〈だれでも読めるが、だれにも読めない書物〉 これから読もうという本の扉に、こんな言葉を見つけたら、あなたはどうするか。 のっけから禅問答? 普通に考えたら、本は読めるか読めないかではないか。知らない外国語で書かれた本や、なじみのない領域の専門書は読めない。でも、それらを除けば、小説でも随筆でも論文でも、私たちは自在に読むことができるのではなかろうか。などと気にしつつ、さらにページを繰ってみる。 〈ツァラトゥストラは、三十歳になったとき、そのふるさとを去り、ふるさとの湖を捨てて、山奥にはいった。そこでみずからの知恵を愛し、孤独を楽しんで、十年ののちも倦むことを知らなかった〉 小説のような書きだしで、ツァラトゥストラなる登場人物の行状が書かれている。なにもわからないことなどない。「だれにも読めない」は、コケオドシか。 10年間、山奥で孤独な思索を楽しんだツァラトゥストラは、そろそろ山を降りてみ
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