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ブックマーク / bluefox014.hatenadiary.org (56)

  • 派遣村への誤解や無知の頻出と、その背景(1) - クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)

    今日は派遣村の撤収日。 日比谷派遣村についてブログやミクシイの日記を検索すると、批判的な発言が頻出している。 しかし、それらの批判の中には、誤解や無知に基づくものが少なくない。 具体的にどういう誤解や無知が存在しているのか、その背景を含めて検証を試みたい。 最初に具体的な発言例を紹介する。 「スケジュール」に関する誤解。 以下のような意見を目にした(リンクは貼らないでおく) これが、ほんとなら… レクリエーション?してる場合じゃないでしょう。。 スケジュール 1 / 2予定 9:00朝 10:00お風呂・床屋 12:00昼 13:00レクリエーション 15:00夕準備 17:30夕 19:00交流タイム 21:00映画観賞 個別での、これからの生活支援カウンセリングとか現状からの短期的目標の確率とか、、 (ちなみにカウンセリングは、特別な資格がいらないので、自称カウンセラーもいます

    派遣村への誤解や無知の頻出と、その背景(1) - クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)
    kurotokage
    kurotokage 2009/01/05
    TVで大きく報道され主催者ブログもあるのに「アナウンス不足」とは驚き。
  • 札幌サウンドデモ逮捕事件について、いくつかの論点 - クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)

    既に多くの人がとりあげており(http://d.hatena.ne.jp/CloseToTheWall/20080705/p1、http://d.hatena.ne.jp/good2nd/20080706など)、ブクマでも様々な意見が表明されているので、いくつかの論点に絞ってエントリを書く。 (1)道交法違反か否か 荷台に人が乗った=道交法違反という俗論を述べる人が少なくないが、06年の「自由と生存のメーデー」でのDJ逮捕事件以降、サウンドデモに措いて荷台乗車について事前に警察に許可を得るのが一般的である。 しかも、荷台乗車が逮捕理由ならばデモの始めに逮捕が行われるはずだが、今回はデモの終盤に逮捕されていることから、荷台乗車が逮捕理由である可能性はきわめて低い。 http://d.hatena.ne.jp/madashan/20080705/のコメント欄にも、事前の荷台乗車許可についての言

    札幌サウンドデモ逮捕事件について、いくつかの論点 - クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)
    kurotokage
    kurotokage 2008/07/10
    コメント欄“もう一方の当事者である警察が”って、警察と一デモ参加者を同等に見る人って本当にいるんだなぁ。警察に「もう一方の当事者の証言」との食い違いについて聞いてみればー。
  • サウンドデモ&道路交通法に関する「真っ赤な嘘」 - クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)

    私のエントリに対してブクマで細かくチェックを入れてくださるid:coinlockerさんと言う方がおられて、細かい誤りを指摘くださるのはありがたいが、道路交通法に関してデマを流すのは感心しません。 「死ねばいいのに - 無産大衆」のブクマにて。(太字は青狐による) http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/madashan/20080705/1215260038 2008年07月06日 coinlocker 経過観察, 法治, 遵法, 警察, 公務執行妨害 http://ameblo.jp/warm-heart/day-20060522.html 前にも似た様な事があったよね。走行中のトラックの荷台に人が乗っていいのは荷物を見る目的のみで、荷台でのDJは道路交通法違反と言う訳。普通に放送宣伝車を使えばいいのに。 これにスターがいっぱ

    サウンドデモ&道路交通法に関する「真っ赤な嘘」 - クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)
    kurotokage
    kurotokage 2008/07/10
    白黒は法廷で争われるのだから逮捕できるかどうかで言えばグレーゾーンは全て逮捕できる(権限がある)のだけど、それを許せばどんなことになるかわかってるのかな、コメント欄の人は。
  • ダブリン・ソウル・プラハ・ラサ - クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)

    1916年4月24日、ダブリンのイースター蜂起。アイルランド共和国の独立宣言。 1919年3月1日、ソウルで「独立宣言文」の朗読、「独立万歳」を叫ぶ数万のデモ行進(三・一独立運動)。 1968年、プラハの春。 2008年3月、ラサでの暴動。*1 どれひとつとして同じ出来事はない。しかし、これらを一つの文脈でつなげて考えることもできる。 これらをつなげてみることで、みえてくることがある。 同時に、もう一の線を考えてみることもできる。 1916年、ダブリンでアイルランド義勇軍を「鎮圧」したイングランドの警察権力・軍。 1919年3月〜5月、ソウルほか朝鮮全土で三・一独立運動を「鎮圧」した日の官憲・軍。 1968年8月20日、チェコ全土を制圧したソ連軍。 2008年、ラサの暴動を鎮圧した中国の官憲・軍。 どれひとつとして同じ出来事はない。しかし、これらを一つの文脈でつなげて考えることもできる

    ダブリン・ソウル・プラハ・ラサ - クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)
  • フリー・チベットを提唱する人間のかなりの割合の人が、この人に殴り飛ばされそう - クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)

    自分を含め、フリー・チベットを提唱する人間のかなりの割合の人が、この人に殴り飛ばされそうだというお話。 参照;「十条、ワシ氏に「お前がもしも日人だったら、殴り飛ばしてやりたい気分」と言われる」 http://d.hatena.ne.jp/jujo/20080515 もとのやりとりは「ワシ」氏のブログのコメント欄(100以上あるコメント欄の96番目以降) http://blog.goo.ne.jp/ojisannsama/e/f15bb346671becf1e77090e258e5c626#comment さて問題は、なんでワシさんが十条さんを「殴り飛ばしてやりたい」と思ったか?なのだが、どうやら、十条さんが「どんな社会体制だろうがその国に住む人間が決めること」という考えに基づき 「チベット支配も植民地朝鮮支配も不当」だと主張しただけの話なんですが。 という立場に立っているからのようです。

    フリー・チベットを提唱する人間のかなりの割合の人が、この人に殴り飛ばされそう - クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)
  • ラサ大虐殺を許さない - クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)

    500人死んだのなら、大虐殺と呼ぶことに(私は)まったく躊躇しない。 80人でも。 強者が弱者を殺すという愚行を繰り返していけない。 中国という国家は、南京事件という歴史的出来事から、もっとも大事なことを学ばなかったのだと思う。

    ラサ大虐殺を許さない - クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)
    kurotokage
    kurotokage 2008/03/17
    “中国という国家は、南京事件という歴史的出来事から、もっとも大事なことを学ばなかったのだと思う。”
  • 東京大空襲と南京事件、両者に通底する論理 - クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)

    ここ最近、東京大空襲についての報道をチェックしていたのだが、その中でもっとも印象に残ったのはTBSの夕方のニュースでの特集コンテンツでの、(東京大空襲で焼夷弾を落とした)元・B29乗員たちの「同窓会」の光景だった。 番組では、彼ら東京大空襲作戦に関わったB29乗員たちの多くは、1942年以降の志願兵、具体的にはパールハーバーでの日の奇襲攻撃に憤り、軍に志願した者たちだと紹介されていた。 インタビューにおける、彼ら元パイロットの心情は、次の2つに集約されていたように思う。 (1)犠牲者をいたましく思う。 (2)しかし東京大空襲によって、戦争終結に追い込むことができたことを誇りに思う。 そして、同じくTBSの別番組(3月10日特番)の最後に、同じ「同窓会」での取材シーンが映し出されていた。取材側が空襲で黒こげになった母子の写真を元パイロットに見せる。元パイロットの一人は、呻くような言葉で以下

    東京大空襲と南京事件、両者に通底する論理 - クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)
  • 南京事件否定派Tシャツのブラックユーモア - クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)

    「南京の真実」と称したTシャツを製造販売している人がいるようです。 http://daybreak.ne.jp/ 早い話、否定派なのですが。 南京事件については、図柄を3つ用意しているとのこと。 しかし。1番目の図柄を見て脱力。 http://www.daybreak.ne.jp/item/trainer/ln_01-021_ncs.php …おいおい、その子どもの写真は「上海南駅」のものだ。「南京」じゃないよん。上海と南京が別の都市だって知ってますよね? それに、この写真のどこがどう「Lie」なのだろうか。 元画像についてのピッポさんの解説。 http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/143photos/num/n-002.htm 実際に赤ん坊の腕はもぎ取られ泣き叫んでいます。Look 1937年12月21日号 それを助け出そうとする大人。それらを見れば

    南京事件否定派Tシャツのブラックユーモア - クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)
    kurotokage
    kurotokage 2008/01/12
    私の専門分野で…! / 否定論のワンフレーズポリティクスぶるがわかる。
  • 南京事件は「他者恐怖」が生み出した事件ではない - クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)

    yasudaさんのエントリ「ジャンピング曜日」に対する私の解釈(前日エントリ)に対し、otehさんから異論が出された。 http://d.hatena.ne.jp/oteh/20080105/p1 果たしてこの人(=yasudaさんのこと。青狐注)は自分自身の考えとして虐殺を正当化しているんだろうか。かなり露悪的に書いているので読み取りにくいのは確かだけど、俺はちょっと違うんじゃないかと思う。むしろ、「虐殺を正当化する人が持っているであろう世界認識」を内在的にシミュレートしているんじゃないか。 この文脈においては、虐殺者の目の前にいる者が、その主観においては『「殺したくなるような、殺されてもしかたがないような存在」のサンプル』であることがどうしても必要だったんじゃないか。 上記のotehさんの意見についてはこれからレスをまとめたいが、その前に補足しておきたいことがある。 そもそも南京事件

    南京事件は「他者恐怖」が生み出した事件ではない - クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)
  • fromdusktildawnさんはどこを間違えているのか - クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)

    さて、今日になってfromdusktildawnさんの新しいエントリが2つだされたわけですが、 http://fromdusktildawn.g.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20080104/1199397671 http://fromdusktildawn.g.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20080104/1199423836 私の整理では、現在の南京事件論争をは大ざっぱに整理すると2つの次元があって、 (1)有無:大規模な残虐行為(虐殺、強姦など)そのものがあったのか、なかったのか (2)解釈:残虐行為があったとして、それは「南京事件」または「南京大虐殺」あるいは「マサカー」と呼びうるに値するものか そして日の南京事件否定派の主張はというと、2人のキーパーソン、田中正明氏(故人)も東中野修道氏も(1)の次元の否定論、つまり残

    fromdusktildawnさんはどこを間違えているのか - クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)
  • これってコメディー? - クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)

    発端はfromdusktildawnさんの以下の発言。 http://fromdusktildawn.g.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20080103 ポイントは、たとえ南京事件がなかったとしても、 「南京事件はあった」という議論を展開すること自体は、 それほど難しくない、ということ。 そもそも、レイプも虐殺も皆無の戦争なんてほとんどないんだから、 よくある戦争中のレイプや虐殺に「南京事件」というラベルを 貼れば、はい、一丁、南京事件のできあがり!なわけです。 この意味で、「歴史的事実」などいくらでも捏造できるし、 それを立証することなど簡単だ。 どうみても軽口がすぎるわけで、Apemanさんが突っ込みを入れる。 http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20080103/p6 やってもらおうじゃないか。お題は「日露戦争において日軍はロシア

    これってコメディー? - クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)
    kurotokage
    kurotokage 2008/01/06
    正月早々動きがあったのかー。
  • 南京事件70周年であり、南京侵略70年でもあり - クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)

    「クッキーと紅茶と」を開設して3回目の12月13日を迎えた。 一般的には、南京事件の開始は1937年12月13日とされている。ということで、今日は70周年の日にあたる。 と、あらたまってはみたものの。 南京事件については、私にはまだまだわからないこと、知らないことが多い。中国では、最近合計55巻もの資料集が2回に渡り刊行されたが、中国語を読めない私としては、日語で書かれた(及び翻訳された)文献や資料の範囲で、南京事件を知り、向き合うことを続けてきた。 日語文献(その多くは日軍関連の史料である)に限定される、ということの制約は大きい。しかしそれでも、大きく2つの事柄について理解を深めることができた。 ひとつは、南京事件の発生プロセス、発生の背景についての理解である。 もうひとつは南京事件否定派の言説が、いかなるトリックを用いて成立しているかについての理解である。 しかし、南京事件と向き

    南京事件70周年であり、南京侵略70年でもあり - クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)
    kurotokage
    kurotokage 2007/12/13
    ↑そこは誤解してました(このエントリに対してだと)>"このブログの~"/正しい云々は読み手の問題。問題ある記述と思うなら「どっちも~」ではなく反論すればいい。/とはいえこれ以上はアレなんでここでやめます。
  • [社会現象としての大虐殺否定派]【レジュメ転載】南京事件における否定派の「無人トリック」 - クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)

    お久しぶりです。 先日、某所で発表したレジュメを転載します。 ●はじめに…まかりとおる印象操作 日人の多くは「南京事件」の空間範囲を知らない。また、当時の南京市の空間範囲もしらない。この2点への無知につけこみ、否定派は「30万大虐殺なんてありえない」という印象操作を執拗に行い続けている。 比較的大部数を誇る雑誌で、そのような印象操作が行われた一例として、週刊誌「SPA」2005年3月8日号の巻頭頁における、勝谷誠彦氏の「大地震と南京事件」と題したコラムがある。 リードには「津波の犠牲者30万人。同数の遺体を南京市内に埋めたらどうなるか?」とあり、このコラムの意図をはっきり読み取ることができる。(注;これはスマトラ沖地震による大津波事件の直後に発表された) 「南京市の城壁は総延長34キロ。数キロ四方の街の中にスマトラ沖地震で生じた遺体全てを入れたらどうなるか。それこそ枡に遺体を盛ったような

    [社会現象としての大虐殺否定派]【レジュメ転載】南京事件における否定派の「無人トリック」 - クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)
  • 完全にデマゴーグと化した櫻井よしこ氏 - クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)

    櫻井よしこ氏については、既に3回ほど批判を加えているのだが、 http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20050422 http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20060116 http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20060705 今回の「櫻井よしこブログ」に書かれた内容は、以前よりも酷くなっているように思う。 「櫻井よしこブログ」からその箇所を転載する。 http://blog.yoshiko-sakurai.jp/2006/12/post_493.html 「南京大虐殺」が存在しなかったことは、すでにいくつかの貴重な研究によって立証ずみだ。一例が、北村稔氏の『「南京事件」の探究』(文春新書)である。同書は日語の文献には頼らず、中国語と英語、つまり非日語の文献にのみ依拠して書かれた。日人の主観を排して

    完全にデマゴーグと化した櫻井よしこ氏 - クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)
  • 産経新聞記事、「こじつけ」の可能性(ビル・グッテンタグ監督映画に対して) - クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)

    産経記事は「米で反日史観映画 「レイプ・オブ・南京」下敷き」という見出しを立てている。しかし読んでみると、「レイプ・オブ・南京」を「下敷き」にしていると断定するだけの根拠は、記事には書かれていない。 http://www.sankei.co.jp/news/061126/kok004.htm http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/america/29119/ 米で反日史観映画 「レイプ・オブ・南京」下敷き 年明け発表 【ワシントン=山秀也】 米国の大手インターネット企業「アメリカ・オンライン」(AOL)のテッド・レオンシス副会長(50)が、南京事件(1937年)に取材した映画「南京」(仮題)を制作し、年明け以降、発表する。ドキュメンタリー作品の体裁だが、史実の認定は反日的な歴史観で知られる中国系米国人作家、故アイリス・チャン氏の「レイプ・

    産経新聞記事、「こじつけ」の可能性(ビル・グッテンタグ監督映画に対して) - クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)
  • 「プロパガンダ映画」というラベリング作戦か?(産経記事についての考察) - クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)

    グッテンタグ監督映画に対する産経の扱いは、強引に映画と「レイプ・オブ・ナンキン」を結びつける=ただのプロパガンダ映画というラベル(レッテル)を貼る、というところに焦点があるのでは、と私は推察する。 そうすれば、この映画を観る価値は(作品未公表の段階で)ゼロになり、あえて上映を欲する者に対しても「プロパガンダの片棒を担ぐ人間」というラベルを貼ることができる。 さらに、一部の人間が上映妨害運動を行うことに根拠を与えるだろう。 しかし、実際の映画が「プロパガンダ」から距離をおいたものに仕上がる可能性もあるのである。産経の記事にも、あるいはワシントンポスト記事にも、その可能性を否定するだけの根拠は述べられていない。 http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/07/30/AR2006073000026.html このように推察

    「プロパガンダ映画」というラベリング作戦か?(産経記事についての考察) - クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)
  • 「南京大虐殺」をめぐる「ローカル定義症候群」 - クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)

    以下のブログでの議論。 http://blog.goo.ne.jp/kayaamex/e/56853ac1c6b45269c5bd5c66f5a268d2#comment ちなみに、コメントは削除されて現存していない。 だいたい以下のような議論がされたのだが… 端緒はエントリ内の以下の記述(これは現存している) 南京大虐殺など学説ではほぼ否定説が大勢であることについて真実を指摘し間違いを諭すことなどは中国との関係上あってはならないことなのである。 これに対し、私が疑問を述べる。 この場合「学説」というのは歴史学における学説しか考えられないのですが、歴史学者の間で否定説が大勢であるという話は聞いたことがありませんが? だいいち、「歴史学者」の中で否定説に立った人の名前を、私は一人も思い出せません。思想史の研究者など他分野の人間では名前を思い出すことができますが… 学説では否定説が大勢である、

    「南京大虐殺」をめぐる「ローカル定義症候群」 - クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)
  • 南京事件否定派が増殖するメカニズム、そして「水俣」との共通性 - クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)

    トラバいただいたhttp://d.hatena.ne.jp/good2nd/20061030へのコメントのつもりで。 南京事件の場合、被害国(この言い方、あまり好きではありませんが)に現時点で民主主義がない、言論の自由がないという特殊性がありますから、被害国の主張=全てウソくさい、というイメージが成立しやすいのだと思います。 ただし中国=ウソ・極悪・プロパガンダ、日=ウソがない・イノセント、というわけではない。それは、これまで私がさんざ示してきたとおりです。むしろ、中国=ウソつきというイメージに乗じて、さんざウソやデマや印象操作を並べ立てる、及びそれらが無批判に受け入れられるというメカニズムが顕在化していると思うのですね。 これらが安易に受け入れられる理由を考えると、まず「被害者感情」を持つことが許されるということ。つまり、邪悪な中国に脅されるイノセントな日人の私、という自己像を手に入

    南京事件否定派が増殖するメカニズム、そして「水俣」との共通性 - クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)
  • 「『戦争とは何か』は国民党が書かせた」説の破綻…東中野氏、亜細亜大学での質疑応答で有効な反論できず - クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)

    3ヶ月前のことですが、「南京事件資料集」のK-Kさんが、7月15日の亜細亜大公開講座を聴講し、東中野修道氏と直接質疑応答されました。 8月の時点でK-Kさんが「史実を守る会」会報にて報告しているのですが、あまり知られていないと思われるので転載します。 ちなみに論点は、H.J.ティンパーリ著『戦争とは何か』をめぐって。 ・東中野氏は「『戦争とは何か』は中央宣伝部の製作した「宣伝」だったことが確認された」と主張。 ・これに対し、井上久士氏(駿河台大学教授)は『戦争とは何か』は、国民党国際宣伝処が資金を出して企画制作したものではなく、既に書かれたものの版権を買い取って翻訳・印刷したものだと反論(『現代歴史学と南京事件』所収、東中野氏の著書より前に刊行)。 その根拠は、国民党国際宣伝処の『中央宣伝部国際宣伝処民国二十七年工作報告』の「われわれはティンパリー人および彼を通じてスマイスの書いた二冊

    「『戦争とは何か』は国民党が書かせた」説の破綻…東中野氏、亜細亜大学での質疑応答で有効な反論できず - クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)
  • 「国」ではない「公共圏」で「動員されて死んだ者」を追悼する(メモ) - クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)

    「動員されて死んだ者」を追悼しなければならない、ということを前提としよう。 しかし、それは「国家」によって追悼されるべきか? 国立の施設にて追悼されるべきか? 「動員した側」である国家が「動員されて死んだ者」を追悼する、という形態を採用する限り、靖国であろうとなかろうと「ほめてごまかすメソッド」が発動される潜在的危険があるのではないか? どうやってその罠から逃れることができるか? 「靖国か国立追悼施設か」という二分論にとらわれず、もう少し柔軟に考えることはできないだろうか。 あくまで「動員される側」の一員として「動員被害者」を追悼する、というフォーマットを考えることは可能か。 そのような問題を考えるとき、NHKスペシャル「日中戦争」に出てきた鎮魂堂のことを想起した。 以下は番組を見た範囲での印象。 福井県勝山市竜谷の鎮魂堂は稲穂たなびく農村の中に、ほんとに風景にとけ込むようにあった。 木造

    「国」ではない「公共圏」で「動員されて死んだ者」を追悼する(メモ) - クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)
    kurotokage
    kurotokage 2006/09/13
    全く同意。「初めて人を殺す―老日本兵の戦争論」でもその辺りに少し触れられていた。