「大球才」と呼ばれた名捕手が紙面でよみがえった。昭和初期に早大、社会人「函館オーシャン」で活躍した久慈次郎である。きっかけは日本ハム・大谷翔平投手(19)のプロ初完封勝利(5月13日、西武戦)。大谷は久慈と同じ岩手県出身。試合が行われた函館は久慈の愛した土地で、球場正面に久慈の銅像があった。縁を感じさせる白星が時代を超えたコラボレーションにつながった。 久慈は1934年の日米野球に主将として出場。沢村栄治の1失点、9奪三振の快投をリードで支えた。1939年、捕手のけん制球が後頭部に直撃した影響で40歳で死去。早大野球部稲門倶楽部発行「白球の絆」によると、早大初代監督の飛田穂洲は技量、人格ともに備わった久慈を「大球才」とたたえ、突然の死を悼んだという。 日本野球機構は、久慈も出場した日米野球から本格的なプロ野球チーム「大日本東京野球倶楽部」(現巨人)の結成をプロ野球誕生と位置づけた。1934
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