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秀逸と国家に関するkurotokageのブックマーク (3)

  • 愛国心の議論について - 今日行く審議会

    2006年6月1日、衆議院教育法に関する特別委員会の会議録から小渕優子議員の質疑の一部を引用したい。 ○小渕委員 (前略) 教育法改正において、教育の目的、理念として、「我が国と郷土を愛する」と記されています。国と郷土を愛するということを規律化し、評価する方向に向かうとの懸念が示される向きもありますけれども、先般、大臣も御答弁されましたが、これは客観的に評価されるものではなく、心の内側から沸き上がる心情を養うものである、私もそのように考えています。 近く、ワールドカップドイツで開催されます。きのうも朝早くからごらんになった方も多いのではないかと思います。あのワールドカップを見ていますと、世界の多くの国々の人たちが、それぞれの国旗を持ってチームの勝敗に一喜一憂し、国旗を振り、国歌を歌うというのは、まさに、これはだれから強制されるということでもなく、自然に沸き上がってくる感情であると

    愛国心の議論について - 今日行く審議会
    kurotokage
    kurotokage 2006/06/22
    “その「愛国心」は誰に利益をもたらすのか。「愛国心」をつかって利益を得ようとしているのは誰か。”
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    去る09年7月16日のトムラウシ山での遭難事故で亡くなられた方へ心よりご冥福をお祈りいたします。 はじめてご訪問の方はこちら(自己紹介および投稿リスト等)をご覧ください。

  • 国家と反国家──(2)教育 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    「国家と反国家──(1)憲法 - モジモジ君の日記。みたいな。」の続き。 個々の人間は国家に保護されつつ、国家を構成し、国家に抑圧される。国家が保護しつつ抑圧する装置であるという両義性を視野にいれて考えなければならない*1。 国家が、個々人のための国家であるためには、国家が体現していないもの、現に存在してはいないものが生まれてくる領域がなければならない。目の前にある世界とは違った世界を構想することが許されている領域、および構想するための力が必要である。すなわち、様々な精神的・身体的自由、および自由な知性が必要である。 こうしてみれば、教育の役割の少なくとも一つがハッキリしてくる。それは現にある国家が体現していない何かを構想しうる自由な知性を育てることである。行政・立法・司法の各種国家権能が、互いに互いを従属させるようなものではないのと同様に、教育は国家に従属してよいものではない。国家と教育

    国家と反国家──(2)教育 - モジモジ君のブログ。みたいな。
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