1977年9月5日〜 ドイツ経営者連盟会長の誘拐、ルフトハンザ機ハイジャック、RAF(ドイツ赤軍)服役囚の自殺、同会長の遺体発見と、テロが連鎖した6週間を「ドイツの秋」と呼ぶ。 連続テロの序曲 1970年代中頃、RAFとほかの極左暴力集団は、獄中にいる仲間を釈放させるためにテロを繰り返していた。ストックホルムの西ドイツ大使館が占拠されたのは75年4月。77年4月にジークフリート・ブーバック連邦検事総長、同年7月にはドレスナー銀行ユルゲン・ポント頭取が射殺される。秋に発生する連続テロの序曲だった。 9月5日午後5時29分、ケルン。ドイツ経営者連盟会長ハンス=マルティン・シュライヤーを乗せた公用車がRAFに襲われ、運転手と護衛警官は射殺、同氏は郊外のアパートに拉致される。要求は、RAF設立メンバーを含む同志11人の釈放だった。 ヘルムート・シュミット首相(SPD)は応じない方針を固める。75年