賄賂が欲しい先生 今となっては廃れてしまったが、かって教師の仕事が聖職とよばれたことがあった。現代でも学校の先生はどちらかというと善良な人が多く、野心とは縁が遠いような印象がある。しかし明治から大正時代のある時期までは野心を持ち、教師という立場を最大限に利用して利益を追求する先生も多かった。 『学生タイムス(学生タイムス社 明治三九(一九〇六)年十月)』 に、こんな記事が掲載されている。 他聞を憚る学校の電話口 まぼろし生 ハァ〇〇学校です。 水野は私です、あなたは 〇〇堂の横井さんーハハア、イヤ先刻は失礼しました、ハアハア成程、ハアさうですか、それぢや読本と物理と算術をつかへば三百出すといふのですか、併しね、〇〇館では読本だけで二百五十円出すと云つてゐるのですものナーニ、掛引などするものですか、全くですよ、もう少し奮発なさいな。 わたし共の学校は今年は生徒が非常に殖へる見込ですから、先刻
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