タグ

考え方に関するknighthaltのブックマーク (59)

  • 為末大さん「我慢と部活動と鬱について。」

    爲末大 Dai Tamesue @daijapan 昨日の返信で、部活動は我慢を覚える事と、人とうまくやっていく事を学ぶ側面があるという意見が多かった。これはすごく象徴的なのでこれについて話したいと思う。日では、途中で止めたり、やる事を変えたり、合わない人を避ける事を逃げだと感じる人が多い。 爲末大 Dai Tamesue @daijapan これは根強く大人になっても残っていて、僕はの原因に少なからず影響していると思う。止める事や集団に合わせられず組織から抜ける事を恥だと感じていてぎりぎりまで我慢する。それで自分の状態には無頓着だったりすると、自分の精神と身体が追い込まれる事がよくある。 爲末大 Dai Tamesue @daijapan 何もかもから逃げるとそれは確かに癖になる。ある程度は我慢して続ける事は大事だし、集団に自分を合わせる事も大事。でも苦しいなと思った時、それは甘えな

    為末大さん「我慢と部活動と鬱について。」
  • 『エルシャダイ』のディレクター竹安佐和記氏によるセミナーが開催 - ファミ通.com

    『エルシャダイ』のディレクター竹安佐和記氏によるセミナーが、京都にある立命館大学衣笠キャンパスにて開催された。 2011年5月20日、京都にある立命館大学衣笠キャンパスにて、『El Shaddai ASCENSION OF THE METATRON(エルシャダイ アセンション オブ ザ メタトロン)』(以下、『エルシャダイ』)のディレクター竹安佐和記氏によるセミナーが開催された。これは、立命館大学の映像学部が主催する“クリエイティブリーダーシップセミナー”のひとつで、講演とパネルディスカッションという2部構成。第1部は、この講演のために用意したというムービー『8分間でわかるエルシャダイ』の上映からスタート。その後、『ギデオン』という小説を出版し、ゲームの開発者としてだけでなく作家としても活動している竹安氏が、自身の学生時代からカプコン在籍時代、そして『エルシャダイ』の開発に身を投じた中で経

  • 理不尽にやると上手くいく - レジデント初期研修用資料

    ちょっと前、「ジューサーの中に金魚を入れる」という現代美術の展示があった。 ジューサーの中に金魚と水が入っていて、スイッチだけリモコンで、観客の側に置かれる。観客は誰もがそのスイッチを押すことができるようになっていて、「いつでも金魚を殺せる」という、その感覚が展示になっていた。 金魚の寿命を延ばすもの この展示で、実際にボタンを押せた人はたぶんいないのだろうけれど、これをたとえば、ジューサーに入れた金魚をインターネットで公開して、ネットの向こう側にいる誰もが、匿名のままそのボタンをクリックできるようにしておくと、誰かがボタンを押してしまう。多数決ルールを導入して、「ボタンを押した人が累計で10人を超えたら、ジューサーの電源が入ります」という看板を出しておくと、ボタンが押される閾値はますます下がる。 匿名ルールを廃して、たとえばTwitter のような、押した人をある程度トレースできるメディ

  • 明石家さんまと伊集院光、それぞれが見つけた魔法のカギ - 凹レンズログ

    明石家さんまは「楽しいということ」について、伊集院光は「リアリティと分かりやすさの共存」について、非常に興味深い発想の転換を経験しています。タイプは若干異なるのですが、そのパラダイムの転換が非常に力強く、心を打たれる部分があったので紹介します。 明石家さんまの「楽しさ」のカギ これは、「ほぼ日刊イトイ新聞」睡眠論で連載されていた糸井重里と明石家さんまの対談です。もはや、ページは消滅しています。ただし、魚拓は読むことができます。 第17回 師匠 http://s04.megalodon.jp/2008-0214-2253-32/www.1101.com/suimin/samma/2008-02-12.html さんま  昔ね、うちの師匠(笑福亭松之助)から言われて、これは助かったなということがありまして。我々の弟子稼業というのは、掃除をさせられるじゃないですか。で、掃除をしていると師匠が、「

    明石家さんまと伊集院光、それぞれが見つけた魔法のカギ - 凹レンズログ
  • Mellow My Mind - 「『あまえる』ということについて」を読んで

    「人はさびしいとおかしくなるネ」「人は自己欺瞞をかかえているとおかしくなるネ」「てゆか人がおかしくなる状況ってほとんどこの2つの複合技だよネ」なんてことを30年以上ぼんやり生きてきてなんとなく理解するに至りまして、さてそれでは自分のおかしいところをどうやってほどいていったらいいんだべ、とか思ったりしてるわけですが、たまたま手に取ったこのの一番最後に載っていた文章を読んでたいへんな衝撃をうけました。日語ということば (Little Selectionsあなたのための小さな物語)作者: 赤木かん子出版社/メーカー: ポプラ社発売日: 2002/05メディア: 単行このシリーズは、赤木かん子さんがテーマに合わせて、古今東西の名文家によって描かれたいろいろな短編を選んでまとめたものです*1。わたしが最も衝撃を受けたのは、「『あまえる』ということについて」という、筆者が幼い頃の思い出を重ねて宮

  • dez:G 泥棒しない宣言

    かすかな引っかかり 以前から気にはなっていたのだけれど、やっぱりRPGの中でも泥棒はしない方がいいと思う。 割とはっきりそのことを認識させられたのが、ゲームボーイアドバンス(GBA)用ソフト「ファイナルファンタジー4アドバンス(FF4A)」のおまけイベントに取り組んだとき。聖戦士パラディンとなったはずの主人公セシルに、試練が襲い掛かる。 困っている人を見捨てないか、失敗をごまかさないか、弱き者の言葉に耳を傾けるか、といった徳目と並んで、善良な市民のお宝を盗まないか、が繰り返し問われるのだ。 私はここにゲーム製作者の苦悩を見た思いがした。心の汚れたユーザーたちの要求に応えて民家やお墓などにお宝を用意してきたわけだけれども、それは元来、物語の筋に影響しない市井の人々のせりふを作り込むのと同様の意図によるものであって、泥棒を推奨したいわけでは決してないのだ、と。 もちろんプレーヤーたちにも言い

  • 新しいから傷つける - 傘をひらいて、空を

    友だちの家のPCの動作がおかしいというので見にいった。だいぶ古くて起動に十分もかかる状態だったので、さしあたり彼女が必要としているDVDの再生ができるようにクリーンインストールすることにした。 彼女の仕事用の携帯電話が鳴り、彼女は私にことわって出た。はい、いつもお世話になっております。いえいえ、はい、なるほど、担当がそのようなことを申しましたか。 彼女は五分ほど電話で話しつづけた。ほとんどは相槌だった。いろいろな種類の、さまざまな重さの、一定以上の温度を保った相槌だ。彼女はそのあと、仕事にしてはいささか親しげに短く笑って、いいえ、いいんですよ、と言ってから電話を切った。 私はBIOSを確認し、それを覗いた彼女はなんだか怖そうな画面、とつぶやく。怖くないよ、これはWindowsの下に入っているソフトなんだよと私は説明する。 ディスクがかりかりと音をたてて書きこみをはじめる。私は彼女の出してく

    新しいから傷つける - 傘をひらいて、空を
  • なんでも自分に関連付けてしまう人には、インターネットは難しい - シロクマの屑籠

    「自意識当たり判定」で考える「アクティブ・パッシブスルー力」 - conflict error あなたの自意識の当たり判定はどのぐらいですか? - ARTIFACT@ハテナ系 ちょうど2年ぐらい前、「自意識の当たり判定が大きい」という、ゲームに喩えた面白い記事を読んだことがあった(上記リンク先)。ネット上のテキストを読んだらすぐ自分のことだと思ってしまって、脊髄反射的に怒り出してしまうような、そういう過剰な自意識を上手く言い表したメタファーだったと思う。 この「自意識の当たり判定が大きい」を思い出すような出来事を最近チラチラ見かけることがあり、思うところがあったので、少し表現を改めてまとめ直してみようと思う。 自意識の当たり判定が大きい⇒自分への関連付け範囲が広い 「自意識の当たり判定が大きい」という喩えを、ちょっと違う視点で眺め直してみるなら、「自分への関連付け範囲が広い」ってことでもあ

    なんでも自分に関連付けてしまう人には、インターネットは難しい - シロクマの屑籠
  • ウド鈴木に学ぶ関根勤の21世紀を生き抜く方法 - てれびのスキマ

    11月10日深夜に放送された『カタリダス』。 この番組はD-BOYSらを聞き手に様々なジャンルの「賢人」たちがあるテーマについて講義風に語るというものです。 今回のゲスト(賢人)は関根勤。 彼が選んだテーマは「21世紀を生き抜くためには」 そこで関根は嫉妬さえ覚えるほど憧れているというウド鈴木の魅力についてたっぷりと語っていました。 あまりにも面白かったので書き起こしてみたいと思います。 あと、関連として『アメトーーク』「嫁が大事芸人」での妄想の達人の新たな妄想法もあわせて。 以下、関根勤の語りです。 ++++++++++ 今、日人に必要な心構え。この心構えを持っていれば21世紀を切り抜けていけるんですよ。 ウド鈴木。 彼からその心構えを学びたいと思います。 皆さんは今、笑っていると思いますけれども、これから私が彼の話をするにつれて、その笑顔が真剣になり、最後は肯き、最後は感涙にむせび泣

    ウド鈴木に学ぶ関根勤の21世紀を生き抜く方法 - てれびのスキマ
  • @nifty:為末大オフィシャルサイト「侍ハードラー」:嫉妬からくる正義

    ◆iモード メニューリスト>スポーツ>各種スポーツ>トップアスリートモバイル>為末大モバイル ◆Yahoo!ケータイ メニューリスト>スポーツ>サッカー>トップアスリートモバイル>為末大モバイル ◆EZweb EZトップメニュー>カテゴリで探す>スポーツ>サッカー>トップアスリートモバイル>為末大モバイル 私の知り合いで、家の事は全部お手伝いさんに任せている人がいます。生家がお金持ちだからです。住んでいるマンションもきれいなところです。 仕事をする必要も無いので、やりたい事をやりたい時にやっています。時々ベンチャーに投資したりしているみたいですが、そこは詳しくはしりません。まあ、少なくともお金に関する事は心配してはいません。 稀に他人から解放されている人もいますが、多くの人は他人と自分の境遇を見比べます。先の様な話を聞く時に、平静を装いながら私たちは心の底になんだかずるいとい

  • カリオストロの城の真実:クラリスとルパンのその後

    クラリスに、ルパンは言う。 ルパン三世「おじさんは地球の裏側からだってすぐ飛んで来てやるからな」(カリオストロの城より) しかし、その言葉が実現されることはなかった。 宮崎駿監督は、決して、カリオストロの城の続編を作ろうとはしなかった。 そのために、クラリスとルパンを会わせるための企画が、いくつも行なわれた。 ・クラリスからの手紙 ・クラリスとの再会 ・クラリス女王のもとでテーマパークとして再生したカリオストロ公国を舞台としたゲーム「再会」 しかし、宮崎駿監督は、決して、自分で続編を作ろうとはしなかった。 なぜだろうか? じつは、カリオストロの城のラストについては、宮崎駿監督も、さんざん悩み、未練もあった。 ルパンとクラリスは、あのまま別れてしまっていいのか? あのまま終わりではなく、ルパンが必ず戻ることをもっと明確にすべきではないか? いや、それよりも、クラリス

  • ILLUSION FACTORY「エヴァ2のコタエ」

    二〇〇三年一一月二〇日に発売された「新世紀エヴァンゲリオン2」は、その特異なゲーム性の為に、アルファシステムの公式掲示板においてすら、賛否が真っ二つに分かれた。特に、ガンパレと同じようなゲーム、という認識を持って作に挑んだプレイヤーは、エヴァ2の基テーマである「他人の気持ちがわからない」という問題に悩まされる事になる。 エヴァ2はストーリーメイキングという新しいゲーム性を持ち込んだという意味で、見た目は似ているが、既存のゲーム性を引き継いだガンパレとは全く指向の異なるゲームになった。しかし、このゲーム性を満足に説明するだけのマニュアルやチュートリアルが付属しなかった為、多くのユーザが掲示板にサポートを求める結果となった。 第1部は、エヴァ2の表層的な「ゲーム」の部分についてのインタビューである。筆者は、ゲームはプレイヤーが評価(勝ち負けと言い換えてもいい)されてはじめてゲームたりえると

  • TwitterやTumblrに情報を安売りしすぎる人々

    ウェブは今、更新するための更新コストが減少し、その対価として更新する手間が今までお金になっていたのですが、それを投げ捨てている形になってきている。 私はこれまで「ブログ」を書き続け、そしてブロガーと呼ばれるようになった。 それ以前は、htmlのみで動的なものはなく、ひたすら更新し、ページをつくり、ウェブサイトを作ってきた。 底辺の話をしますが、ウェブには、更新=価値というものが付き物で、更新することで、多少なりともマネタイズできます。 今回はこうしたマネタイズを放棄している現状を訴えたい。 マネタイズできる可能性を放棄している人々 かのしょこたんがツイッターを始めたが、一瞬でブログに戻りました。 理由は様々な憶測が語られているけど、しょこたんにとって、ツイッターもブログも更新する手間隙に大差が無い。 しょこたんクラスになると一日に200回くらい余裕で更新できます。さらに全部写真付で更新出来

    TwitterやTumblrに情報を安売りしすぎる人々
  • いまどきさ、ゲームに「難関」とか「死の危険」とか不要なんじゃねーの

    ニカイドウレンジ @R_Nikaido ゲームデザイン系の記事にほぼ必ず書かれてる、「ゲームの面白さとは難関を越えた!という快感にある」という一言、最近は適用出来ない例も増えてきた気がするんだよなー。なんというか、「インフレする単純作業」なら難所とか存在しなくてもいい、という印象がある。 ニカイドウレンジ @R_Nikaido (続き)例えば昔のRPGだったら、「このボスが倒せないのでLv上げする」というシチュは多数あったけど、今のRPGじゃそんなの少ないんじゃないかな。普通に進めば普通に全部倒せるバランスになってる。ここに「難所を越えたときの快感」なんて組み込まれてないと思う。(続く) ニカイドウレンジ @R_Nikaido (続き)例えば『三国無双』。おれは2くらいまでしか知らないんだけど、あれの構造はプチプチを潰してるのと同じなんじゃないかと考えてる。潰し終わったら自機が成長するから

    いまどきさ、ゲームに「難関」とか「死の危険」とか不要なんじゃねーの
  • さびしさの運用について - Mellow My Mind

    「このさびしさをどしたらいいの」ということを延々考えて、人生単位で見てもそれはそれは長い時間を浪費しました。その中でまず気付いたことは「人はさびしいとおかしくなる」ということでした。ひっくり返すと、人がおかしなことやってるときは、だいたいさびしいんだよな。さびしさを動機にして人や自分を裁いても、よけいさびしくなるばかり。なにかを裁くということはなにかを切り捨てることだ。一度切り捨てられたものは時間が止まってしまう。もうそこからは何もうまれないのでした。さびしいのに、いろんなものをどんどん切り捨てて、自分さえも許せなくなって、狭く、小さく、よけいさびしさを募らせるばかり。おかしなことだ。さびしさとは無縁に見える、幸福そうなあの人と、わたしは何が違うんだろう。考えればなにもかも違うように見えたし、でも当のところはどこがどう違うのかよくわからない。ただ、自分がさびしさにふりまわされていることだ

  • 「不況下の結婚観」―結婚で「死にたい」が「楽しい」に変わった男の告白 | 非モテタイムズ @himotetimez

  • 対談:太田光×高畑勲 - 映画「王と鳥」公式サイト

    「王と鳥」は世界というものが基的にどうなっているか、非常に端的で明快にアニメーションで描いたものなんです。単に感情に訴える映画とはまるで違います。少し今の映画を例に考えて見ましょうか。 僕はこの頃、日でヒットしている映画を観て、ある傾向があるんじゃないかと思っているんです。特に若い人たちは“いやぁ、泣けた”と嬉しそうに言う。要するに面白い映画、ヒットする映画というのは、“泣けるか、どうか”。それが大きな基準になっていると思うんですが、どう思いますか? 僕は「世界の中心で、愛をさけぶ」を観て、片方が病気で死んじゃうとかね。そういうところに感動があるという傾向には、すごく反発があるんです。というのは実際の自分の生活とは、あまりにもかけ離れていますから。映画が描いている恋愛はすごく美しいじゃないですか。すごく美しくて醜い部分が見えにくい。相手を傷つけないし、包み込むような愛で癒してくれるし。

  • 「相手にこう思われたらどうしよう」を、捨てよう。 - GoTheDistance

    id:takerunbaのこういう所が大好き。愛してまう! 発言を額面どおりに受け取る 私もすごくすごくすごおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉくそう思うんですよ。 「空気を読むのはやめましょう」 「行間を読むのはやめましょう」 「言外のことを読むのはやめましょう」 これを「3つの読まない」と申します。「非読宣言」です。私たち「社交辞令が効かない会」は読みません。そのままです。シンプルでストレートな関係の構築を目指しておりますので、言葉とか表情などの表に出てくる要素以外のものは、一切読みません。逆な言い方をすれば、表に出てこないものは無視します。ないモノとして扱います。シンプルでストレートな関係に、存在するかしないかすらわからないものを持ち込まれても困ります。 発言を額面どおりに受け取る なんというオレ! 僕もこのタイプです。なんでかって?どんな事情があろうとも、当に大切だと思っているものは絶対に表に

    「相手にこう思われたらどうしよう」を、捨てよう。 - GoTheDistance
  • なんで、あなたの努力を他人に判定させちゃうの? - シロクマの屑籠

    「努力しても誰も認めてもらえない。」 「俺の努力を認めてくれないあいつらはクソ。」 こんな呟きをよく見かけます。 どうして、わざわざ憎たらしいアンチクショウに自分の努力の成否を判定してもらおうとするんでしょう?影でコソコソ頑張っていた自分自身も、あれこれの事情も、ロクに知らない赤の他人を審判にして、自分の努力が無駄骨だったかどうかを判定していただいて、いいことなんてあるんでしょうか? 「努力の成否を他人に決めてもらう、という姿勢自体がすでに誤りのはじまり」ということを、意外と多くの人が知らなすぎます。きちんと努力を掬えるのもゴミ箱に放り出せるのも、自分自身だけなのに。 「赤の他人に、俺の努力が判定できるわけがない」 世間の他人って、わりと表面的な出来事だけを見て「無駄な努力」だの「実った努力」だの好き放題言いますよね。 でも、そういう他人の判断基準って、たいていは「うまくいっている=努力が

    なんで、あなたの努力を他人に判定させちゃうの? - シロクマの屑籠
  • ガタがあるからうまくいく - レジデント初期研修用資料

    先週の日曜日には、熱を出した子供さんが100人近く来た。休みが明けて、外来が始まって、 もちろん「それ以上」を覚悟していたのだけれど、外来は、平和なままだった。 インフルエンザはたしかに流行しているんだけれど、パンク寸前の休日外来は、 みんな「休みだから」病院に来てたわけで、「熱が出たから」病院に来た人は、実は案外少なかった印象。 遊びが減ってこうなった 社会から「遊び」要素が減って、平日にみんな、休めなくなった。 土日をずらして営業していた病院というのもあって、一時期はうまく機能していたんだけれど、結局みんな止めてしまった。土日外来の収益自体はよかったのだけれど、世の中が土日休みで回ってるから、役所とか学校とか、「平日」を要求する場所がシビアになって、スタッフに子供ができると、組織が瓦解しちゃうんだという。 世の中の遊びが減って、しわ寄せが、緊急避難装置的な場所に集まって、結果として、救