水野 忠邦(みずの ただくに)とは、天保の改革と呼ばれる幕政改革を推進したことで知られる老中であり、徳川吉宗、松平定信と一緒に江戸時代改革三点セットで受験生に刷り込まされる存在である。 もっともその実情は、同僚、旗本、大奥、民衆、そして海外オタクと、あらゆる連中を敵に回してもなお改革を断行し、そして見事に失敗、幕府の屋台骨をゆるがせた頑迷な人物として紹介されている。実際、独断専行の傾向が強く、忠邦が音頭を取った天保の改革にも如実にそれが反映され、結果として幕府の人材不足と制度疲弊、何よりも旧態依然の価値観の象徴としてその後の歴史の教科書の俎上に上ることになる。 まぁ、間違ってはいない。 結局、他者の便益、心情を考慮しない、悪い意味で唯我独尊の男だという定評そのままに、時代を作ったひとかどの人物であることには変りはない。すなわち、ネタとして大変においしい存在である。 前歴[編集] 忠邦は九州