斎藤 五百枝(さいとう いおえ、1881年12月21日 - 1966年11月6日[1])は、日本の映画美術の美術デザイナー、背景画家、出版における挿絵画家である[1]。日本映画の黎明期に、吉沢商店、日活向島撮影所、国際活映角筈撮影所で、クレジットされることもなくセットの背景を描いた人物であり、後に『少年倶楽部』の表紙画で人気を博した[1]。岡田三郎助門下。 人物・来歴[編集] 1881年(明治14年)12月21日[1]、千葉県長柄郡一宮本郷村(現在の長生郡一宮町)に、旧一宮藩(加納氏)家老堀内家の三男、俊郎の第七子として産まれる。のち、父の俊郎が旧大和田原本藩(平野氏)家老斎藤家の養子となったため、斎藤姓となる[2]。 一宮尋常高等小学校(現在の一宮町立一宮小学校)、私立京華中学校を卒業。白馬会洋画研究所で洋画を学ぶ。1904年(明治37年)東京美術学校(現在の東京芸術大学)西洋画撰科に入