岩波文庫の「韓非子」(全4巻)を読むと、相当に老荘思想が混入している。しかし韓非自身の筆によるものとされる文章だけ読むと、むしろ性悪説で有名な「荀子」を、さらに先鋭化・純化した思想だという強い印象を受ける。「徳」のような情緒的な感性を韓非は平気で無視しているように感じる。 韓非の真筆と思われる「韓非子」だけを読むと、「人間とはしょせんこんなものである」という透徹した人間観を感じる。夢も希望もまるでなく、人間という生き物を冷徹に観察している。それを「法」で操ろう、という意図が明確に表れているように思う。 すでに商鞅による法の支配で強国にのし上がっていた秦の王、のちの始皇帝は、「韓非子」を読んで大変興奮したという。なぜ「法」が威力を発揮するのか、その理由がわかった気がしたのではないか。 結果的に韓非は、友人だった李斯から裏切られ、殺されることになった。代わって李斯が、 韓非の行おうとした法の支