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ブックマーク / plus.harenet.ne.jp/~kida (58)

  • 新著『蔵書一代』について

    新著が出た。一昨年、蔵書のほとんどすべてを、万やむなく処分したことで、体調に著しい変化をきたし、これを機に蔵書とは何かということを考えるようになった。単なる所蔵の堆積でもなく、かといってミニ図書館というほどの充実性も、開放性もないが、私にとってかけがいのない、人生に相渉るものには相違ない。 近年、蔵書処分をめぐって悩む人が多いとやら、一つの世代的な現象なのかもしれない。実際、蔵書処分は大変なことで、人生の終末期に、こんな段階があるとは思ってもみなかった。 そんなことを逐一、他の見聞をもまじえながら、ときには文化史的に視野を広げて、その中に自らを位置づけ、さらに蔵書の可能性と限界について考えてみたのが書である。 執筆中、眼前に去来したのは、書物以外に生きがいのなかった一生ということだった。蔵書一代、人また一代、かくてみな共に死すべし。師友夙に去り、同期の友もほとんどが幽冥境を異にし、われ

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    kozai 2017/07/14
  • 数字表記の難しさ

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    kozai 2017/07/14
  • 寸鉄、人を刺す

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    kozai 2017/05/30
  • 南方熊楠生誕150周年

    南方熊楠の業績を語るとき、よく耳にするのは「博物学の巨人」という表現である。なにしろ戦後になって熊楠の存在を知った私の世代は、最初の手がかりが平野威馬雄の先駆的伝記『博物学者南方熊楠の生涯』(一九四四)だったので、一層その感が深い。 現代にあってもごく少数ながら博物学的な性格を有する研究者がいないわけではないので、その総山的な位置に熊楠を配することには異論があるはずもない。しかし、博物学というのは現在のアカデミズム中心の学問分野には存在しない。明治に生まれたこのジャンルは、後世の自然科学の動向に従って、生物学あるいは動物学、植物学などに分岐し、いまや歴史的呼称として遺されているに過ぎない。 『広辞苑』にも「動植物や鉱物・地質などの自然物の記載や分類を行った総合的な学問分野。明治期にnatural historyの訳語として用いられた」とあるように、熊楠の最もまとまった成果を示す粘菌類の研

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    kozai 2017/03/28
  • 『蔵書論』(仮題)が進行中

    一昨年、蔵書のほとんどすべてを失ったことで、体調に変化をきたじ、これを機に蔵書とは何かということを考えるようになりました。  近年、蔵書処分をめぐって悩む人が増えているそうで、1つの世代的な現象なのかもしれません。私の場合はあらためて近代の蔵書形成期を振り返りながら、その中に自らを位置づけ、さらに蔵書の可能性と限界について考えてみました。  すでに脱稿し、出版の方向に向けて動き始めています。私の最後のになると思うので、時間をかけて仕上げたいと思っています。

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    kozai 2017/02/13
  • 四字熟語も危うい

    最近、稀勢の里が横綱昇進の伝達式にあたり、どんな四字熟語を使うかという期待が広がったが、肩すかしをわされたということがあった。消え失せつつある伝統的表現を、せめてこのような場面ぐらいは発揮してほしかったと思うのは、私一人ではないだろう。 もう十年以上も前の話だが、美しい日語を、声を出して読むことをすすめるが、ベストセラーとなったが、それを受けた形で、時の宰相が文語文の復活を提唱するという話題もあった。こういう動きはすぐに忘れられ、同工異曲のが途絶えることなく出版されるが、なんらかの効果があったという話は聞いたことがない。 それはともかく、私は文章を声を出して読むことには、ある程度賛成だ。詩の朗読を楽しむ各国の習慣には学ぶべき点が多いと思っている。ことばの響きやリズムを洗練させるためにも、言語学習、言語生活の幅をもっと広げることが必要かもしれない。それには文語文が適している。 もとも

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    kozai 2017/02/12
  • ああ十二月八日朝…

    安倍首相が現職総理としてはじめて真珠湾に訪れるという。毎年開戦日には何か書きたいと思いつつ、五年前と十年前に一度ずつアップしたにとどまる。 その十年前のは、webの前身である「吉備高原の工房にて」に出したもので、最近必要あって読み直して見ると、付け加えるべきことはないように思えるので、そのまま再録してみた。数字等もそのままである。 -------------------------------------------------------- ■「時の歩みは三重である。未来はためらいつつ近づき、現在は矢のように飛び去り、過去は永久に静かに立っている」。――これは18世紀ドイツの詩人にして劇作家シラーの言だが、私たちの時代には「未来はためらうことなく迫り、現在は儚い電波のごとく消え去り、過去もまた静かに立つのを許されない」というのが実感ではないだろうか。 ■戦後61年、社会全般に危機的な事

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    kozai 2016/12/11
  • 生きてるかい?

    「生きてる会」というのは、私の大学時代の同窓会の名である。年度は全員が80歳を超えたというので、出席を考えたが、私の現在の体調では不調法をやらかす恐れがあるので、やむなく欠席の通知を出した。 高校の同期会の案内も届いた。「会えるうちに、会っておこう!」とあって、切実な思いに駆られたが、これにも欠席の返事を出すしかなかった。 今月末ごろには、中学の同期会の開校70周年記念誌が出る。私はこの中学の2回生であると同時に、六三制教育の2年目の生徒で、大変貴重な体験をさせてもらった。いずれ詳しく書きたいと思う。 「同窓会」でネット検索をすると、あきれるほど千篇一律の集合写真の山がでてくるが、これは仕方がないだろう。みな人生を謳歌していて、着ていく洋服以外には何の屈託もなさそうだ。日の未来はキミたちに任せたよといいたいのだけれど、それも少々ちがうような気がしてくる。 そんなわけで、このコラムも締ま

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    kozai 2016/11/13
  • 布滝(津山市)

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    kozai 2016/08/16
  • だって、儲からないもんよぉ

    今度の参院選で画期的だったのは、選挙権が満十八歳以上に引き下げられたことだったが、若者たちはどのような思いで初の一票を投じたのであろうか。 TVの「首都圏ネットワーク」で見たのだが、ある高校で選挙教育を受ける高校生が、授業がはじまると間もなく、二、三人が退屈のあまり居眠りをしてしまった。教師が注意しても爆睡している。やむなく無視して、選挙の意味やら年配者の中における若者の地位といった主題から説き起こし、いまの日社会で何が問題になっているかということを、生徒のわずかな関心から引き出し、整理していく。たとえば「保育施設の不足」とか「テロの蔓延」とか…。 こうして現代社会の諸問題を拾いあげ、一票の意味を理解させていくのだが、多くの生徒にとっては地獄の責め苦に等しいようだった。何しろ新聞は読まない、TVもアニメしか見ない、スマホはゲームとメールだけという日常に、自らを国政選挙の有権者と位置づける

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    kozai 2016/08/16
  • 老いのグレーゾーン(1)白内障手術

    白内障の手術を受け、右眼が約1ヶ月、左眼が20日間ほど経過した。幸い順調なので、これから同じことをしたいという方々のご参考に、経験したことの一端を記しておきたい。 ◆思ったより大変だった 眼科専門の医院で定期検診のさい、「白内障が出てますよ」といわれたのは2年ほど前のことだが、あまりピンと来ないで、近眼用のメガネを新調することばかり考えていた。新調といっても、遠近両用となると廉価なものではない。ためらっているうちに昨年秋ごろ、「もう手術しても早過ぎはしませんよ」といわれてしまった。 昨年の前半から夏にかけて、いろいろ心労が重なったので、白内障の症状もだいぶ進んだに相違ない。すぐにも手術をと考えたが、折悪しく移転話が持ち上がった。一口に移転といっても、四十年間住んだ土地を離れ、三万冊の蔵書を処分しなければならないのだから、半生に経験したことのない“大難”である。もう白内障どころの騒ぎではなく

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    kozai 2016/06/11
  • ホームページ休止のお知らせ

    突然ですが、このホームページをしばらく休止することになりました。書斎の移転に伴う再出発にあたり、新たな構想を練るために時間をいただければ幸いです。 1997年にスタートし、その後一時的な中断もありましたが、なんとか18年間を維持してまいりました。創設の動機は、私の執筆活動の一環となるよう、目下のテーマ、創作余滴、日常の話題などを気軽に書き込むことにありました。紀行のような、ふだん手がけない分野に踏み込んでみたいという意欲もありました。 結果として、震災対策を兼ねた書斎および書庫を、岡山県の吉備高原という中山間部の“吉備高原都市”(ニューシティ)に定め、新たな心境のもとに執筆活動を開始したのは1997年5月のことでした。ホームページはその活動の一環として始めたもので、同地にて創作活動にいそしむ日画家、森山知己さんの全面的なご協力によるものでした。 森山さんのご案内で岡山の豊かな自然と伝統に

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    kozai 2015/11/16
  • 大声で喚け危機の時代

    終戦直後の学童の日常を描いたものは、あまり見かけないので、記しておきたい。 学校では、先生が叱らなくなった。いや、相変わらず叱るのだが、ほんの半ヶ月も前のように「ヘナチョコ! そんなことで軍隊に行けるか!」「もっと腕を高く上げい! 天皇陛下バンザイの精神で!」といった罵声は聞かれなくなったので、迫力はグッと目減りした。一時間目のはじまる前に、「大きくなったら、何になるか!」と問われ、一人一人「ハイ! 兵隊さんになります!」と答える必要もなくなった。だいたい、何になるのか、なれるのか、子どもたちには皆目わかからなくなっていた。 教師がなにほどか元気をなくした様子を、最も敏感にとらえたのは、どこの学校にもいる乱暴者だった。学校の内外を、二、三人群れをなして彷徨しながら、「オトコ~なら、なれよアジアの海賊馬賊、いでや行くなら決戦場へ、どうせ行くなら九段坂、オトコ-ならやってみなー」などと放歌高吟

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    kozai 2015/09/26
  • 戦後70年の停滞

    毎年夏になると、戦争体験の風化を憂える論議が盛んになる。ましてや安保法制の動きが急な今年は、「実の体験世代でもないくせに、体験者面をするな」というた恫喝めいた声さえ加わり、喧噪を極めつつある。一時報道された、広島市の平和記念公園にある原爆死没者慰霊碑がハンマーで傷つけられたり、長野県上田市の戦没画学生慰霊美術館の石礎【いしじ】にも、赤ペンキがかけられたりといった動きは鳴りをひそめているが、実はもっと隠微な形での隠微ないやがらせが跡を絶たないという。 戦争体験の風化は、すでに'70年代から問題化していた。あたかも当時の日は石油ショックを乗りこえ、経営の立て直し(減量経営)に成功し、海外市場への進出を果たしつつあった。欧米に先駆け、経済を回復した自信は大きかったが、あまりにも急激な政治経済の変化により、素朴な経験が原型のままでは通用し得なくなった。その結果、過去の体験や歴史、人間知の集積を軽

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    kozai 2015/06/23
  • 犬養木堂記念館(岡山市庭瀬)

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    kozai 2015/06/09
  • 当世蔵書事情

    この数年間、悩まされ続けているのが蔵書処分である。いまさらその心境にふれたくもないが、六年前「イマジン」という雑誌の2009年6月号に寄稿した「当世書物事情」という一文が出てきたので、若干の改訂を施して再録することにしたい。 ---------------------◆----------------------------- 六、七歳ごろから、横浜牧の古書店を、子どもの足で一軒一軒回っていた記憶があるが、近年は体力低下と時間不足によりネット通販に頼ることも多くなった。 もう七年以上も前になるが、畏友の草森紳一が自宅の蔵書の山に埋もれるようにして逝った(2008年3月20日)。じつは草森の生前、私は人の口から「自分はものを整理したり、処分したりするという能力が全くない」ということを聞いていたのであるが、それはともかく、物書きなら誰でも自分の蔵書を安易に処分したくはない筈だ。江戸後期の国

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    kozai 2015/05/19
  • 見えすぎないページ : 紀田順一郎のホームページ

    装幀家の菊地信義氏の持論に、「見えすぎない装幀」がある。装幀とは著者と読者の間を取り持つものであるから、著者の既成のイメージをこわすのはよくない。といっても、型にはまれば「またか」と飽きられる。すでにあるイメージにわずかに変化をつけるのがコツであるという。見えすぎない装幀という考え方も、このような批評性から生まれたものにちがいない。 著者と読者の仲立ちとなるという装幀家の機能は、編集者の役割と同じである。の内容を客観的に評価し、その魅力を引き出して読者に差し出す。装幀という仕事が基的に編集者の依頼によって成立し、多くの場合オビのデザインまで担当するのも、それが編集行為の延長上にあるからだと思えば、なんの不思議もない。 それでは電子出版(DVD)の装幀はどうだろうか。古い例で装幀というよりもパッケージデザインというべきだろうが、ボイジャー社の『新潮美術ROM』ほか電子シリーズ、伊ミリー

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    kozai 2015/01/25
  • 紀田順一郎 『幻島はるかなり』

    一年間、単行化に向け努力した新著が、ようやく上梓の運びとなりました。 学生時代から1960年代ぐらいまで、同好者が多かったせいもあり、私のミステリ読書は相当量にのぼるものでした。歴史的には戦後ミステリの疾風怒濤時代(再生~発展期)で、ハードボイルドの導入、社会派ミステリの勃興をはじめとする興味深い動きも多々ありました。 その一端は『戦後創成期ミステリ日記』(松籟社、2006)に記した通りですが、2010年から約2年間「ミステリマガジン」に連載した「幻島はるかなり」は、もう少し当時の世相風俗や学生気質とオーバーラップするような視点から、出版や映画の事情、書店の状況をはじめ、私個人の環境(家庭・学校)などにもふれたクロニクルとなるよう工夫したものです。 もとより、単なる懐かしのメロディーではありません。戦前から戦後にかけての回想で、ミステリが戦時の抑圧からの解放手段としてあり得たこと、戦後十

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    kozai 2015/01/12
  • 富裕層の歴史

    富裕層」という、いつ聞いても小骨がのどに突きささるような言葉がある。明治大正時代には「成金」ということがあった。いまから8年前の「週刊ダイヤモンド」(06/10/02)に寄稿した談話を、以下に再録したい。 「新たな富裕層の台頭で時代が逆行する日社会」 明治、大正時代に突如として現れた富裕層、いわゆる「成金」である。彼らは途方もない豪邸を建て、愛人を囲い、常識破りの浪費に明け暮れた。もちろん、大倉喜八郎のように、事業を興し、美術館を残した人物も存在したが、多くの場合、成金は数年で姿を消した。 彼らは放蕩に明け暮れ、社会も彼らを立身出身の象徴としてもてはやすことが多かった。国力の発展と個人の成功が一致するという考え方が、国民の心を支配していたからだ。無論、高額紙幣を燃やして見せるような成金の行為は軽蔑されたが、成金が姿を現すたび、同じような愚行が繰り返された。 当時の日は圧倒的に貧しく、

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    kozai 2014/12/06
  • 赤瀬川原平さん逝く

    赤瀬皮原平さんが亡くなられた。外骨忌で同席したり、家が近所になってからは散歩の時間に立ち話をするといった関係だった。共通の知人も多かったが、その中に宮田国男という私の高校時代の親友がいたことを、1986年刊の『東京路上探検記』(新潮社)によって初めて知り、意外の感にうたれたものだ。 宮田国男は内科医の次男で、父親の跡を継ぐべく慶応医学部に在学中、当時の国電新橋駅直近のビルに内科医を開業していた父親に死なれてしまったのだが、まだ学業半ばとあって、診療室を画廊として開放することにした。 たまたま赤瀬川さんの友人画家が国男を知っていたことから、この画廊を紹介されたことで、デビュー前の赤瀬川さんが〝梱包作品〟などの前衛作品を展示するチャンスを得たというわけだ。当時、新橋駅のホームからも「内科画廊」という看板を見ることができ、書の図版にはその窓から赤瀬川さんの作品(梱包材)がハミ出しているユーモラ

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    kozai 2014/11/02