「動員されて死んだ者」を追悼しなければならない、ということを前提としよう。 しかし、それは「国家」によって追悼されるべきか? 国立の施設にて追悼されるべきか? 「動員した側」である国家が「動員されて死んだ者」を追悼する、という形態を採用する限り、靖国であろうとなかろうと「ほめてごまかすメソッド」が発動される潜在的危険があるのではないか? どうやってその罠から逃れることができるか? 「靖国か国立追悼施設か」という二分論にとらわれず、もう少し柔軟に考えることはできないだろうか。 あくまで「動員される側」の一員として「動員被害者」を追悼する、というフォーマットを考えることは可能か。 そのような問題を考えるとき、NHKスペシャル「日中戦争」に出てきた鎮魂堂のことを想起した。 以下は番組を見た範囲での印象。 福井県勝山市竜谷の鎮魂堂は稲穂たなびく農村の中に、ほんとに風景にとけ込むようにあった。 木造