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ブックマーク / soccermama.jp (7)

  • 明治大学体育会サッカー部 常盤亨太選手【大学サッカーのすゝめ 2023】

    人間性の追求により視野が広がって見える世界が変わった。 ―大学サッカーに進んで良かったことを教えてください。 それまではサッカーだけで生きてきたが、人間性の追求により、一気に視野が広がったことで見える世界が変わり、物事を広く深く見れるようになったこと。大学では高校年代までと比べて、より専門的な授業を受ける事ができて、興味のある分野の知識が身についたこと。サッカーでは、公式戦を含め試合数が多く、実戦の中でトライ&エラーを繰り返せるので、成長速度が上がったこと。 ―大学進学後、高校生の時にイメージしていたこととギャップはありましたか? サッカー面ではある程度の自信を持って入学したので、通用すると思っていたが全てが足りていない事に気付かされて、すごくギャップがありました。生活面では中学からFC東京の下部組織にいたため、部活に所属したことがなく、16人部屋での生活などはユースと比べてギャップが大き

    明治大学体育会サッカー部 常盤亨太選手【大学サッカーのすゝめ 2023】
    ko77
    ko77 2023/04/28
    “16人部屋での生活などはユースと比べてギャップが大きかったです。”
  • 順天堂大学蹴球部 小林里駆選手【大学サッカーのすゝめ 2021】

    高校卒業後、それぞれの目標を持って大学サッカーへとチャレンジし続ける大学生プレーヤーを紹介する「大学サッカーのすゝめ」。関東一部・二部の計24校から、48名の選手を紹介していきます。 今回紹介するのは、順天堂大学蹴球部の小林里駆選手。進学先を選ぶ際の参考にしてみてください! FW 小林 里駆(コバヤシ リク) 2001年8月2日生まれ 順天堂大学 スポーツ健康科学部 スポーツ科学科 2年 出身チーム 小学生年代 ARTE永山SC 中学生年代 FC東京U-15むさし(国立市立国立第三中学校) 高校生年代 FC東京U-18(都立府中高校) FAVORITE PLAYER デ・ブライネ FC東京U-18直属の先輩も活躍していた順天堂大学蹴球部へ ―順天堂大学、順天堂大学蹴球部を選んだ理由は? サッカーを行う環境はもちろん、身体作りのための環境も整っていたからです。また、プレースタイルが自分に合っ

    順天堂大学蹴球部 小林里駆選手【大学サッカーのすゝめ 2021】
    ko77
    ko77 2021/04/21
    大学では、フィジカルの基準が上がるので、しっかりと当たり負けをしない身体作りに力を入れてください。
  • 【大学サッカーのすゝめ 2020】明治大学 岡庭愁人選手

    高校卒業後、それぞれの目標を持って大学サッカーへとチャレンジし続ける大学生プレーヤーを紹介する「大学サッカーのすゝめ」。今年も関東一部・二部、計24校・36名の選手を紹介していきます。 今回紹介するのは、明治大学体育会サッカー部の岡庭愁人選手。進学先を選ぶ際の参考にしてみてください! SB 岡庭 愁人(オカニワ シュウト) 1999年9月16日生まれ 明治大学 政治経済学政治学科 3年 出身チーム 小学生年代 レジスタFC 中学生年代 FC東京深川(三郷市立南中学校) 高校生年代 FC東京U-18(堀越高校) FAVORITE PLAYER トレント・アレクサンダー=アーノルド 練習参加でレベルの差を痛感。大学サッカー界で一番の部だと感じた ―明治大学、明治大学体育会サッカー部を選んだ理由は? 一人の人間として、一人の選手として4年間で大きく成長できる場であると思ったからです。高校3年

    【大学サッカーのすゝめ 2020】明治大学 岡庭愁人選手
  • Jリーガーたちの原点 「橋本拳人(FC東京)」

    低学年の時は基礎をひたすら練習、高学年で試合の楽しさを覚えた 2019シーズン、クラブ初のリーグ優勝にあと一歩のところまで迫ったFC東京。その中心として活躍をみせたのが橋拳人だ。昨年3月には日本代表に初選出、9月に行われたキリンチャレンジカップ「日vsパラグアイ」ではフル出場し、得点の起点となって勝利に貢献したのは記憶に新しい。 そんな橋サッカーと出会ったのは4歳の頃だったと振り返る。「保育園に、元プロサッカー選手が週に1度教えにきてくれて、そこでサッカーの楽しさを覚えました」。その頃、2つ上の兄が入っていた地元のクラブチームにも入部したという。「ヘディングやリフティングが宿題として出されて、それができないと走らなければいけなかったり、ハードな練習をするチームでした。出された宿題を披露する発表会のようなものもあって、そこで上手くできたらカッコいいと思い、家でもひたすら練習してました

    Jリーガーたちの原点 「橋本拳人(FC東京)」
    ko77
    ko77 2020/01/02
    拳人のお父さんいつも見に来てくれていたね
  • Jリーガーたちの原点「高橋 秀人(FC東京)」 | サカママ

    下手だったからこそ何度も練習し工夫を重ねながら技術を身につけた 「小学1~2年生の頃はすごく人見知りで、泣き虫な子でしたね」 FC東京でボランチとして活躍する高橋秀人は、当時の自分をそう振り返った。彼は小学生でサッカーを始めたが、それは自らの意思ではなかった。「幼稚園の頃から仲の良かった友だちが、地元の伊勢崎SFCイレブンというサッカークラブに入るということで、誘われて一緒に入りました。最初はチームでも一番下手だったので、試合にも出られず、サッカーがつまらないなと思ったこともありましたよ」 そう言って高橋は苦笑いを浮かべたが、その悔しさが返って彼のヤル気に火を付けた。「当時チームでは、“しなやかさと切り返し練習”と呼んでいましたが、足の裏を使ってボールを扱う練習項目が10個ありました。それぞれ10回ずつ、計100回を必ず練習前にやることが決まり。最初の1時間半くらいは、ずっとその練習をする

    Jリーガーたちの原点「高橋 秀人(FC東京)」 | サカママ
  • Jリーガーたちの原点「石川 直宏(FC東京)」 | サカママ

    小学生時代から大切にした反復練習 地道な練習が高い技術の源になった 日本代表監督アルベルト・ザッケローニをして「スピードと相手が予測し難い意外性を併せ持つ」と言わしめた石川直宏。子ども時代の話を聞いて彼に抱いた印象は“負けず嫌いの、ポジティブ”なサッカー小僧だった。 彼がサッカーを始めたのは幼稚園のとき。近所で一緒に遊ぶお兄さんたちの影響でサッカーを始めた。とにかくサッカーが好きでたまらない。いつもボールと触れ合っていた。「サッカーは遊びの延長線上でした。公園でもやるし、自分の家の前のアスファルトでもやっていました。家の中でボールを蹴って怒られたこともありましたよ(笑)。土日はチームに入って広いグラウンドでサッカーができる。みんな同じユニフォームなので、仲間意識みたいなものも芽生えました。とにかくサッカーをすることが楽しかったですね」 小学生時代のポジションは攻撃的MFのトップ下。キャプテ

    Jリーガーたちの原点「石川 直宏(FC東京)」 | サカママ
  • Jリーガーたちの原点「権田 修一(FC東京)」 | サカママ

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