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ブックマーク / mojimoji.hatenablog.com (45)

  • 「レイプレイ」と言論の自由、その3 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    二つほど。 問題は「性暴力を助長する」ではなく「性暴力そのもの」 問題は、性表現一般ではないし、性暴力一般でさえなく、とりあえずは、性暴力を肯定する表現です。性暴力とそうでないものの境界が曖昧だとしても、問題になっているのは曖昧な事例ではなく、規制派も反対派も「性暴力の肯定的表現」と認識しているものです。そのような表現を、性暴力被害者に対して今なおセカンドレイプ的言説が繰り返される社会において流通させることの問題です。 で、表現は、表現であると同時に、直接の脅迫でありえます。わからないようだからハッキリ言いますが、「性暴力を助長するかもしれない」じゃなくて、それ自体が性暴力なんですよ。レイプが、身体の自由に対する直接の侵害であることは説明の必要はありません。では、脅迫はどうか。脅迫は、身体の自由に対する侵害の予告であって、侵害自体ではありません。しかし、侵害の予告をもって実際の行動の自由を

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    kurotokage
    kurotokage 2009/06/12
    どうしようもない反規制派は実際にいるけど、それとは別に過去に何度も“対話”は繰り返されてきたはず。それを無視する・忘れるのであれば、それこそ“対話”を意味の無いものにしてしまうのでは。
  • 「レイプレイ」と言論の自由、その2 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    昨日の記事に付け加えることはあまりないのだけど、「読み解く」のは難しいのでしょう。同じ事を別様に言うというのは嫌いじゃないので、書いておく。 僕は「愛好家・擁護者がこの程度である限りは、こんなものは規制さるべし」の述べているのだが、重要なのは前半の条件節の方。脚注でも述べているように、ここまでラディカル・フェミニズムをなぞって論を立てても、規制に100%賛成するわけではないのだ。僕は、どちらかと言えば、原則論的な「言論の自由」信奉者だ。規制には「最大限」反対。100%ではないけどね。 性も、性暴力も、暴力も、差別も、殺人も、その他どんなものであれ、表現の対象にしうる。表現したらいい。表現の内容は問題にしうる。問題にしたらいい。表現も、表現を問題にする言説も、原則としては、言論の自由という土俵の上で互いにぶつかり合うことができ、それを通じて、私たちの認識は磨かれる。それでこそ「言論の自由市場

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    kurotokage
    kurotokage 2009/06/11
    ならmojimojiさんはビラ配りやデモの正当性についてどれだけのことを言えたのか。結果を見れば私たちは土俵の上で「不快・不安・迷惑」という言葉に負けたんじゃないのか。それを良しとするのか。
  • 金融安定化法案否決 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    まぁ、驚いたっちゃあ驚いた。やるしかない、と思ってたし。今もそう思うし。ただ、法案に反対した市民がバカだ、というだけでは済まない。他人の金で大博打、勝てば自分の儲け、負けたらあなた払ってね、みたいなザル・ルールで好き勝手やった末に、システムが破綻しかけたら「皆さん、緊急事態です、税金使わせてください」って、そりゃ怒るわな。 日経によると、金融安定化法案は「経営者に懲罰的」なんだそうな。 金融安定化法案の合意を巡っては、共和、民主両党から経営責任の明確化を求める声が強まった。 法案は不良資産買い取りの対象金融機関の経営報酬について、財務省がルールを公表することを盛り込んだ。具体的には同省が資産を直接買い取る場合は、成功報酬を制限し、高額退職金(ゴールデン・パラシュート)を原則禁止する。 資産を入札方式で買い取る際には、一定の条件で高額退職金に税率二〇%の税金を課したり、役員報酬の所得控除に制

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  • オマワリの主人の自覚が必要 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    「死ねばいいのに - 無産大衆」 ここを普段読んでる人なら知ってるだろうけど、僕は全然アナキストなどではないのであって、どちらかというと秩序大好き人間なのであるが(大概の落書きも大嫌いだし)、にも関わらず、こういうデモの弾圧とか、それをまともに報道しないメディアの話とかになると、非アナキストの有象無象のたわごとなんかより、アナキストの方が全然共感できるってのも悲しい話だよな、とは思う。 とりあえず立ち位置 直後に聞いたところによると、運転手に関しては運転席の窓ガラスを割って、無理やりこじ開けたとのこと。それで、逮捕理由が公務執行妨害だと。なんだ、それは。こっちは来しなてもいい許可申請までしてやってるんだぞ、カス。死ねよ。というか、公妨ってなんだ。とりあえず、さっき警察署に弁護士を派遣した救対の人の話によると逮捕者は四名、上記三名に加えてロイターのジャーナリストも持っていかれたとか。 まぁ

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    kurotokage
    kurotokage 2008/07/07
    児童ポルノの単純所持禁止に「恣意的な運用の危険性が…」と慎重な人達は、今回のような例や立川のビラ配布事件などをどう思っているんだろう。
  • トリアージについて二つ - モジモジ君のブログ。みたいな。

    いろんなことが言い尽くされたように思うので黙ってましたけど、わざわざ尋ねてくれた人があったので、簡単に。発端の福耳さんもいろいろ考え直されているようだし、福耳さんを批判しなくちゃ、ということではないですが。基的スタンスとして大事なのは、この記事、かな。>「救ったこととか見殺しにしたこととかあるのかな」@こどものおいしゃさん日記 あと、二点ほど、付け加える。 トリアージって、別に問題の解決でもなんでもなくて、てゆーか、そもそも問題の解決ができないからトリアージが出てくるわけで。だから、トリアージが必要な場面で、トリアージを実行するだけの人たちがPTSDになったりする。人は、問題の解決が可能なのに助けられなかったことが辛いのではなく(そういう辛さもあるときにはあるだろうけど)、問題の解決が可能であろうと不可能であろうとただ助けられないというときに、そのことを直接に、辛く思う。だから、問題の解

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    kurotokage
    kurotokage 2008/05/30
    一連の中でもっとも的確なエントリ。ってこれ24日の時点で書かれているのか。 / トリアージを持ち出す彼らは自分を医者の立場に見立てているんだろうな。四川省地震に例えるなら彼らは中国政府の立場なのに。
  • 十字軍はバカに勝てるか - モジモジ君のブログ。みたいな。

    いわゆる「ニセ科学批判批判」をしている人の文章を読むと、こういうのを書いている人って切実に「これはまずいのではないか」と思うような体験がないのか、単に寛容な人なのか、なんなんだろうという。人によっては自分の周りの人たちは水からの伝言のことを話していてもそんなに真に受けてないし、何を騒いでるの?といったことを書いていたりもしますし。 「昨日のエントリについての補足」@Demilog ニセ科学にはまっている人を見て、切実に「これはまずい」と思うことならいくらでもあります。ただ、ニセ科学を討伐する十字軍をやっても無理だろう、と思っているだけです。バカは、バカとして主体的であることはできても、バカでなくなることはできません*1。怒ったところで宥めたところでスカしたところで、バカが治るわけではありません。バカはバカだからバカなのです。科学的な説明をしてみせても、わかるわけがありません。バカなんだから

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    kurotokage
    kurotokage 2008/05/22
    誰かがのりうつったような文章でおもしろい。 / でもバカの側の人間としてはおもしろがってもいられない。
  • 似非科学を似非科学的に批判すること - モジモジ君のブログ。みたいな。

    「陰謀論やニセ科学と市民運動について」@Demilog 似非科学を批判するな、ってんじゃないんだけど。 似非科学的な人が、護憲を主張してるというときに、その似非科学的なところを批判するのは、まぁ、当然だと思う。ただし、「似非科学的な人が護憲を主張してるから、護憲の主張自体もうさんくさい」などという態度は、それ自体が似非科学的だろう。似非科学的な人でも、窓から身を投げれば落ちることくらいは認めてるだろう。だったら、万有引力の法則はうさんくさい、と言うのか。言うわけがないだろう*1。──これはむしろ、万有引力の法則は認めてもいいが、護憲は認めたくない、と言っているに等しい。似非科学的な上に、典型的な自己欺瞞なわけだ。 別に、似非科学を批判するな、ってんじゃないんだけども。しかし、「似非科学的な人が市民運動やってると、市民運動全体の信用を下げるから問題だ」というようなロジックを採用するならば、そ

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  • 死刑と終身刑についての追記 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    先の記事について、id:toledさんから「死刑がダメなら終身刑もダメに決まってるじゃん。まったく同じ論理で。」とのご指摘。別の方から、「終身刑ならいいってのは違うと思った」との記事のトラックバックも。この点について、簡単に追記する。 まず、「終身刑ならいい」というニュアンスは完全に違う。可能であるならば、僕は刑罰そのものをなくしたいし、裁くこと自体をなくしたいとも思う。だから、一番ラディカルに行くなら、司法廃止。討論のみ。そうなる。──しかし、この路線は現実的ではない。ここでの現実的とは、「私が安全に、安心して暮らしたい」という欲望に即したとき、それと十分に両立すると感じられない、ということだ。だから、「終身刑ならいい」のではなく、「死刑には反対だが、終身刑については、反対しがたい」という感情を持っているということ。──僕は終身刑を正当化したのではなく、あくまでも死刑を棄却したのだ、とい

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    kurotokage
    kurotokage 2008/04/25
    私も前回のエントリを読んで「えぇ?!」と思ったけど、一応は納得できた。排除される側にとっては(死刑と終身刑は)大きく違うというのはまったく同意。
  • だから死刑には反対する - モジモジ君のブログ。みたいな。

    光市事件について、遂にと言うべきか、死刑判決が出た。 この事件について、これまで発言したことはないが、もちろん、折に触れて報道に触れる以上、何も考えないではなかった。いくつかのことを整理して述べてみる。 率直に言って、村氏の主張については、首肯することはほとんどなかった。ただ、少なくとも、次のようには思う。第一に、その一つ一つのことの中に仮に批判しうる点があるとすれば、具体的にそれを取り出して、検討した上での指摘しなければならない。第二に、仮にそのように批判ができたとして、どうして彼がこのような主張をしなければならなかったかを、踏まえなければならない。つまり、彼は突然にこのような事件の当事者となり、何の準備もないまま、事件に対する態度表明、その理論的正当化、実際の発言と行動、そうしたことをやらねばならない立場におかれた。ゆえに、仮に彼の主張に批判しうることがあるとしても、まずは、過酷な日

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    kurotokage
    kurotokage 2008/04/25
    正直、直接被告と接見したわけでもなく断片的な情報から推測することに疑問を感じるのだけど、「荒唐無稽」で切り捨てるよりよっぽどマシ。 / ↓一審第四回公判の時点では殺意を否認していた。
  • 排外主義者、あるいは日曜サヨク、その2 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    さて、見つけてしまったので、「倫理の一貫性」(@extra innings)という記事について反論しておく。チベット問題を語っているときに、パレスチナはどうなのだ、アイヌはどうなのだ、という論点をぶつけられたとして、それをどう理解するか、という問題。「排外主義者、あるいは日曜サヨク」の続き。 iteau氏の二つの記事について ↑でid:kurotokage氏が提示したリンク先の記事を書いた人がそもそも倫理の一貫性を行動として示してきたか非常に疑問があるのだが、id:kurotokage氏が仮に倫理の一貫性を問うのだとすれば、その対象の取捨選択は恣意的ではあってはならないはずである。 言うまでもなく、それらは同様に抑圧と侵害の問題系なのであり、「すべてが問題である」と述べるのは当たり前のことである。ただし、人の使える時間は無限ではないから、一人で何もかもについて発言し、行動しつづけることは無

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  • 排外主義者、あるいは日曜サヨク、その3 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    さて、先の記事に対して、id:ruletheworld氏から返事があったので、応答する。>http://anond.hatelabo.jp/20080331011310 「お返事」部分に対して、逐一応答していく。 「チベットへのコミットのみを支持し、それ以外のコミットを批判する(支持しないのではない、積極的に攻撃する)ような態度を正当化する一貫性」 なんというわら人形。一番質的な所が全く述べられてないんだが。その記述に倣うならこう。 「チベットへのコミットのみを支持し、それ以外のコミット『をチベットに関連付けする事で、来チベットへ向かうべきであった問題の焦点をずらし、エネルギーを分散させてしまう事』を批判する(支持しないのではない、積極的に攻撃する)ような態度を正当化する一貫性」 ブコメだから適当読解で、言ってもいないことを勝手に読み取るマンはカンベンな。 要するに、自分の信奉する政治

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  • 排外主義者、あるいは日曜サヨク、その4 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    iteau氏が反論を書いたそうだ。>id:mojimoji氏への反論 しかし、不思議な読解をする人たちだな。 元々、「アイヌとチベットと」の中で、「チベット問題との温度差をすげえ感じた - NC-15」という記事に対して示されている、「「どっちもどっち」「いずこも同じ」なる相対化を行い、目前の暴力行為に沈黙をしてしまう、沈黙を強要する」という解釈が的外れだ、ということなのだ。 指摘するまでもないことだと思うが、muffdiving氏は、アイヌ問題とチベット問題の両方を問題だと考えているのは明白だ。仮にチベットを問題にするならば、少なくともアイヌを問題にすることを批判するな、と主張しているのである。そして、(これはバカでないなら分かることだが)「アイヌを問題にすることを批判するなら、チベットについても問題にするな」とは述べていないのである。当たり前だ。何をどう読んだら「沈黙を強要する」ことに

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  • 排外主義者、あるいは日曜サヨク - モジモジ君の日記。みたいな。

    今ここで手を組めば、この人を助けることができる。そのような決定的な場面においてであるならば、悪魔とだって手を組むかもしれない。ただし、ほとんどの瞬間は、そのようなマンガみたいな決定的瞬間の遥か手前にあって、そのような地味な場面で考えられるべきことは別にある。 倫理が力を持つのが、倫理を語る者が腕力を持っているからであるならば、倫理など不要であり、ただ腕力だけがあればいい。そうではなく、倫理が、倫理であるがゆえの力を持つとすれば、それは何に由来するのか。仮にそんな力があるとすれば、それはそこで語られる倫理の一貫性に由来するはずである。倫理が、その恥じ入らせる力によって力となるためには、一貫性がなければならない。一貫性を欠いた倫理は、既に倫理としての力を欠いており、ただの飾りである。その一貫性を欠いた倫理要求が仮に受け入れられることがあるとしても、それは倫理として受け入れられたのではなく、ただ

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  • 意志への自由 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    いろいろと思ったことを、整理せずに書いてみる。 まず、ネットのあちこちで語られ(かつ批判された)被害者の自己責任を言う言説は、沖縄の中でもそこかしこで語られる。米軍基地との距離も、地域によって随分違う。那覇近辺であれば、米軍の存在感は随分と小さい。少なくとも最近は。堂々と言うかコソコソと言うかの違いだ。いずれにせよ、「沖縄」という一枚岩の政治的主体が存在するかのような語り方は、少し考えなおして欲しい気はする。*1 今回の事件に関連して、あちこちの自治体から抗議決議が出されている。県民集会も開かれるらしい。こういう動きを被害者自身が喜んで受け止めたりするわけがない、とは思う。連日の報道の中で、ああ、自分のことが語られている、ということ、そのことは多分、痛いことのはずだ。ただ、地位協定がある限り、地域社会は沈黙を許されないだろう。地域社会の行動だけが、「運用改善」を担保している。これは先日も指

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  • 米兵の事件だから大きく報道するに決まってるだろ、このバカ - モジモジ君のブログ。みたいな。

    一般の事件に比べて米兵の暴行事件が大きく報じられるのをいぶかしる輩がいる。まだ分からないのかと、寒々しい気分になる。 米兵の事件が大きく報道されるのは、地位協定のためである*1。地位協定があるために、米軍には、容疑者を日の警察に引き渡す義務がない。そのことはずっとずっとずっとずっと問題にされ、批判され、改正が要求されてきた。にも関わらず、改正はなされていない。1995年の事件のときに、やっとのことで、運用改善が約束され、その後は引渡しに応じるケースが増えてきた。 だったら問題ないではないか、とか言い出す奴は、真性のアホ認定。「運用改善」ということは、努力義務でしかないのであり、いつでもやめられる、ということ。ではなぜ、現状、「運用改善」がなされているのか。それは、地域社会の反発があまりにも大きいので、下手に容疑者を隠すのは得策ではない、と米軍が判断してるだけ。逆に言えば、この反発が十分に

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  • 「消極的支持」の欺瞞こそ全体主義の始まり - モジモジ君のブログ。みたいな。

    【nichijo氏の指摘により、追記を一部修正、末尾】 「消極的支持がない絶対的支持の投票は全体主義の始まり」(@手記)を受けて。 選んだ人が主観的に何を考えているとしても、ある候補者を選ぶことは、その候補者の掲げる政策に対して、全体として、「イエス」と言うことにしかならない。私たちは、ある候補の掲げる政策に対して、全体として「イエス」と言うか、全体として「ノー」と言うか、そのどちらかしかできない。言うまでもなく、私たちは個々の論点について、異なる意見を持つことがある。しかし、私たちが持つ選挙制度においては、それを表現する手段はない。理不尽なまでに縮減された選択肢の中から、選ぶしかないのだ。そういうものである。 私たちが持つ選挙制度が、候補者に対する投票としてなされている以上、これは形式的な意味で真である。これは事実であって、異論の余地はない。それが理不尽であるとしても、理不尽な事実がある

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    kurotokage
    kurotokage 2008/02/07
    特に前半に強く同意。消去法を言い訳にする人達は制度そのものを否定するでもなく小手先の言い訳に終始する。代議制が最良でないなんて分かりきってるだろうに。負けた側が代議制の意義を認め勝った側が認めないて。
  • 「ネガティブ・キャンペーンだ!」というネガティブ・キャンペーン - モジモジ君のブログ。みたいな。

    元々、ネガティブ・キャンペーンというのは、政治家としての資質とは関係のないプライベートな問題や短期に確認を得ることのできない不名誉なニュースを流すことで相手候補の得票減を狙う「汚い」選挙戦術のことを指していたように思う。 熊谷による橋下への攻撃がどの程度のものであったのか、僕が見た範囲のことでしかないけれども、どこが(上に言う意味での)ネガティブ・キャンペーンだったのか、さっぱり分からない。ネットでの「橋下に投票するな」との呼びかけについても同様。批判の材料とされていることは、核武装&徴兵制支持、「買春はODA」、「ニートは拘留・労役」、「納税してない人間に生きる資格はない」等々の発言の数々。全部、政治家としての資質や思想に関わる重要な論点や感覚に関わるものばかりではないか。こうした事実に基づいて「あんな輩を府知事にしてはいけない」と述べることの、どこがネガティブ・キャンペーンなのか(熊谷

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    kurotokage
    kurotokage 2008/01/31
    全く同意。橋下さんの発言は世間に広く知られると困るような代物だということを彼らは理解していたということだよね。
  • 橋下を政策で選択する人たち - モジモジ君のブログ。みたいな。

    彼は知名度ではなく、れっきとした政策で選ばれた。その政策とは、彼の次の発言に象徴されるような政策である 高齢者ら社会的弱者の予算が減るかもしれないが、それは仕方ない。 彼は、誰かを切り捨てることをあらかじめ明言した唯一の候補である。そして、それこそが支持されたのだ。自分こそが切り捨てられると確信し、それもまた必要だと覚悟を決めて投票したのではあるまい。切り捨てられるのは自分ではないと確信する人こそが投票したのであろう。橋下に投票した(できた)人とは、そういう人々なのである。──貧困層の老人が路上に放り出されようが孤独死しようが、それは仕方がない、という人々なのである。その他社会的弱者の問題は、現在でもまったく不十分であるのに、そのための手当てをさらに削っても仕方がない、という人々なのである。 それだけではない。高齢者福祉をはじめとして、福祉政策にたいする見識を持ち、それに基づいてどこまでの

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    kurotokage
    kurotokage 2008/01/30
    ただ、橋本さんに投票した人自身がイメージで選ばれたと分析してたりするんですけどね。というか政策らしい政策を挙げてなかったし、あの発言も公明党に怒られて撤回したし。
  • お金のない人に財やサービスを届けるにはどうしたらいいのか - モジモジ君のブログ。みたいな。

    Arisanさんとこのコメント欄より。 いま現実にワクチンが存在するのなら、それが安価でもしくは無償で多くの人の手に入るようにすればいいではないですか。 あなたがおこちゃまでないならば理解できるとおもいますが、そんじょそこらの風邪薬とちがって強力なワクチンを開発するにはそれだけ膨大な研究者のマンパワー(開発研究費)を必要とします。開発にせいこうしたらそれらがペイする状態でないとそもそも医療会社やロックフェラー財団はそれらのワクチンの開発すらとりかかれません。ということは、貧しい人たちへワクチンが届くチャンスがそれだけ遠のきます。 http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20070901/p1#c1189143571 natamaruさんが言っていることは、半分くらい正しい(というより、経済学的分析に基づいた提言というのは、それが斜に構えた救命ボート的現実主義を抱えている限

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  • 運動の戦略、とか言われるものについて - モジモジ君のブログ。みたいな。

    社民的なものが後退戦を続ける中で「自己批判せよ」みたいな話がよく聞かれる。戦略がバカげているから支持を集められないのだとか、正しいことを述べているだけではダメだとか、まぁ、そういう話。・・・もちろん、戦略は大事だ。しかし、僕が思うような意味での大事さは、巷でしばしば見聞きするところの戦略論とは全然違うものであるらしい。そのあたりのことを、少し整理してみる。 前提を整理しよう。私たちと彼らの目指すものは異なっている。単に方向が違うだけではない。私たちは一部の人たちに重荷を押し付けるようなやり方をやめよう、と言い、むしろその重荷を共に背負うこと、そうした重荷を減らすことを主張すると同時に、重荷を減らすための努力を求めるという意味においてさらなる重荷を背負うことを求める。一方、彼らは、相変わらず重荷を一部の人に押し付け続け、そうした負担から共謀して逃れ、安穏と暮らそう、と誘惑する。どちらの道も同

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