日本の科学界を揺るがした、理化学研究所「STAP細胞騒動」の余震はいまだ続いている。八月五日に神戸の理研発生・再生科学総合研究センター(CDB)施設内で自ら命を絶った笹井芳樹副センター長。死に場所を理研に求めた理由は本人しかわからない。 「研究者として追い詰められていたのは確かだ。しかし彼は理研に失望したのだろう」 断定するように語るのは理研職員の一人だ。STAP細胞での研究不正そのものの責任は、小保方晴子氏をはじめとする論文筆者に帰す。しかし、理研の対応がまずかったと、この職員が続ける。 「理研の体質と今回の問題は無関係ではない。現在の体質は、十一年間トップに座っている野依良治氏が作ったものだ」 若山教授を「恫喝」 野依氏は一九三八年、兵庫県で生まれた。灘中学、高校から京都大学工学部に進学し、六七年には博士号を取得している。野依氏はその後三十歳から名古屋大学に移り、以後一貫して名大でキャ