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ブックマーク / note.com/onoholiday (5)

  • 最も残酷なのは、「誰でも幸せになれる世界」に住む人々|小野ほりでい

    不幸や理不尽の存在を抹消することによってこの世を「肯定」しようとする試みはどれほど善意で取り繕っても暴力という質を外れない。この世に回避不可能な不幸や理不尽はなく、みな平等の可能性のもとに暮らしているという思い込みを公正世界信念などと呼んだりするが、なかでも自己責任論(すべての不幸には“原因”がある)はその最も単純な表現だろう。 「自由意志」には「責任」が伴っているという合理主義的な世界観は、ともすれば合理の存在し得ないところに合理を見出そうとする不合理に帰結する。つまり、「自由意志」に基づいて判断したから「責任」が生じるのではなく、「責任」を追及したい事件に対して遡及的に「自由意志」とか「判断の余地」が生じるのだ。世の中で「理不尽」な「不幸」があれば、必ずそこに駆けつけて「責任」や「自由意志」の存在を見出し、世界の合理性を保とうと試みる者が存在するが、これが自己責任論者の一般的な倫理で

    最も残酷なのは、「誰でも幸せになれる世界」に住む人々|小野ほりでい
    kw5
    kw5 2021/04/24
  • 被害者はなぜ”追撃”される? 冷笑系クラスタの仕組み|小野ほりでい

    皆さんは、自分の見ている前でいじめが起きているときに加害者と被害者のどちらに寄り添いたいと思いますか? 「当然、被害者だ」と答えたあなたは・・・たぶん、心の強い人です。世の中には、「加害者」と「被害者」が存在しているときに「加害者」のほうに加担することを選ぶ人が実は少なくありません。なぜそういうことになるのでしょうか? これには次のような理由があります。 △加害者と被害者、どっちに味方する? さて、世の中誰が当の「加害者」で「被害者」なのかを見定めることは簡単ではありませんが・・・ここでは、単純に「いじめ」の加害者と被害者がいたとしましょう。 このとき、それを目撃したわたしたちは単純に図のAとBのように、「加害者側」に立ってそれを笑い飛ばすか、それとも「被害者側」に立って寄り添うかという選択を迫られます。 このとき、「加害者側」に立とうとするひとたちの動機はシンプルです。それは・・・ 被

    被害者はなぜ”追撃”される? 冷笑系クラスタの仕組み|小野ほりでい
    kw5
    kw5 2021/03/26
  • 「井戸に毒」のデマに見る、「2ちゃんねる的インターネット」を引きずる人々|小野ほりでい

    2021年2月13日の地震後、Twitterなどで「~~が井戸に毒を入れた」というデマが多数投稿されました(現在は多数のアカウントが凍結済み)。これは1923年の関東大震災後の(虐殺の発端ともなった)悪質なデマが再生産されたものですが、なかでも一部は「匿名掲示板型のアイロニー」という文脈によってパロディされたものであり、擁護する立場の者の主張によれば、これは「パロディ(つまりパロディ元への批判的な笑い)」―――すなわち「ネタ」であるので問題ではない、とのことです。 このような書き込みが「なぜ問題なのか」については、もはや説明するまでもないほどに論じ尽くされているので、今回はむしろ「なぜこのような書き込みが起こったのか」について考えてみましょう。 アイロニーとしてのパロディ さて、先ほど触れたように、この「悪質なデマのパロディ」および「これは政権による人工地震だ」というような「パラノイア的な

    「井戸に毒」のデマに見る、「2ちゃんねる的インターネット」を引きずる人々|小野ほりでい
    kw5
    kw5 2021/02/20
  • 無思想はなぜヤバいのか|小野ほりでい

    ヤバい思想、と言われると皆さんが思い浮かべるのはなんでしょうか。ファシズムや全体主義?差別主義?優性思想?それとも宗教的原理主義? この世に数多ある危険思想のなかで、ユダヤ人哲学者・思想家のハンナ・アーレントが最も重大視したのは「無思想」でした。 無思想、ノンポリ、無宗教…という「無属性」なステータスを自認していることは私たちの国では取り立てて珍しいものではありません。実際、多くの人は自分は「偏った考え方」に染まっておらず、「普通の感覚を持った/普通の日人」であるというふうに考えています。よく異文化から揶揄されるように私たちは、「他の人と違う」ことに漠然とした恐怖を持っており、「普通であること」、そして「特定の立場や意見を主張しないこと」によって他の人たちとの温かい連帯関係の中に存在できます。 しかし実のところ、この「自分は普通の感覚を持っている」という自認こそが危険な状態だ、というのが

    無思想はなぜヤバいのか|小野ほりでい
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    kw5 2020/09/11
  • 【コロナ】怖がってくれない人たちについて|小野ほりでい

    今回のコロナ禍では、世界中で「どうしてそうなるの?」と疑問に思うようなできごとがたくさん起きていますね。記憶に新しいのは、テキサスで「ウイルスはデマだ」と考えていた30歳の男性が罹患者と触れ合ういわゆる「コロナパーティ」に参加し、死亡したというニュース(付記:このニュース自体がデマではないかという指摘もあります)です。 人間は何らかのリスクに直面すると(生命でなく)精神を防衛するためにさまざまな策をめぐらすのですが、この性質についてよく知っておくと今起きていること、今後起こるであろうことに対する理解が深まるかもしれません。今から書く見方は仮定を多分に含みますが、身近な考える足がかりにしていただければと思います。 頑なにリスクを認めない人 さて、まず問題になるのはどんなに説得してもリスクを認めようとしない人々のことです。コロナは単なる風邪だとか、昔からある病気だから今までどおりに過ごすべきだ

    【コロナ】怖がってくれない人たちについて|小野ほりでい
    kw5
    kw5 2020/07/17
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