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ブックマーク / booklog.kinokuniya.co.jp (142)

  • 『フランス文学と愛』野崎歓(講談社現代新書) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 「フランス苦手症のあなたに」 以前から持っていた印象――というか「常識」――をあらためて確認した。やっぱりフランス文学はきらびやかだ。フランス文学を語ることばは華やかで、フランス文学を語る人は颯爽と美しい。英文学のでは『英文学と愛』とか『ラブの英文学』といったタイトルは考えられない。筆者が教わった英文科の先生は「研究者たるもの地味でなければならぬ」「人生いかに地味に生きるかが勝負だ」と、口にこそ出さなかったかもしれないが背中でそう教えてくださった。隣の芝生は青く見えるというが、英仏海峡の向こうのフランス文学の世界はいつもまぶしい。名前だって「チャールズ」より「シャルル」の方が艶があるではないか。 ……と、こんなことを言っていると、英文学界隈には多い「アンチ・フランス」派や「フレンチ・アレルギー」派の人が口を挟んでくるかもしれない。フランス的とはいかがわしさの

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  • 『アメリカ遊学記』都留重人(岩波書店) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 「在りし日のアメリカ遊学記」 都留重人(1912-2006)が1950年に書いた『アメリカ遊学記』(岩波新書)がアンコール復刊された。今となっては古いところもあるかもしれないが、約11年間に及ぶアメリカ滞在記は、20世紀前半のアメリカを知るには貴重な記録ともいえる。 都留がアメリカ留学に旅立ったのは1931年9月だったが、当初はウィスコンシン州の片田舎アプルトンに滞在し、ローレンス・カレッジにて2年間学んだ。アメリカに留学したのは、旧制八高の反帝同盟事件にかかわって除籍になり、日でそれ以上の高等教育を受けることができなくなったからである。「当初は」と言ったのは、いずれドイツに渡って学びたいという気持が強かったからだが、それはもろもろの事情(ヒトラーの台頭にみられる欧州情勢の悪化など)で不可能になったので、「図らずも」11年間もアメリカで学ぶことになった。 当

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  • 『ビルマ・ハイウェイ-中国とインドをつなぐ十字路』タンミンウー著、秋元由紀訳(白水社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 こんなが、東南アジア各国・地域の人、あるいは東南アジア出身の人によってもっとたくさん書かれれば、東南アジアのことがもっとよく理解してもらえるのに、とまず思った。つぎに、こんなを書いてみたいとも思ったが、外国人研究者には書けないと思い直した。むしろ、外国人研究者だからこそ書けるものを考えるべきだと思った。 まず、現在のビルマのことがわかると思って、書を開いて不思議に思った。目次の後に、4葉(4頁)の地図があった。それぞれのタイトルが、「紀元前1世紀の中国、ビルマ、インド」「紀元前1世紀のビルマと近隣国」「17世紀のビルマと近隣国」「2011年のビルマと近隣国」だった。いったい、なんのだ?、と思った。 書は、プロローグ、3部、エピローグからなる。第1部「裏口から入るアジア」では、ビルマの現状を、歴史文化を踏まえて語っている。第2部「未開の南西部」では中

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  • 『アメリカの反知性主義』リチャード・ホーフスタッター【著】/田村 哲夫【訳】 (みすず書房) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 「知性主義・脱知性主義・スーパー知能主義」 橋下旋風は、最近は鳴りをひそめているが、氏の言う「ふあっとした民意」がいまの日になくなったわけではない。ひとつはポピュリズムであるが、もうひとつは「を読んで」「くっちゃべって」いるだけ、「役立たず」の学者文化人という橋下氏の臆面なき発言に象徴される反知性主義的空気である。 この反知性主義をアメリカ史に探ったのが、書である。原書の刊行は1963年だが、「赤狩り」(共産主義退治)とあいまって反知性主義旋風をまきおこしたマッカーシズムの恐怖の時代に触発されて書かれたものである。マッカーシズムが吹き荒れていた1952年のアメリカ大統領選挙では、知性的なアドレイ・スティーヴンソンと凡庸な俗物風のドワイト・アイゼンハワーの戦いになった。アイゼンハワー陣営は、スティーヴンソンやその同調者を「エッグヘッド」と呼んでネガティブキ

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  • 『座談の思想』鶴見太郎(新潮選書) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 「座談会をバカにしてはいけない」 「座談会」は日独特の催しだ。もちろん外国でも対談、鼎談などないわけではないが、日の文芸誌などで企画される、どことなく雑談めいたあのいきあたりばったりの会合は、参加者のニヤニヤした写真など添えられどうも脱力的で、内容も方向もあるんだかないんだか。それこそ集団ツイートみたいなもので、気楽にぱらっと眺められるのが何よりの売りとも見える。いやいや、あれこそ日文化の神髄だよ、すごいんだよ、との意見もこれまでないではなかったが、多くは思いつきや直感的な指摘にとどまった。これに対し書は、座談会そのものがいかに近代日の思想形成に大きな役割を果たしてきたかを丁寧に裏付けようとした試みである。 鶴見氏の論点は明確だ。従来、座談はその〝なあなあ主義〟が批判され、「ええ、そうですねえ」のような台詞にあらわれたコンセンサス指向のため、西洋的な

    『座談の思想』鶴見太郎(新潮選書) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
    laislanopira
    laislanopira 2013/12/24
    "持論をぶつけあうことにエネルギーを使う西洋的な討論とくらべ、座談では相手の意見に耳を傾け取り入れようとする寛容さがあり、本人が思っても見ない思考展開につながることさえあるという"
  • 『民主化のパラドックス-インドネシアにみるアジア政治の深層』本名純(岩波書店) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 著者、名純の専門は、「インドネシア政治・東南アジア地域研究・比較政治学」である。欧米をモデルとした近代政治学ではない。著者は、終章「民主化のパラドックス-アジア政治の深層をみる目」をつぎのことばで結んでいる。「グローバル政治経済の大きな力学に阻まれ、ひ弱な改革勢力が骨抜きになっていく事態はみたくない。そのためには、民主主義の現場で何が起きていて、権力と利権をめぐる政治がどう運営されているのかをローカルな立場から発信し、安易な民主化評価に警鐘を鳴らすことが大事である。それがグローバル化時代に生きる地域研究者の存在意義のような気もする」。「書を通じて、その思いが読者の皆さんに伝わることを祈りつつ、この終章を締めくくりたい」。 書の目的は、「民主化が孕むパラドックスの実態を描く」ことである。その例として、インドネシアを取り上げる。著者は、「スハルト体制崩壊から

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    laislanopira
    laislanopira 2013/12/17
    "旧体制下で影響力を持っていた「非民主的」な勢力の権力と特権を温存できているからこそ、(彼らが暴動や政変を起こすことなく)「民主主義」が定着して安定する。これがインドネシアにみる民主化のパラドックス"
  • 『「アジア人」はいかにしてクラシック音楽家になったのか?──人種・ジェンダー・文化資本』吉原真里(アルテスパブリッシング) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 アジア人にとって、西洋音楽であるクラシック音楽は特異なものではない。日の環境もそうであるように、若者は西洋音楽の中で生まれ、育ち、教育される。彼らにとっての音楽は西洋音楽なのだ。そうした環境の中、音楽にのめりこみ、もっと上手になりたい、と願う者が出現するのは当然だろう。そのためにクラシック音楽の生まれ故郷であるヨーロッパ、あるいは“西洋人の国”であるアメリカその他の国々に留学することには、それなりのメリットがある。ただしその実現には才能とともに経済力も必要で、かつては日、その後に台湾韓国、そして近年では中国から数多くの留学生が渡航するようになっている。それと並行してシンガポールをはじめとする東南アジア地域でも、クラシック音楽の勢いは以前にも増して強まっているように見受けられる。 こうした教育を享受するためには、家族のサポートが欠かせない。専門職としてのス

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  • 『中国抗日映画・ドラマの世界』劉文兵(祥伝社新書) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 「中国では、なぜ抗日をテーマにした映画・ドラマが製作されつづけるのか?」「中国人が抱く日へのネガティヴなイメージを作り上げた根的な原因が、両国のあいだの政治的摩擦よりも、そもそも日中の歴史問題にあったのはいうまでもない。戦後生まれの中国人が日に対して抱いているイメージは、戦争経験者の証言や、学校での歴史教育にくわえ、そのかなりの部分が映像によって形成されている」。「二〇一二年の一年間、中国全土をカバーする衛星テレビ放送のゴールデンタイムに放映されたドラマおよそ二〇〇作品のうち、七〇作品以上が抗日ドラマであった。しかし、そのほとんどの作品は、超人的英雄としての中国共産党軍と、残忍だが愚かな日兵の対決という、一定の図式のもとで、過酷(かこく)な歴史をエンターテインメント化しているという傾向が目につく」。 書は、抗日映画・ドラマの歴史的変遷を整理したもので

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  • 『ふだん着のデザイナー』桑沢洋子(桑沢学園) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 デザイナーであり、桑沢デザイン研究所・東京造形大学を有する桑沢学園を設立した教育者である桑沢洋子。戦前から『婦人画報』の編集者として服飾の仕事に関わり、戦後大きく様変わりした日人女性の暮らしを衣の側面から見据え、教育機関を立ち上げるにいたる道すじは、女性の生活と仕事にたいする彼女のひたむきな思いに貫かれている。 お裁縫から女性を解放することが大切だ。それには、女性自身の中から、デザイナーや技術家が、続々と出て、立派に職能人として通るようになり、このひとたちの手で、より合理的な、しかも安価な既製品を大量にうみだすことである。消費者としての女性は、いわゆる「お裁縫」などで、一日の貴重な、しかも長い時間を浪費する必要はない。 書が書かれた当時はまだ、着るものは自分で縫うのが一般的だった。かねてから、お裁縫ができることは女性の必須条件であり、着物が洋服となってもそ

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  • 『アジア主義は何を語るのか-記憶・権力・価値』松浦正孝編著(ミネルヴァ書房) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 「アジア主義」を、まず世界史のなかに位置づけたこと、さらに今日の地域主義と結びつけて時事問題を考えるためにも有効であることを示したことが、書の特徴であり貢献である。日学術振興会科学研究費補助金(基盤A)助成プロジェクト(「アジア主義のビジョンとネットワークに関する広域比較研究」)で、ここまでできるという見のような成果が、書である。 相対化すべき従来の日のアジア主義研究を、編著者松浦正孝は、つぎのように「序章 「アジア主義」の広域比較研究」の冒頭で述べている。「これまでの日のアジア主義研究では、主に日の侵略・戦争をもたらしたイデオロギーを、思想史の文脈で分析することが中心であった。アジア主義は、西洋帝国主義による侵略に対してアジア連帯を呼びかける良い面も持っていたが、それが次第に日による侵略のイデオロギーとなり、その残滓が戦後にも日主義によ

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  • 『凍』沢木耕太郎(新潮文庫) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 「闘うことの楽しみ」 手足の指の感覚がなくなっていく。休憩所に戻り手袋を脱ぐと、すぐにストーブにあたってはいけない。指を一所懸命こすり、感覚が少し戻ってきてから、遠くから少しずつストーブに近づいていく。酷い時には、先に雪でこすって感覚を戻してから、手足をこすり始める。その後は冷たいおにぎりと、熱々の豚汁が待っている。 小中学校でスキー授業の時に、軽い凍傷になりかけた時の記憶がよみがえってくる。当時は今のような優れた防寒着や防寒はなかった。長の先に唐辛子を入れたり、毛糸の手袋を二重にしたりしていた。それでも長く滑っていると、指先の感覚がなくなってくる。そうすると、まずいなと思いながら、指を出してマッサージをしたりする。先輩達に教わった方法だった。 こんな経験をしていても、沢木耕太郎が『凍』で描く山野井泰史と妙子夫の寒さとの闘いは想像がつかない。安易な言葉だ

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  • 『親族の基本構造』 レヴィ=ストロース (青弓社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 『親族の基構造』は1947年に刊行されたレヴィ=ストロースの主著である。レヴィ=ストロースの名を文化人類学の世界で一躍高めるとともに、構造主義の出発点ともなった。 日では刊行から40年もたった1987年になってようやく番町書房から最初の翻訳(以下「旧訳」)が出た。学問的に重要なであるのはもちろん、40年の間には二度の構造主義ブームもあったのに、これだけ時間がかかったのは『親族の基構造』がそれだけ難物だからだろう。 旧訳の翻訳にあたったのは日文化人類学の一方の中心である都立大の研究者たちで、書であつかわれる東シベリアからインドにいたる地域で実地調査した経験のある人も含まれていた。 学問的には申し分ないだろうが、旧訳は読みやすいではなかった。わたしは出た直後に読もうとしたが、第一部の手前で挫折した。 今回もう一度挑戦しようと思いたったが、2001年

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  • 『文部科学省 ― 「三流官庁」の知られざる素顔』寺脇研(中央公論新社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 「文科省の「うるさい伝説」」 →紀伊國屋ウェブストアで購入 著者はかつて「ミスター文科省」と呼ばれた有名人。そこへ来て副題が「三流官庁」なので、新書特有のうすらいかがわしさを嗅ぎ取る人もいるかもしれない。しかし、書の内容は至極真っ当で、良質の情報が詰まっている。その文章を読めば、寺脇氏がなぜ「ミスター文科省」とあだ名されるようになったかもよくわかるだろう。この人は物語を組み立て、展開させるのが実にうまいのだ。白黒ははっきりし、メリハリも効いている。何しろこれは官庁の職務を説明するなのであり、目がごちゃごちゃするような行政用語も頻出するのだが、ほとんどスポ根ドラマを見たような爽快な気分になるのだから不思議だ。 どのあたりが「スポ根」なのかは追ってお示しするとして、まず筆者がこのを手に取った事情に触れておきたい。大学に限らず教育機関等で働いたことのある人なら

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  • 『虹の少年たち』アンドレア・ヒラタ著、加藤ひろあき・福武慎太郎訳(サンマーク出版) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 校長先生の自転車をくせ毛の細身の少年が懸命にこいでいる。荷台には、小柄な少年が顔を空に向け、目をつむって両手を広げている。右手には、チョークの箱を持っている。こいでいるのが、書のおもな語り部であるイカル、荷台にいるのが俳優志望の漁師の子で、後に有名な多国籍企業のITマネージャーになるが、それでも俳優になる夢をあきらめないシャダン、最後の節の語り部でもある。表紙を飾るこれらの少年たちが、書の主人公「虹の少年たち」10人+のうちの2人である。 「小説の舞台はスハルト大統領による独裁政権が続く一九八〇年代、インドネシアはスマトラ島の南沖にあるブリトゥンという小さな島だ。天然資源に恵まれたこの島で、国営の開発公社は錫を掘削し莫大な利益を挙げていた。しかしその利益が全島民に行き渡ることはなかった。校舎は傾き、教師たちはほぼ無給、制服すらない貧しい学校から物語は始まる

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  • 『今を生きるための現代詩』渡邊十絲子(講談社現代新書) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 小遣いをためて買った『谷川俊太郎詩集』、七百ページにもおよぶそのをはじめてひらいたとき、13歳だった著者がもっとも衝撃を受けたのは、そこに収められた詩篇「六十二のソネット」の〝目次〟の部分だった。 25 世界の中で私が身動きする=230 26 ひとが私に向かって歩いてくる=232 27 地球は火の子供で身重だ=234 28 眠ろうとすると=236 29 私は思い出をひき写している=238 … この、番号がふられたことばの羅列との出会いによって、少女は現代詩というものを理解する。小学生のときから詩が好きだったというのに、国語の教科書に載っていた、同じく谷川俊太郎の別の詩にまったく心を動かされず、そのために深く混乱していた矢先のことだった。 著者は詩人。はじめて出会う人にそう名乗ると、文芸雑誌編集者からさえ「詩はよくわからない」と言われることがあるのだそうだ。お

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  • 『サイコバブル社会―膨張し融解する心の病―』林公一(技術評論社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 「精神科医、快刀乱麻を断つ!」 最近、『それは「うつ」ではない』(A・ホーウィッツ / J・ウェイクフィールド著 伊藤和子訳 阪急コミュニケーションズ 2011)を読んだ。うつ病の歴史・社会的背景を綿密に追跡し、精神医学のアメリカ診断基準DSMを批判した力作であった。何よりも驚いたのは、現行DSMの雛型作成の仕掛け人とも言うべき精神科医スピッツァーが序文を書いていることだ。懐が深いのか、政治的計算があってのことか解らないが、専門家であれば一読の価値がある充実した一冊だった。 が、日にも似た題名のがあった。『それは、「うつ病」ではありません!』(林公一著 宝島新書2009)だ。前者のタイトルは、ここから拝借したのではないかとすら思う。是非推薦したい一冊なのだが、再版されていない。ということで、今回は、同著者による別の一冊、『サイコバブル社会』を取り上げてみた

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    laislanopira
    laislanopira 2013/11/13
    精神や心の病がどこまでも適用され病気でないものまで病気とされる。これはあの林先生案件の林さんの本
  • 『植民地近代性の国際比較-アジア・アフリカ・ラテンアメリカの歴史経験』永野善子編著(御茶の水書房) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 朝日新聞DEGITALは、10月23日につぎのように報じた。「韓国教育省は21日、いったん検定に合格した8社の高校用歴史教科書について、日の植民地支配や北朝鮮などに関する記述を変更するよう求めた。合格後、一部の教科書について「親日的だ」「北朝鮮に甘い」などの批判が上がり、全体を見直さざるを得なくなったとみられる」。「最も多く修正・補完を求められたのは教学社の「韓国史」。事実関係の間違いもあるが、注目を浴びたのは日の植民地支配などに関する記述だ」。「「日帝の植民地支配が続くほど、近代的な時間観念は韓国人にしだいに受け入れられていった」との記述は今回、「『植民地近代化論』を擁護する記述と誤解される素地がある」と指摘され、植民地支配による収奪という背景を書くよう求められた」。 その「植民地近代性」を国際比較を通じて論じたのが書で、「序にかえて」はつぎの文章で始

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  • 『ブ活はじめます―すべての女に捧げる「気持ちいい!」ブス活動のススメ』安彦麻理絵(宝島社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 「女性たちがすべてをさらけ出す・・・それがブ活(ブス活動)」 「実はどんな女の中にも「ブス」はいる。 世の中の、あらゆる女が、自分の中に「ブスを飼っている」のだ。」(P16) 衝撃的だが、でもどことなく納得のいく指摘であろう。「ブス」が何であるか、簡潔に定義づけられはしないものの、「おおむねこういうものだろう」という指摘がつらつらと書かれた第一章「女とブス」から書は始まる。そして、さらにこうも書かれている。 「女にとっての「ブス」にあたるものが、男には、ない。」(P19) これもまた、(評者は男ではあるものの)納得のいく指摘である。たぶん、それの裏返しで「美人」にあたる概念も男性には存在しないのだ。 わかりやすいのは化粧だろう。それをする男性がまったくいないわけではない。だが女性が化粧によって、かなりの程度「美人」を装うことができるのに対し、男性たちにとって

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  • 『n次創作観光―アニメ聖地巡礼/コンテンツツーリズム/観光社会学の可能性』岡本健(NPO法人北海道冒険芸術出版) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 「新しいリアリティ、新しい観光の可能性」 かつて、アメリカのダニエル・ブーアスティンは『幻影(イメジ)の時代』において、現代社会を批判的に捉えた「疑似イベント論」を展開した。その要点は、いうなればマスメディアが作り上げるイメージ(コピーされたもの)と、現実に存在するオリジナルとが混合し、時に逆転さえしてしまう事態を示したものであった。 いくつもの事例が取り上げられる中で、われわれにわかりやすいものとして、「観光ガイド」に描かれたとおりの体験こそが、「もっとも現地らしい」体験のように感じられてしまうことなどが挙げられよう。観光客の期待するリアリティと、現地で暮らす人々のリアリティが大きくずれていることはよく見られることだし、後者が前者に合わせることで観光産業が成立するという側面もある。 その一方で、今日の社会はさらにその先へと突き進んでもいるようだ。書が取り上

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  • 『さとり世代―盗んだバイクで走りださない若者たち―』原田曜平(角川書店) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 「何事にも、そこそこに入れ込んで、そこそこに満足する若者たち」 さとり世代とは、今日の若者たちの特徴をうまく言い表したフレーズだと思う。もちろん「若者たち」といってもその内実は多様だし、ひと括りにすることに慎重な見方があるのは事実だ。だが相対的にみても、急激な社会変動を遂げてきたこの社会においては、まだまだ世代論は有効な分析視座だと思う。 著者の原田氏は、「ゆとり世代」を読み替えた呼称として、「さとり世代」を定義しようとする。評者もこの見方には賛成だ。 大学で教鞭をとってから10年目を迎えるが、巷での悪評とは違い、実際に接してみた印象として、評者はゆとり世代を肯定的に評価してきた。学力の面ではさほど変化はないが、それ以外の面では、明るくて自信に満ち溢れた学生が多くなった印象がある。 もちろん、この自信の裏側にさしたる根拠のないところがこの世代の弱点でもあるのだ

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