太平洋戦争において、少なからぬ数の日本軍高級将校が、エゴイズム、怯懦、無責任等、武人にあるまじき醜態をさらし、戦闘組織としての頽廃を暴露した。彼らと同じ日本人の一人としては、残念きわまりないことであるが、それはけっして否定できない。その一方で、不利な戦況にあっても、将兵の生命を尊重し、一身に責任を負って死んでいった指揮官があったこともまた事実だ。 昭和19(1944)年、ビルマ(現ミャンマー)の戦場において、この両タイプの典型ともいうべき軍人たち、部下将兵から「義人」と慕われた水上源蔵将軍と、恣意専横の悪名で知られ、その作戦によって多数の将兵を死に追いやった参謀辻政信大佐が行き会い、数奇なドラマをつむぎだした。本稿では、その、戦神(マルス)、もしくは歴史の女神(クリオ)が残酷な筆で描いた物語を叙述していくことにしたい。それはおそらく、昭和陸軍の光と影を知る手がかりとなるはずである。 死地に