、より大きなカテゴリーで人格を形成するような学びの場が増えた。その結果、「数の頑張り」が

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  • 「わたしたち消費」からIPPS消費へ

    先日、僕がパーソナリティをつとめているラジオ番組「文化系トークラジオLife」のためにひねりだした「IPPS」という消費モデル。その後いろいろと考えてみたら面白くなってきたので、現時点で思ったことをまとめておきたい。 そもそもこの消費モデルの背景には、広告業界でよく言われてきた消費者行動モデルがある。2000年代に入って、それまで標準モデルだとされていいた「AIDMA」に代わって、電通が「AISAS」モデルを提唱する。「Attention → Interest → Search → Action → Share」と連なるこの行動モデルでは、広告がイニシアチブを持っていた「消費者の注意喚起」ではなく、「ネットでの主体的な情報収集」や「購買後の感想のシェア」といった消費者側の行動が、購買に強い影響を持つことを示唆したものだった。 震災後になって、佐藤尚之さんが「SIPS」モデルを提唱した背景に

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    klim0824 2014/11/03
  • テレビといっしょ

    メディアの中の人と話をする機会がたまにある。たいてい「なぜテレビは見られなくなったのか」的な文脈で話を振られることが多いから、チャネルが増えたんだからそちらの利用率が上がれば相対的に視聴時間とか減るでしょうとか、テレビって社会的文脈の中で見られるわけだから、それが変わっちゃったんじゃないですかとか、いやそうはいっても用途によっては信頼度高いし、ネットにどっぷり浸かってコミュニケーションとか若者でも一部だし、まして大人になってからも続けられる暇人なんてそんないませんぜって返してる。のだけど、反応は芳しくない。 その一方で、高齢者の話とかには割といつかれる。というのも、彼らの中に「高齢者」ってカテゴリーがひとつか、ないし後期高齢者は別ねってくらいのカテゴリーしかないからだ。おそらく、世代と性別で区分したカテゴリーをターゲットとして設定すれば広告や視聴行動を予測できるくらいにライフスタイルが単

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    klim0824 2014/01/07
  • リアル空間を付加価値化する

    前のエントリの続きなんだけど、日時的には放送文化研究所シンポジウムの一週間前に行われた日マーケティング協会のセミナー「『ソーシャルエコノミー』の時代」も楽しかった。事前打ち合わせでは盛り上がりすぎて、喉も枯れてたのに2時間くらい喋り倒したり。セミナーそのものは、ソーシャルメディアでの活発なコミュニケーションをどう企業・ブランドへのロイヤリティにつなげるかみたいな話で、まあそれはそれでいいのだけど、個人的には「場所貸し」の発想でいった方がいいんじゃない?という話をしていたのだった。 ソーシャルメディアとは何か、みたいな話にはなかなか答えられないのだけど、マーケティングの文脈で考えるなら、それは付加価値化のための手段ということになると思う。つまり、ソーシャルメディア上のコミュニケーションで、対象となる商品を付加価値化するということで、いわば販促目的の利用ということになる 別のところでも論じた

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    klim0824 2013/07/03
  • ウェブの賑わいと「孤独なお茶の間」

    長いことブログを更新する余裕とモチベーションがなかったのだけど、少し思うところがあって再開してみようと思う。というのもこの春くらいからいくつかマーケティング絡みの仕事をして、その流れで考えたことが色々あったのと、同時期に書いていたがめでたく夏頃には刊行できそう(ステマですよ奥さん)だからだ。 大きなところで言うと、3月15日に開催された放送文化研究所のシンポジウム「ソーシャルパワーがテレビを変える」。放文研の調査データの紹介と、それをもとにしたパネリストの議論が中心の回だったのだけど、やっぱりもにょもにょとした印象はぬぐえなかった。 データそのものは面白い。実際の番組で用いられたソーシャルメディアとの連動企画に参加した人がどのくらいいたのかといった数字は、この分野に関心のある人ならまず知りたいところだろう。で、ふたを開けてみると、アクティブに参加するのはおおむね視聴率に対して1割、裾野を

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  • 現実にウソを混ぜる

    たまたま話題になってたので見てしまったこのCM。感動の嵐と紹介されている割にはちっとも心を動かされなくて、全体的にしらーっとしてしまったのだけど、それはなんでなんだろうということを考えてみた。 比較対象としてすぐに思いついたのは「のどごし〈生〉」のキャンペーン「夢のドリーム」シリーズだ。第一弾「プロレス篇」なんか普通にうるっとくるわけだけど、この差はなんだろうというところにポイントがある。 かいつまんで説明すると、ふたつのお話はともに「ありそうもないこと」を描いている。バスケの場合は「いつかシュートが決まる」だし、プロレスなら「長州力と対戦する」だ。そしてその目標のために努力する、という点も似ている。でも両者は、決定的に違う。 何が違うのか。前者では「誰の身にも起こりそうなこと」を、美男美女ばかりが登場するCMとして仕立て上げるための演出がほどこされている。それに対して後者では、「普通は絶

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  • ソーシャル化で失われるモノ?

    これは僕の話じゃなくて一般的な傾向として、「ソーシャル化」の流れを許せない人というのがいる。この場合のソーシャル化とは、さまざまなコンテンツやデバイスがソーシャルメディアと連携したものになるとか、オンラインでのコミュニケーションと統合されていくとかそういうこと。ゲームの世界なんかではソーシャル批判が根強くて……なんてことを考えていたらこんなエントリも飛び出した。 「こっちは人とコミュニケーションしたくなくてゲームの世界に来てんのに、そこでも人間関係を求められてウザい」って文句は割と以前からあって、僕もそっち派ではある。でもこれってすごく示唆的で、早くからユーザーたちは、ソーシャル化ってことはつまりオンラインの世界が現実と同じものになる(そのことによって最大の魅力を失う)ということを感じ取っていたわけだ。 しかし、それで失われるものってなんだろう、とも思う。一応日の社会学で語られてきたこと

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    klim0824 2012/03/28
  • 教科書を読もう

    こないだの放送で説明しようと思っててできなかった話に、「教科書」の話題があったことを思い出したので書き付けておきたい。多くの大学生にとって、講義を受けるに当たっての教科書のコストというのは割と半端なくて、例えば甲南大学では平均すると3万円から4万円の教科書代がかかるのだという。このコストは事前に明示されることは(特に文系の場合)ほとんどなく、いざ講義を受けようと思ったところで示される場合が多い。保護者の経済状況の変化から学費を払えずに中退する学生が増えているという話は注目されても、カネがなくて教科書を買えないという話は、学生の怠慢扱いされてしまうので、あまり取り上げられることがない。 そもそも教科書代が高いのはなぜか。そこには構造的な問題があって、まず指摘しておかなければならないのは、教材の開発、つまり教科書を書くことが、研究者の業績の一部として認められているということ。教科書執筆は、研究

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