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秀逸と国旗国歌に関するkurotokageのブックマーク (6)

  • 「セタップ! 仮面ライダーX」を国歌に〜ぼくの成人式代表事件にもふれて - 紙屋研究所

    「セタップ! 仮面ライダーX」を国歌に~ぼくの成人式代表事件にもふれて 成人式の代表をおろされた 20才になったとき、地元の成人式の代表になったが、その代表をおろされたことがある。で、それは当時新聞沙汰になり、市議会でとりあげられるまでの問題になった。 中学時代は地元で優等生、かつ中学までは「ヒトラーを尊敬する」などと公言していた右翼ファシストだったぼくに、ハタチになってから、「成人式で代表をやってくれ」と話があったのだ。他の市内の卒業生とともに市の施設に集められて、式次第や役割を説明された。 ぼくには「交通安全宣言」がふりあてられた。 そして、式次第には、日の丸の正面への掲揚、君が代の斉唱が入っていた。 ぼくは、日の丸と君が代については軍国主義のシンボルとしていやな気持ちになる人がいるから、式典を中立的に営むためにそれらをやめてほしいと「申し入れ」をした。 このことを手紙に書いて送った。

    kurotokage
    kurotokage 2006/10/01
    あまり関係ないけど好きな曲を国家なんかにしたくはない。
  • NaokiTakahashiの日記 - 当たり前の「極めて画期的な判決」

  • + C amp 4 + - 都教委・君が代・日の丸起立強制違憲判決

    去る09年7月16日のトムラウシ山での遭難事故で亡くなられた方へ心よりご冥福をお祈りいたします。 はじめてご訪問の方はこちら(自己紹介および投稿リスト等)をご覧ください。

  • 自由を大事にしない人の多さに驚く - good2nd

    国旗・国歌を拒否した教員に対する処分を違法とした判決を批判する声の多さが、ちょっと意外でした。ここまでとはね。もちろん評価する声も多いので、かなり意見の分かれる問題だってことはよくわかります。それにしても、学校の先生も嫌われてるんだなぁ…。 国旗・国歌と「日」の同一視 「国旗・国歌を拒否するのは日を拒否しているのと同じ」「なぜ自分の国を愛せないのか」から、「自分の国の国旗・国歌を敬うのは当り前」までバリエーションがありますが。象徴をその実体と同一視してしまう、という。あるいはそれは自然なことなのかもしれませんけど、「日が嫌いだから拒否する」という主張ではないはずです。にもかかわらず「いや、当は日が嫌いだからだろう」と決めつけてしまう。 こういう人達が、何かあったときに自由を求める人を「非国民!」と呼ぶんだろうなぁ。 自主と強制の区別がつかない 「スポーツの国際試合などでは、歌うの

    自由を大事にしない人の多さに驚く - good2nd
    kurotokage
    kurotokage 2006/09/23
    “子供にとっても、不当な命令に従う必要がないと教えるのは非常に大事なことです。”全く同意。私が生徒なら歌わないし、その時こういった教師の行動を見ると心強く思うだろう。
  • 小中学生に もつ煮込み ふるまう・埼玉県戸田市 : bogusnews

    埼玉県戸田市で20日、市内の小中学校に無料で“もつ煮込み”をふるまうイベントが開かれた。家庭の卓ではめったに楽しめない“大人の味”に、子どもたちは舌鼓を打っていた。 もつ煮込みの無料提供を行ったのは、戸田市の教育委員会。同教育委員会では先日、学校の入学式に参加する来賓・父兄が君が代斉唱時に起立しないことに伊藤良一教育長が“はらわたを煮えくりかえらせ”憤死する珍事が起きていた。 憲法も理解できないレベルの低い公務員の死体については、産業廃棄物として処理することになっている。教育委員会は処理費用の捻出に頭を悩ませていたが、 「煮えたはらわたはべられるのではないか」 との鶴の一声で、材として子どもたちに処理してもらう一石二鳥のアイデアが実現した。 給の席で伊藤教育長のはらわたに対面した子どもたちは、 腐ったにおいがする 黒ずんでる と気味悪がりながらも、 「天皇をダシに、軍国主義国家を復

    小中学生に もつ煮込み ふるまう・埼玉県戸田市 : bogusnews
  • 国家と反国家──(2)教育 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    「国家と反国家──(1)憲法 - モジモジ君の日記。みたいな。」の続き。 個々の人間は国家に保護されつつ、国家を構成し、国家に抑圧される。国家が保護しつつ抑圧する装置であるという両義性を視野にいれて考えなければならない*1。 国家が、個々人のための国家であるためには、国家が体現していないもの、現に存在してはいないものが生まれてくる領域がなければならない。目の前にある世界とは違った世界を構想することが許されている領域、および構想するための力が必要である。すなわち、様々な精神的・身体的自由、および自由な知性が必要である。 こうしてみれば、教育の役割の少なくとも一つがハッキリしてくる。それは現にある国家が体現していない何かを構想しうる自由な知性を育てることである。行政・立法・司法の各種国家権能が、互いに互いを従属させるようなものではないのと同様に、教育は国家に従属してよいものではない。国家と教育

    国家と反国家──(2)教育 - モジモジ君のブログ。みたいな。
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