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哲学に関するkuroiseisyunのブックマーク (105)

  • ハイパーテキスト版 論理哲学論考 (Tractatus Logico-Philosophicus)

    Ludwig Wittgenstein Tractatus Logico-Philosophicus Yet another Hypertext of the Ogden bilingual edition. ウィトゲンシュタイン(ヴィトゲンシュタイン)の論理哲学論考を始めて読んだときから、ハイパー・テキストにすれば(少しは)理解しやすくなるのではと思っていたのですが、同じ事を考えた人がいて ここ にドイツ語英語のhtmlが公開されています。C.K. Ogdenと言う方の独・英対訳を、Jonathan Laventholと言う人がhtml化し公開しています。 アクセスして見ると、最初の画面に1から7までの命題が表示され、1を選択すると、1.1と1.2の命題だけの画面に遷移します。 私のイメージしていたハイパーテキストは、こういう動きではなく、1を選択すると1.1と1.2が追加される(2-

  • 『サイエンス・ウォーズ』 - leeswijzer: een nieuwe leeszaal van dagboek

    金森修 (2000年6月30日刊行,東京大学出版会,東京,458+xxxiii pp.,体価格3,800円,ISBN:4130100858) この際だから,十年前に岩波『科学』に掲載した書評の原稿をアップしておくことにしよう. 【書評】※Copyright 2001, 2012 by MINAKA Nobuhiro. All rights reserved 科学・技術・社会の相互関係を論じる科学論は,科学的営為に関する言説をさまざまなデータから検証することであると私は考えている.確かに,書の第III部で詳細に論じられているように,遺伝子操作・生殖医療・優生学・エコロジー運動など生物学と社会との接点には,科学論が対象とすべき重要な問題群が生まれつつある.“総覧的に見るなら現代の科学論(science studies)は科学史,科学哲学,科学社会学の三つの軸から構成されている”(p.28)

    『サイエンス・ウォーズ』 - leeswijzer: een nieuwe leeszaal van dagboek
  • [書評]アレクサンドリアのフィロン入門(E.R.グッドイナフ): 極東ブログ

    アレクサンドリアのフィロン( Φίλων ὁ Ἀλεξανδρεύς)は、紀元前25年頃に生まれ西暦45年から50年頃に死去したユダヤ人哲学者である。呼称からわかるように当時の大都市アレクサンドリアの人であり、数代前からローマ市民権を持つ富裕な名家に属していた。書「アレクサンドリアのフィロン入門」を著したE.R.グッドイナフは、その家系を19世紀末欧州のロスチャイルド家に例えている。ただし、その家の富を管理したのはフィロンの兄弟(弟であろう)アレクサンドロスであった。 フィロンの生存期間には、同じくユダヤ人のイエス・キリストの生涯が含まれる。イエスはフィロンを知っていたかもしれない。使徒行伝でヘロデ王(ヘロデ大王の孫)と呼ばれるアグリッパ1世が借財に苦しむおり、フィロンの兄弟であるアレクサンドロスは彼にかなりの金額を貸与しているし、フラウィウス・ヨセフスによれば、アレクサンドロスはエルサ

  • トークイベント「SFは僕たちの社会の見方にどう影響しただろうか?」用メモ - shinichiroinaba's blog

    昨日24日の「現代経済思想研究会・特別セミナー 稲葉振一郎・田中秀臣・山形浩生・トークイベント「SFは僕たちの社会の見方にどう影響しただろうか?」」は盛会のうちに無事終了いたしました。お越しくださった皆様、ありがとうございました。 当日のレポはtwitterをもとに前田敦司さんがこちらにおまとめになっていらっしゃいます。また田中さんの感想兼問題提起はこちらです。 いかにペーストするのはぼくが事前に自分用に作った覚え書きです。私的メモですからいい加減です。読み上げ原稿ではありません。実際の会ではここでの論点の半分くらいしか出せていません。 ===================================== 山形浩生の芸術論を少し敷衍してみよう。 山形によれば、芸術の主たる機能は、人間の認知能力の「別の使い方」を開示・例示してみせるところにある(「アート・カウンターパンチ」)。 ここで

    トークイベント「SFは僕たちの社会の見方にどう影響しただろうか?」用メモ - shinichiroinaba's blog
  • The Red Diptych

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  • まとめよう、あつまろう - Togetter

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  • スコトゥスの「共通本性」をめぐって。

    中世哲学のキー概念である「共通性」(natura communis)について繰り広げられたツイートをとぅぎゃってみたよ。スコトゥスの「(共通)性(/自然)」の問題→アヴィセンナ「馬性は馬性でしかない」(時々ライプニッツ登場)→天使の性としての共通性→共通性が問題なのではなく実体論の問題→アヴェロエス『形而上学』註解→アリストテレス『形而上学』Z巻を中心とする実体論の受容の問題→アヴェロエスを前提とする、トマスの『存在と質について』とスコトゥスの違いの問題、という流れみたい。

    スコトゥスの「共通本性」をめぐって。
  • 『ジョン・サールとの対話』 - katosのブログ

    Conversations With John Searle Gustavo Faigenbaum Libros En Red 2001-07 売り上げランキング : 315549 Amazonで詳しく見る by G-Tools 一部を(勝手に?)和訳してWebに乗せた人がいたらしく(もう現物は削除されている)、フーコーやデリダについてサールが語った内容が日語で読めるのだが、これがもう抱腹絶倒(←やや大げさ)、かつ(とりわけ社会学をやっている若い人たちの一部には)タメになるので、一部孫引きしてしまおう。要するに「デリダ・サール論争」などというものは存在しないのだ。 他方で,ミシェル・フーコーならよく知ってる.バークレーで同僚だったからね. あるとき,とぼくとで彼とランチで同席したことがあってね.彼に言ったんだ, "Michel, pourquoi tu écris si mal?"――

    『ジョン・サールとの対話』 - katosのブログ
  • ララビアータ:スピノザとライプニッツ - livedoor Blog(ブログ)

    マシュー・スチュアートの『宮廷人と異端者』(書肆心水)を読んだ。スピノザとライプニッツ両哲学に興味がある人にとっては、見逃せないである。両哲学者の書簡を含むテクストはもちろん、その周辺の人々の資料にも目くばせが行き届いた興味深い一冊。著者は哲学者たちの理論や人間性の解釈にまで立ち入った上で、彼らの複雑な影響関係について独創的な解釈を打ち出している。 1676年11月ライプニッツはハーグにスピノザを訪ねているが、このときの対談は、通常言われているよりも濃密で長時間(少なくとも数日間)にわたるものであったらしい(p−251)。ライプニッツには、既にスピノザの説を受け入れる準備が整っていたのだが、このときの対談を境にして、ライプニッツは次第にスピノザから距離を取り始め、やがてまったく敵対的なものと見なしてゆく。これを著者は、思想史的ドラマとしてのみならず人間ドラマとして描き尽くそうとしている。

  • <分析>哲学者・戸田山和久著作ダイジェスト - Repeat The Ending

    さしあたり更新おやすみ中です。 戸田山和久さんはいわゆる分析系――戸田山さんや飯田隆さんにいわせると「分析系」とひとくくりにすることが今や期限切れということになるのでしょうが――の哲学者で、単著ではかなり一般向けのを書いていて、マニアックなトピックは雑誌やアンソロジーで扱っているという印象です。『科学哲学の冒険』などで戸田山さんは<分析系>の哲学者としては有名なほうだと思うのですが、論文の多くは一般読者の目にとまりにくいところで書かれてたりするので、その全貌がちょっとわかりづらいことになっていると思います。せっかくファンになっても単著で止まってしまうのはもったいないと思い、そこからディープな戸田山ワールドへ進んでいけるようこれまでの仕事に少し光を当てられたら、と思いました。 容易に入手できるもので哲学関係のものはほとんど読んだと思いますが、もちろん見逃しがある可能性はあります。なお、読ん

    <分析>哲学者・戸田山和久著作ダイジェスト - Repeat The Ending
  • 認識論者に聞け - 懐疑論、デイヴィドソン、ウィトゲンシュタイン

    at_akada @at_akada 認識論の入門書を買ってみた。Pritchardの"What is this thing called Knowledge?"と"Knowledge" http://www.amazon.co.jp/dp/0415387981/atakada-22/ref=nosim/ Masashi Kasaki @kasa12345 @at_akada まあ分析的認識論に関しては、日では言語哲学とは比にならないくらい誤解があふれていますね。下手に専門書読んで誤解するより、こういう学部向けの入門書を読めばいいと思います。向こうの専門家も、結構授業のためにとかで入門書結構読みますからね。

    認識論者に聞け - 懐疑論、デイヴィドソン、ウィトゲンシュタイン
  • アール・コニー+セオドア・サイダー『形而上学レッスン――存在・時間・自由をめぐる哲学ガイド』 - logical cypher scape2

    タイトルにあるとおり、形而上学の入門書である。 が、そもそも形而上学とはなんぞやというところが分からないとならないだろうが、それはそれ自体が一つのトピックになるほど、実は厄介であったりする。 とりあえず、訳者あとがきから要約しておくと、 形而上学とはまず哲学の中の一分野であり、わけても「時間」や「自由意志」や「必然性」などといったことを扱う哲学である。 「時間」や「自由意志」など誰もが哲学的だと思うトピックであろう。つまり、形而上学は、言うなれば哲学の中の哲学、「ザ・哲学」なのである。 さらに付け加えるならば、書が扱う形而上学は、分析哲学のスタイルで行われるそれである。それはすなわち、「アメリカン・スタイル」の形而上学のことである。 「アメリカン・スタイル」であるということは、分析哲学であるということに加えて、例えば「ターミネーター」などの例が使われていることや、過去の哲学者の引用が使わ

    アール・コニー+セオドア・サイダー『形而上学レッスン――存在・時間・自由をめぐる哲学ガイド』 - logical cypher scape2
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  • 山内志朗『普遍論争』 - logical cypher scape2

    中世哲学のトピックの一つである普遍論争について、従来的な図式を壊して解説するもので、語り口は平易なのに難解な。 難解なのは、中世哲学独特の単語や言い回しのせいだが、テクストを引用した後、ちゃんと噛み砕いてくれているので、見慣れない単語に目をくらませずにいけば、一応読める。とりあえず、難しいなーということは分かるw あと、中世哲学って時代がとても長いことに読んでいる最中に気がついた。11世紀から15世紀くらいまである。当然色んな人が出てくるが、ほとんど名前も知らない。知っていても、それこそ名前を聞いたことあるレベル。そういうあたりも、中世哲学のとっつきにくさにはなっている。 ただ、こののすごいところは、後ろに人名小辞典というのがついていて、それがなんとのおよそ3分の1を占めていることで、これを参照すればいいのかもしれない*1。 さて、普遍論争というと、普遍をめぐって、唯名論と実在論と概

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  • 系統樹ウェブ曼荼羅 NTT出版Webマガジン -Web nttpub-

    このたび連載を始めることになった〈系統樹曼荼羅〉が目指すところは、「系統樹」というキーワードを手がかりにして、古今東西にわたってさまざまなオブジェクトの分類システムあるいは体系構築を目指した図像を解説とともに呈示することにある。 系統樹や分類ということばはこれまで動植物の博物学(ナチュラル・ヒストリー)と関連づけて論議されることが多かった。しかし、関連資料を探索するにつれて、系統樹は単に生物だけをターゲットにしていたわけではないことが見えてきた。多様なオブジェクトを人間にとって理解しやすくするための図形言語あるいは表現手段として、系統樹は生物学や博物学を越えたもっと広い視野のもとにとらえ直す必要があるだろう。系統樹は「図像」という表現手段によって、オブジェクトの多様性のもつ情報を貯蔵・伝達するという大きな役割を背負ってきたのである。 それと同時に、「絵」としての系統樹は独自の美的要素を色濃

  • だいたい日本語で読める(ウィトゲンシュタイン派)エスノメソドロジーのウルトラ基本文献 - 2010-11-11 - 呂律 / a mode distinction

    つい先日、某哲学科院生(ウィトゲンシュタイニアン見習い)向けに「EMへの入門最初の一歩」を踏み出すためのリストを作成したので、ついでに こちらにも載せておきます。 なお、紹介文中に何度もウィトゲンシュタインの名前が出てくるのは、宛先がウィトゲンシュタイにゃんだったから。 【A】概観&入門書・教科書 なにはともあれ、エスノメソドロジーの概観は必要かと思います。哲学専攻のかたに──短いということも含め──いちばんアクセスしやすいのは 哲学者の手による紹介[0b]でしょう。これは、EM の重鎮、[4]の著者でもあるマイケル・リンチ(前 Society for the Social Studies of Science 会長)の仕事を紹介したものです。 教科書としては、私たちがつくった[0a]を。こちらに内容紹介があります: http://socio-logic.jp/ethnomethodolo

    だいたい日本語で読める(ウィトゲンシュタイン派)エスノメソドロジーのウルトラ基本文献 - 2010-11-11 - 呂律 / a mode distinction
  •  「進化論はなぜ哲学の問題になるのか」 - shorebird 進化心理学中心の書評など

    進化論はなぜ哲学の問題になるのか―生物学の哲学の現在“いま” 作者: 松俊吉出版社/メーカー: 勁草書房発売日: 2010/07/13メディア: 単行購入: 11人 クリック: 190回この商品を含むブログ (27件) を見る 書は進化生物学*1 にかかる科学哲学についてのアンソロジーである.執筆者には若手科学哲学者たちが名を連ね,それぞれの考察をまとめている.全部で200ページ強の小振りのになっている. 冒頭第1章は松俊吉による「自然選択の単位の問題」*2 基的には論争史を簡単に紹介するというスタンスになっている.まず遺伝子淘汰説の問題としてジョージ・ウィリアムズとドーキンスの説明についてのソーバーたちの議論,それに対するステレルニーたちの議論を紹介する.この部分では,キッチャーの整理として,ドーキンスの主張は当初の「一元論的対立遺伝子淘汰主義」から後に「多元的対立遺伝子淘汰

     「進化論はなぜ哲学の問題になるのか」 - shorebird 進化心理学中心の書評など
  • エリオット・ソーバー『進化論の射程』 - logical cypher scape2

    三中さんので紹介されていたで、ようやく読めた*1。 日語サブタイトルは「生物学の哲学入門」、原著タイトルはそのものずばり“Philosophy of Biology”である。 では、生物学の哲学とは何か。まあ、何かと問われてはっきりとした答えが出せるものでもないのだが、その名の通り生物学における哲学的な問題を扱う学問領域である。科学哲学でもあるし生物学でもある。生物学における様々な議論が、科学哲学の概念を踏まえて整理されている、とも言えるかもしれない。ここで、序の一部を引用してみる。 私は生物学を、実証主義や還元主義、科学的実在論のテストケースとして見ようと言う気にはならない。それは、私がこうした哲学的な〜主義をつまらないものだと感じているからではない。生物学の哲学を、生物学のただ中から浮かび上がらせるというのが、私の好む編集方針だからである。 〜主義のテストケースとして生物学の例に

    エリオット・ソーバー『進化論の射程』 - logical cypher scape2
  • ある平凡助教授の,なんということもない日々 本気では読めない公共哲学

    2024 . 07 « 12345678910111213141516171819202122232425262728293031» 2024 . 09 information 平凡助教授 「平凡助教授」(平成香川大学図書館) は,高松に実在する大学に所属する教員 (専門は社会選択とゲーム理論) を始めとする典型的な大学教員をモデルにした人物である. こちらは関係すると思われる人物が発信する情報.過去のエントリーや各エントリーのタイトルは「theorist2のはてなハイク」をクリックすれば見れる): この作品 (ブログ) はフィクションであり,実在の人物・団体・出来事とは関係ないことがある. 月1,2 回ていどの更新を予定.更新情報を得るには,RSSリーダー (あるいは同等機能がついたブラウザ) を薦める.カテゴリー別,あるいはコメント・トラックバックの更新情報も得られる. リンク歓迎.記

  • 鬼界彰夫『ウィトゲンシュタインはこう考えた』 - 海を歩くために目を凝らす

    ウィトゲンシュタインはこう考えた:哲学的思考の全軌跡1912-1951 (講談社現代新書) 講談社、2003年7月 ★感想メモ たいへん密度の高い重厚な内容。ウィトゲンシュタインの著作(テキスト)の書かれた時期と、彼の思考のつながりと重なりとを、これまでのテキスト研究の成果をもとに再構成して見せてくれている。 ていねいにほぐされたウィトゲンシュタインの思考は、著者の言葉によって語り直されることでいくつもの支流の合わさった大きな川のように太い流れとして入り込んできて、私の問題として読まされた。 読み進める中で、自分の中で何度か「感動」と名づけたいような静かな振動が起きた。 自分も考えをめぐらせたことのある問題、というのがいくつかあった。明確な答えを出せたわけではなかったそれらの問題は、ウィトゲンシュタインの説明から、おそらく哲学という分野を超えてこれからの「生」の実践の中で活きていくだろう、

    鬼界彰夫『ウィトゲンシュタインはこう考えた』 - 海を歩くために目を凝らす
    kuroiseisyun
    kuroiseisyun 2010/09/06
    ウィトゲンシュタイン