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ブックマーク / blog.tatsuru.com (65)

  • フリーズする政治 - 内田樹の研究室

    たいへん興味深いことであるが、参院選前に「予測」を求める寄稿や取材依頼はたくさんあったのに、選挙が終わってしまうと、「総括」を求める仕事がさっぱり来ない。 むろん、私の「民主微減、自民大敗」という予測がはずれてしまったので、「政治向きのことをウチダに訊いてもつまらん」という合意形成ができたのかも知れない。 けれども、予測がはずれたのはおおかたの政治評論家もいっしょである。 私の知る限り、「民主大敗、自民大勝」という予測を掲げていた人はいないようである(自民党政治家は別だが、それは「主観的願望」と「客観的情勢判断」の意図的な取り違えにすぎない)。 けれども、これほど事前の予測がはずれたことについて、「なぜ、はずれたのか」のアカウントを求めることはたいせつなことだ。 「どうして予想がはずれたのですか」と誰も訊きに来ないので、自分で考えてみることにする。 参院選の前に私がいくつかの取材で申し上

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    kohedonian 2010/07/28
    まったく首肯できない。議席数ではなく得票率・数で見れば「自民惨敗」でしょう。ですからそもそも予想は当りだったといえるし、<みんな>の伸びに触れずに論を立てていることも手落ち。
  • 商品経済から贈与経済へ - 内田樹の研究室

    教育関係の取材がある。 学生や若いサラリーマンたちにどうやってコミュニケーション能力をつけたらよろしいのかというテーマである。 別に起死回生の妙手というのはありませんとお答えする。 そう答えたら、片づかない顔をしていた。 誰でもすぐにできるような妙手があれば苦労はない。 コミュニケーション能力というは平たく言えば「生きる力」ということである。 そのようなものを汎用的教育プログラムとして「はいよ」とご提案することは誰にもできない。 ときどき「これさえやればコミュニケーション能力が一気に身につきます」というような「はいよ」を書いている人がいるが、そういうを書いている人を信用してはならない。 「信用できる人間」かそうでないかをみきわめるのは「生きる力」のもっとも基礎的なもののひとつであり、このようなを手にとってふらふらと買ってしまう人は、その一点においてすでに「生きる力」の伸びしろが少ない

  • 日本の外国文学研究が滅びるとき - 内田樹の研究室

    水村美苗さんの話題作『日語が亡びるとき-英語の世紀の中で』を鹿児島への機内で読了。 まことに肺腑を抉られるような慨世の書である。 『街場の教育論』で論じた日教育についての考えと通じるところもあり、また今書いている『日辺境論』の骨格である、日はユーラシア大陸の辺境という地政学的に特権的な状況ゆえに「政治的・文化的鎖国」を享受しえた(これは慶賀すべきことである)という考え方にも深いところでは通じているように思う。 とりわけ、「あらまあ」と感動したのは、「アメリカの植民地になった日」についての考察である。 明治維新のときに欧米帝国主義国家がクリミア戦争や南北戦争や普仏戦争で疲弊していなければ日は欧米の植民地になっていただろうということを言うひとは少なくないが、「植民地になって150年後の日」についてまで SF 的想像をめぐらせた人は水村さんをもって嚆矢とするのではないか。 「たと

  • 密息と原腸 - 内田樹の研究室

    『考える人』の「日人の身体」シリーズ、今回のお相手は尺八奏者で「密息」呼吸法で知られる中村明一(なかむら・あきかず)さんである。 「密息」とはどういう呼吸法かというと…それをすらすらと説明できるようであれば、苦労はないのであるが、あえて説明させていただくと、腹部の深層筋を用いて、瞬間的に大量の(おどろくほど大量の)空気を肺に取り込み、それを自在に吐き伸ばすという呼吸法である。 実際に、その呼吸法で尺八を演奏して頂いた。 驚くべきことに、いつ息継ぎが行われたのか、外から見ているとまったくわからない。まるでノンブレスで延々と尺八が吹かれているように見える。実際には音と音の間に瞬間的な空白があって、そのときに大量の吸気がなされているのだそうである。 『密息で身体が変わる』(新潮選書)を読んで、ぜひこの呼吸法を習得して、合気道に応用しようと、「日帰り東京ツァー」に出かけた。 仕切りは新潮社のアダ

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    kohedonian 2008/11/12
    関心領域につき。
  • 全共闘運動は日本をどう変えたか? - 内田樹の研究室

    ひさしぶりの週末だと思っていたら、今日が締め切りなんですけど・・・というメールが来た。 忘れていた。 お題は「全共闘運動は日をどう変えたのか?」 3枚半。 全共闘運動は日をどう変えたのであろうか。 興味深い論件である。 しかし、興味深いなどと言っている余裕はない。 昼から合気道の稽古で、そのあと関川さんとご飯をべる予定なので、朝のうちに書き上げないといけない。 少し前に大学院の「日辺境論」で世代論を論じたことがあり、そのときに「60年安保世代」と「70年安保世代」の違いは奈辺に由来するかということを話した。 60年安保のときに運動を指導したのは当時20代後半から30代はじめ。つまり、1930年から35年生まれというあたりである。 敗戦のときに10歳から15歳。 国民学校で「撃ちてし止まむ」と教えられ、土決戦に備えて竹槍の訓練をした少年たちは8月15日に「戦わない大人たち」を見て愕

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    kohedonian 2008/07/09
    何かふと、いまこのはてな村とかブログ界隈のものごとって、確実に全共闘のように回顧されるのだと思って、そしたらこのエントリを思い出したのでブクマする。往時と異るのはあらゆる発言がアーカイブされ得ることか
  • そのうち役に立つかも - 内田樹の研究室

    河合塾大阪校で講演。 予備校生たちをお相手に一席。 お題は「日人はなぜ学ぶ意欲を失ったのか?」 せっかくの休日に私の講演を聴くためにわざわざご登校くださった奇特な予備校生たち200人を前に、どうやったら受験勉強が楽しく捗るかというお話をする。 あらゆる受験生は「なぜこんな勉強をしなくちゃいけないのか」という根源的懐疑につねにとらわれている。 当然ですね。 もちろん、受験勉強の必然性はわかっている。 それができないと大学に入れない。 いくつかの教科に現実の実用性があることもわかっている。 例えば、英語ができると英語話者に道を尋ねられたときに、「道を尋ねられた」ということがわかる。古文ができると埋蔵金の隠し場所を書いた古地図などを解読するときに有用である。 だが、必然性と実用性を理解しているだけでは、自分の知的パフォーマンスを向上させることはできない。 受験生としては、そういう外づけ的な理屈

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    kohedonian 2008/07/08
    でこれをブクマする身振りもまたライフハックの病理か。
  • パイレーツ・オブ・チャイナ - 内田樹の研究室

    文藝協会というところに入会したので、会報が送られてくる。 文藝協会はたぶんもともとは寄る辺なき文士たちの相互扶助組織として発生したものではないかと思う。 「寄る辺なき人々」のための相互扶助・相互支援組織というのはたいせつな中間共同体である。 しかし、文藝協会の最近のメインの仕事は著作権の管理である。 私はこれがどうにも、「なんか違うんじゃないか」という気がしてならないのである。 いま著作権の保護期間は50年である(これを国際標準に合わせて70年に延長することを協会は求めている)。 著作者が死ぬと、著作権はその親族に継承される。 だから、文藝協会の会員も相当数は操觚の人ではなく、著作権継承者の方々である。 著作者自身が自分の書き物について、その使途や改変について「ちょっと、それは困るわ」という権利を留保することは許されると思う。 文章が書き換えられて、それに自分の名前がつけられて流布して

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    kohedonian 2008/07/01
    微苦笑だったりして。標題をまじめに書くとPiracy in Chinaかな。これにしたのはしゃれっ気か。
  • 忙しい週末 once again - 内田樹の研究室

    金曜日はゼミのあと、会議が二つ。それから温情会。今回は大阪ヒルトン。 温情会というのは学校法人神戸女学院の教職員の懇談会である。日ごろあまり会う機会のない、中高部の先生がたや、法人の職員のみなさんとテーブルを囲んで会をするのである。 このところいろいろな用事とバッティングしていたので、出るのは久しぶりである。 今回はイタリアン。 音楽学部の先生がたと同じテーブルになる。右隣が斉藤言子先生で、左隣が島崎徹先生。 左右に首を振りながら、ワイン片手にずっとしゃべり続ける。 岡田先生のピアノをはじめて聴く。 すばらしい。 眼福という言葉があるが、これは耳福。 週末は東京。 新宿住友ビルで願寺(こんどはお東さん)の市民講座。 聴衆は100人くらいの市民のみなさん。雨の中をお運びいただき、まことに申し訳ない。 このところのテーマである「呪いのナラティヴ」について90分お話する。 私たちの時代に瀰漫

  • マンガ脳 - 内田樹の研究室

    大学院で「マンガ」の話をする。 日語と日の宗教の「辺境性」についてのプレゼンテーションだったのだが、いつのまにか「日人の脳」の話から、マンガの話になってしまった。 日語は「漢字とかなを混ぜて書く」言語である。 漢字は表意文字であり、かなは表音文字である。 この二つを脳は並行処理している。 アルファベットは表音文字であるから、欧米語話者はそんな面倒なことはしない。 けれども、そのせいで変わったことが起きる。 表意文字は「図像」であり、表音文字は「音声」であるから、これを記号処理する脳の部位は当然違う。 失読症というのは、脳の疾患によって文字が読めなくなる症状である。 欧米語話者は失読症になると、まったく文字が読めなくなる。 しかるに、日語話者は二種類の病態をとる。 漢字が読めなくなって、かなだけが読める症状と、かなが読めなくなって、漢字だけが読める症状である。 それから、漢字を読ん

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    kohedonian 2008/06/19
    示唆的ではあるけど、脳科学に根拠を求めずに(いったん抜きにして)、同論が成り立つかも検討してみる必要が。
  • 忙しい週末と翻訳のこと - 内田樹の研究室

    金曜日は授業が午前中だけだったので、午後から教育実習校訪問。 京都のNトルダム女学院高校にゼミ生のN西くんが行っているので、受け入れ先にお礼のご挨拶をするのである。 東山の斜面の木立の中にあるたいへん雰囲気のよい学校である。 ミッションスクールはどこも立地がよい。 最初に場所を選んで、校舎を建てたのが宗教家なので、「霊的プロテクション」ということがはっきり意識されているからである。 「霊的プロテクション」というと鼻で嗤う人がいるかもしれないけれど、これは築城の条件とほとんど同じである。 「難攻不落」というのは単に物理的な条件だけを言うのではない。 攻撃的な意図をもった人間がそのエリアに足を向けると、なんとなく「気後れ」がして、「ま、ここは後回しにするか・・・」というような reluctance を人の心に生み出すのが実は「難攻不落」の不可欠の条件なのである。 物理的に攻略することがいかにも

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    kohedonian 2008/06/09
    新訳文庫のブランドをめぐる闘争にみえた。誤訳を指摘する側は「あんな訳が売れて」と憤るのだが、光文社の姿勢いかんではどうだったか。/版元のコメントがブランドを守るという目的に適ったものだったのも頷ける
  • 妥協と共生 - 内田樹の研究室

    Frauという雑誌の取材がある。 20-30代の働く独身女性が読者層のヴォリューム・ゾーンであるような雑誌で、今回のお題は「結婚したいけれど、できないのはどうして・・・」という切実なるものである。 どうしてと訊かれて即答できるなら、苦労はない。 というのはシロートで、私はどんなことを訊かれても即答することでお鳥目を頂いている身であるから、もちろん即答する。 それはみなさんがたが「他者との共生」を「他者への妥協」というふうに読み替えておられるからである。 「共生」と「妥協」は見た目は似ているかもしれないが、まるで別のことである。 これは武道をやっていると実感的によくわかる。 「妥協」というのは「まず、私がいる」というところから話が始まる。 そこに他者が干渉してきて、私の動線を塞ぎ、私の可動域を制約し、私の自己実現を妨害する。 私はやむなく、自由を断念し、狭いところで我慢し、やりたいことを諦め

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    kohedonian 2008/05/21
    さすがです。
  • 被害者の呪い - 内田樹の研究室

    毎日新聞に三ヶ月に一度「水脈」というコラムを書いている。 いささか旧聞に属するが、そこに聖火リレーのことを書いた。 昨日の夕刊に出たので、もうブログに採録してもよろしいであろう。 こんな話。 オリンピックの聖火リレーをめぐる騒動を眺めていて、いささか気になってきた。何か「厭な感じ」がしたからである。何が厭なのか、それについて少し考えたいと思う。 熱い鉄板に手が触れたときに、私たちは跳びすさる。「手が今熱いものに触れており、このまま放置すると火傷するので、すみやか接点から手を離すことが必要である」というふうに合理的な推論してから行動するわけではない。たいていの場合、私たちはわが身に何が起きたのかを行動の後に知る。 聖火リレーにまつわる「厭な感じ」はそれに似ている。 だから、この論件については、誰の言い分が正しく、誰の言い分が誤っているというような「合理的」なことは申し上げられない。それは「

  • 日本語って変かも - 内田樹の研究室

    大学院のゼミ、今季は「日辺境論」である。 日の地政学的辺境性あるいは文明論的辺境性という補助線を引くことによって、日の「ありよう」を再解釈しようという野心的な企てである。 第一回目の発表はイハラさんの「外来語」。 これはなかなかすぐれた着眼点である。 というのは、日語は外来語に対して、世界の諸国語の中でも例外的に開放的な言語だからである。 原日語(大野晋先生によれば、もとはタミル語だそうであるが)に漢字が入り込み、さらに近代になってヨーロッパの言語が入り込んできた。 私たちの使う言語には、それらが混在している。 どうして、漢字カタカナひらがな alphabet が並存するような言語が成り立ちうるのか。 こういうことは、あまりに当たり前なので、ふだんは私たちはあまり考えない。 それについて考えてみる。 このタイプの混淆言語は巨大な文明圏の周辺部分に生まれる。 朝鮮半島もインドシナ半

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    kohedonian 2008/04/25
    ダウト。これを信じられては困る。/あとでゆっくりやる。
  • Voiceについて - 内田樹の研究室

    今日から授業。 最初の日からクリエイティヴ・ライティングの授業がある。 これは2006年度に難波江さんとふたりの「合同演習」というかたちで半期行い、去年は難波江さんがおひとりでされた。今年は私の担当である。 ものを書くというのはどういう営みであるのか、それについて原理的に、かつラディカルに究明しようではないかという意欲的な教科である。 二年前の学生たちは「物書き」志望の人が多かったので、ずいぶん真剣に受講してくれた。 「書くこと」をめぐって難波江さんと毎回長い時間話をした。 授業の準備としてではなく、ふだん私たちが差し向かいで話していることを、そのまま学生たちの前で公開して、その話の中で浮かび上がったトピックでエチュードを書いてもらうという形式が何となくできあがった。 このやり方はたいへん面白かった。 最初は「ヴォイス」というトピックから入った。 これはもう何度も書いていることだけれど、「

  • 国を愛するとはどういうことなのか - 内田樹の研究室

    レヴィナス『困難な自由』の再校が続いている。 ようやく半分ほど終わる。あと二日あれば、終わる。 夏前にはになるだろう。 あまりに内容がタイトなので、読んでいてこめかみがきりきりしてくる。 鈴木邦男『失敗の愛国心』を読む。 これは理論社が出している『よりみちパン!セ』という中学生向き図書シリーズのうちの一つである。ちくまの「プリマー新書」みたいなものらしい。 私も執筆を頼まれている(たしか天皇制についてだったような気がするけれど、違うかもしれない)。 「以下続刊」のところに名前が出ていた。 西原理恵子/リリー・フランキー/叶恭子/安野モモヨ/杉作J太郎/内田樹/中沢新一・・・というふうに著者名が並んでいる。なかなか意欲的なラインナップである。 鈴木さんのを読むのは初めてである。 読み始めたら、面白くて最後まで一気に読んでしまった。 そのの中で鈴木さんは以前長崎市長テロ事件のあと『朝まで

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    kohedonian 2008/03/31
    「怠惰に暮らし、ジャンクフードを貪り喰らい…」のくだりは類型的にすぎるかなあ。内田さんらしくもなく。
  • 霊的都市論 - 内田樹の研究室

    私にとっての東京とはどの範囲かという話を昨日江さんと堀埜さんを相手にしゃべった翌日に小田嶋隆さんのブログを訪ねたら、小田嶋さんも同じ主題について書かれていた。 おお、シンクロニシティ。 小田嶋さんは東京「キタ」の人であり、私は東京「ミナミ」の人であるので、この差異について若干の思弁を弄したいと思う。 ちなみに「キタ」は「キ」に、「ミナミ」は「ミ」にアクセントを置く(三波春夫と同じ)のが関西風儀である。 まず小田嶋さん的東京とは次のような範囲を指す。 自転車で走る場所も、さすがにネタが尽きてきた。 河川敷のサイクリングロードを上下するのは、この時期、冷たい北風が強すぎてあんまり気がすすまない。苦行っぽいし。 で、都内を走ることになるわけなのだが、情けないことに、私の輪行は、孫悟空の飛翔やハムスターの疾走と同じで、決まった範囲から外に出ることができない。堂々巡りを繰り返している。 その「範囲」

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    kohedonian 2008/02/19
    オーギュスタン・ベルク
  • 言語と身体 - 内田樹の研究室

    岡山県高等学校教育研究会図書館部会研究協議会という長い名前の集まりに呼ばれて「言語と身体」と題する講演をする。 オーディエンスは岡山県下の高校の先生方である。 岡山の高校からは多数の卒業生を学にお送り頂いている関係もあり、いそいそと岡山まで出かける。 新神戸に車を置いて新幹線で30分ちょいで岡山である。 岡山は私の母方の祖父の郷里であり、今も伯母と従兄一家が住んでいる。ゼミの卒業生のマキちゃんもいるし、私にとっては懐かしい土地である。 高校の先生たちにはいろいろと申し上げたいことがある。 「申し上げたいことがある」と言っても、別に文句があるわけではなくて、そちらが18歳まで育ててくださった続きをこちらは引き受けて教育をさせて頂いているという「スクラムハーフからスタンドオフへ」というような関係である。 この間のパスの連携に「阿吽の呼吸」というものがなければ、教育はうまく機能しない。 私がま

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    kohedonian 2008/02/06
    最後で吹いた
  • 吉川宏志とスラヴォイ・ジジェク - 内田樹の研究室

    入試の採点が当たっているので、昼過ぎに出勤。 採点を終えてから、「メディアと知」のレポートを読んで、成績をつけて提出。 後期の仕事がこれで終わる。とりあえず形式的には今日から春休みである。 とはいえ、私にはその間もほとんど休日はない。 机の上にはゲラが4つ積み上げられている。そのうち二つは今週中に返送しなければならない。 これを送り出しても、近日中にさらに3つ4つゲラが届くことになっている。 ということは、夏前には6冊ほどが出るということである。 何の因果でこんなにたくさんを出さなければならないのであろうか。 しかし、それは真夏に「暑いよお」と泣訴しているのと同じで、言っても何もならないのである。 わかっている。 黙って働こう。 吉川宏志さんという若い歌人の書いた『風景と実感』(青磁社)というが届く。 帯文を頼まれたので、ゲラを読んで、暮れに短い推薦の言葉を書いた。 知らない人の書い

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    kohedonian 2008/01/31
    『「現実」よりも、~「幻覚的な見世物」の方がより深く、回復不能なまでに外傷的』
  • ビジネスマンに大学は経営できるのか? - 内田樹の研究室

    ご案内のとおり、日の大学は数年前から淘汰プロセスに入っている。 その一方、大学設置基準が緩和されたせいで、新設大学、新設学部学科はラッシュ状態である。 しかし、私自身はこの数年に相次いで登場した新設大学、新設学部の相当数は遠からず経営破綻するだろうと予測している。 2007 年4月に開学したばかりのサイバー大学(ソフトバンクが出資した、すべての授業をインターネットで行う大学)に文科省から勧告が入った。 620 人いる在学生のうち 180 人について人確認をしないで単位を与えようとしていたせいである。 いちいち福岡まで来てもらって、面接をして人確認をするような手間ひまをかけるならインターネットを活用しているメリットがないと判断して、人確認を怠ったのであろう。 なるほど。 ごもっともな判断である。 だが、サイバー大学の経営者にひとつお聞きしたいことがある。 みなさんだって、人確認をし

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    kohedonian 2008/01/23
    海外のスパムメールでエロとローンの次に目に付くのが「単位(学位)売ります」。日本でも遠からず「平成首都環境情報経済大学の学士号を」というのがはびこるか。
  • 受験の季節になりました - 内田樹の研究室

    センター入試の二日目に試験監督に大学に出かける。 センター入試の試験監督をやるのもあとこれを入れて4回と思うと、この仕事もなんとなく「いとおしい」感じがする。 マニュアル通りに説明をして、あとは60分間黙って試験監督である。 居眠りをするわけにもゆかないし、を読むわけにもゆかない、原稿を書くわけにもゆかない。 黙って虚空をにらんで 60 分間過ごすのである。 しかたがないので空想をする。 でも、このときにあまり愉しい空想をして「ぐふふ」などと含み笑いなどするとすぐに受験生からセンターに電話があって、「うちの試験会場の監督者は試験中に『ぐふふ』などと気色の悪い笑い声を発していたので、気になって試験に集中できませんでした」というようなタレコミがなされて、学長が陳謝せねばならない仕儀に立ち至ったりする可能性があるので、無表情で空想をせねばならぬ。 空想というものをした方はご存じであろうが(世の

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    kohedonian 2008/01/21
    内田先生の珍プレー好プレーが。