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ブックマーク / realkyoto.jp (30)

  • REALKYOTO – CULTURAL SEARCH ENGINE » インタビュー 蔭山陽太氏(THEATRE E9 KYOTO 支配人)ロームシアターの新館長は大勢で議論して決めるべきだった

    裕介氏の特別寄稿に併せて、THEATRE E9 KYOTOの支配人、蔭山陽太氏のインタビューをお届けする。氏は、今年2月14日に京都市に対して公開質問状を提出した有志のメンバーであり、ロームシアター京都開館準備期間中の2013年8月から開館後の2018年3月まで同館の支配人/エグゼクティブディレクターを務めていた。 橋氏の記事のリードに記したように、ロームシアター京都の新館長に就任するとされた三浦基氏は、ハラスメント・解雇問題について団体交渉の最中にある。そういった問題を抱える人物を、問題解決前に公共性の高い文化施設の館長に任命すること自体異例と言えるが、2月19日に行われた「ロームシアター京都 2020年度 自主事業ラインアップ」説明会では、館長の推薦・任命を行う京都市音楽芸術文化振興財団の担当者が、プレスからの質問に対して「任命権を持つ同財団理事長(長尾真氏)に、三浦氏の解雇問題

  • 映画のラスト・エンペラー――ベルナルド・ベルトルッチ追悼 浅田彰 REALKYOTO

    浅田 彰(あさだ・あきら) 1957年、神戸市生まれ。 京都造形芸術大学大学院学術研究センター所長。 同大で芸術哲学を講ずる一方、政治、経済、社会、また文学、映画、演劇、舞踊、音楽、美術、建築など、芸術諸分野においても多角的・多面的な批評活動を展開する。 著書に『構造と力』(勁草書房)、『逃走論』『ヘルメスの音楽』(以上、筑摩書房)、『映画の世紀末』(新潮社)、対談集に『「歴史の終わり」を超えて』(中公文庫)、『20世紀文化の臨界』(青土社)などがある。 最新のエントリー 19.05.01 昭和の終わり、平成の終わり 19.03.29 原美術館のドリス・ファン・ノーテン 19.03.07 マックイーンとマルジェラ――ファッション・ビジネスの大波の中で 18.12.07 映画のラスト・エンペラー――ベルナルド・ベルトルッチ追悼 18.11.03 トランプから/トランプへ(5)マクロンとトラン

  • 中動態から想像力へ ——國分功一郎『中動態の世界』をめぐって REALKYOTO

    池田 今回は哲学者の國分功一郎さんにご登場いただきました。近著『中動態の世界』を起点に、主著の『暇と退屈の倫理学』について、さらに最近は想像力の問題について考えられているとのことなので、こうした関心についても、文化や芸術との関連を見据えながらお聞きできればと思います。 人間の弱さに対する関心 池田 まずは2017年に出版されて話題になった『中動態の世界』ですが、今回読み直してみて、やはりこのが医学書院から出されていて、依存症の問題がひとつの出発点になっているというところに意表をつかれる思いがします。というのもこのでは、古典ギリシア語の文法についての歴史的・哲学的な検討がたいへん緻密に展開されているからです。まずはこの中動態と臨床的関心との接点について伺いたいと思います。 國分 中動態への関心というのは昔からあって、当に自分はポストモダニストだなと思うのですが、近代的主体に対する様々な

  • アラーキーは殺されるべきか? - REALKYOTO

    飯沢耕太郎 荒木経惟さんのモデルだったKaoRiさんがブログに投稿した「その知識、当に正しいですか?」という文章が大きな話題になっている。 https://note.mu/kaori_la_danse/n/nb0b7c2a59b65 とても真っ当な内容で、荒木さんの「ミューズ」だったはずの彼女が、契約書や金銭的な対価もほとんどなく「モノのように扱い続け」られてきたこと、自分のイメージが、荒木さん及び編集者を含む複数の関係者によって勝手に作り変えられ、そのことによって疲弊し、精神的、身体的に大きなダメージを受けたにもかかわらず、何のフォローもなかったことなどが、むしろ淡々と綴られている。単純に荒木さんを非難し、告発するというのではなく、事実を事実として認め合うことを求めた文章は、「お互いにお互いを尊重しあって発展する世の中になりますように」と結ばれる。 荒木さんとKaoRiさんの当事者同士

  • ドクメンタ14 - REALKYOTO

    小崎 哲哉(おざき・てつや) 1955年、東京生まれ。 ウェブマガジン『REALTOKYO』及び『REALKYOTO』発行人兼編集長。 写真集『百年の愚行』などを企画編集し、アジア太平洋地域をカバーする現代アート雑誌『ART iT』を創刊した。 京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員、同大大学院講師。同志社大学講師。 あいちトリエンナーレ2013の舞台芸術統括プロデューサーも務める。 最新のエントリー 20.08.03 会田誠の『げいさい』 20.04.18 無人劇と無観客無配信ライブ(承前) 20.03.31 無人劇と無観客無配信ライブ 20.03.07 ロームシアター京都の騒ぎについて 20.02.02 ダムタイプとサミュエル・ベケット アーカイブ ▼2020年8月 「会田誠の『げいさい』」 ▼2020年4月 「無人劇と無観客無配信ライブ(承前)」 ▼2020年3月 「無人劇

  • 芸術論の新たな転回 02 千葉雅也「洒落と仮固定の制作論——千葉雅也『勉強の哲学』をめぐって」 by 池田剛介|REALKYOTO

    池田 シリーズ「芸術論の新たな転回」の第二回目となる今回は、新刊『勉強の哲学』が大きな話題となっている千葉雅也さんにお越しいただきました。千葉さんは哲学がご専門で、同時に表象文化、つまりイメージの問題を広くカバーする活動もされています。僕が千葉さんと知り合ったのが2008年ごろなので、ちょうど10年ぐらいの付き合いになり、常にそのお仕事には刺激をもらい続けてきました。 今回上梓された『勉強の哲学』ですが、驚くほど読みやすく、一見よくある自己啓発書のようにも思えるわけですが、読み進めていくうちに勉強することそのものについて原理的に考えさせられるものになっています。販売部数もずいぶん伸びていると聞きます。理系のような実用的とされる知のあり方が重要視され、人文系は信頼を落としていると言われたりもする。その中で「何事かを学ぶ」ことについて根的に問い直していく姿勢が新鮮に感じられたのではないでしょ

  • REALKYOTO – CULTURAL SEARCH ENGINE » 「ドクメンタ」は、美術展ではない。

    藤幡正樹 カッセルにドクメンタを観に行った。思った以上に楽しかったので、ここに報告させて貰うことにした。実際、今年のドクメンタは全体的に不評のようで、友人によればドイツ中の新聞や雑誌が軒並みこき下ろしているらしい。「自己正当化の神殿」(Zeit紙)、「要するに、難しく見せるということが重要なのだ」(Der Spiegel誌)、「まごうことなき大失敗」(Die Welt紙)、「今回のドクメンタはとても難しい」(focus誌)、「もしかしたらアートの役割は終わったのか? メディアが伝えるドクメンタ」(HNA)、南ドイツ新聞は「観客に指図するドクメンタ—アーティストもキュレーターも啓蒙せずに単純なメッセージに走り、政治ショーと化している」。今年を「スーパー・アートイヤー」と題して特集を打っているFAZ誌は好意的ではあるが、「今年のドクメンタは何から何まで違う」「ドクメンタではなくモニュメンタ——

  • もうひとつの物語 ― 岡崎乾二郎「抽象の力」の余白に | REALKYOTO

    清水 穣 豊田市美術館のコレクションには、わずか一点しかアメリカの抽象表現主義が含まれていない。展は、そのコレクションの空白を、戦後アメリカで形成された美術史に染まっていない場所と見なし、そのディスクールのなかで単純化され忘却される以前、20世紀初頭のモダニズム発生期における「抽象の力」を再発見しつつ、その系譜を大西洋回り(欧→米)ではなく、ユーラシア→日経由太平洋という東回りでグローバルに辿ることで、戦前の日の豊かなモダニズム受容とその展開を詳らかにする展覧会である。 この展覧会の魅力が、非西洋圏で開花したオルタナティヴなモダニズムの再認識にあるだけなら、近年のテート・モダンの常設展示のように、欧米に偏らないグローバルな展示方式は常態となりつつある。また、そうした歴史再評価を超えて企画者の狙いが、モダニズムの読み変えにあるとしても、それが、「クレメント・グリーンバーグ」に代表される

  • 「芸術論の新たな転回 01 星野太(1):それでもなお、レトリックを──星野太『崇高の修辞学』をめぐって1」(Interview series by 池田剛介) - REALKYOTO

    インタビュー:星野太 聞き手:池田剛介 昨今の政治・社会状況の変化を受けてか、これまでのものとは視点を異にする言説が登場してきている。反知性主義がはびこり、「ポストトゥルース」などという新語が造られる時代には、どのような思考や態度が必要とされるのだろうか。現代の芸術や言説空間に新たな風を運ぶ書き手に話を聞くインタビューシリーズ。初回には、カント以来の「美学的崇高」ではない、もうひとつの「崇高」についての刺激的な書物を上梓した哲学者・美学者を迎えた。 池田 マルセル・デュシャンの《泉》が1917年の作品なので、今年はちょうどその100年後にあたります。周知のようにこれは、男性用便器に署名を書きつけて展示するというもので、20世紀美術に最も影響を与えた作品のひとつと言えるかと思います。いま世界各地で展開されている現代美術も、おおよそその延長線上にあると言えるでしょうが、ここから決定的に新しいも

  • REALKYOTO: リオ五輪閉会式「引き継ぎ式」への疑問

    小崎 哲哉(おざき・てつや) 1955年、東京生まれ。 ウェブマガジン『REALTOKYO』及び『REALKYOTO』発行人兼編集長。 写真集『百年の愚行』などを企画編集し、アジア太平洋地域をカバーする現代アート雑誌『ART iT』を創刊した。 京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員、同大大学院講師。同志社大学講師。 あいちトリエンナーレ2013の舞台芸術統括プロデューサーも務める。 最新のエントリー 20.08.03 会田誠の『げいさい』 20.04.18 無人劇と無観客無配信ライブ(承前) 20.03.31 無人劇と無観客無配信ライブ 20.03.07 ロームシアター京都の騒ぎについて 20.02.02 ダムタイプとサミュエル・ベケット アーカイブ ▼2020年8月 「会田誠の『げいさい』」 ▼2020年4月 「無人劇と無観客無配信ライブ(承前)」 ▼2020年3月 「無人劇

  • REALKYOTO – CULTURAL SEARCH ENGINE » 小特集:森村泰昌

    大阪の国立国際美術館で『森村泰昌:自画像の美術史』展が始まりました(2016年6月19日まで)。レオナルド・ダ・ヴィンチ、フィンセント・ファン・ゴッホ、アンディ・ウォーホルといった巨匠たちの自画像に扮し、「自画像とは何か」を問う意欲的な大個展です。これを機に、大阪で生まれ、京都で学び、世界に羽ばたいたアーティストについての小特集を組んでみました。 特集は、オリジナルのインタビュー、レビュー、そして、小アーカイブから構成されます。随時公開していくので、じっくりお楽しみください。 【INTERVIEW】 ▶インタビュー:森村泰昌「「わたし」に込めた500年の美術史」(聞き手:原久子) 【SMALL ARCHIVE 森村泰昌】 『A & C : Art & Critique』は1987年7月〜1994年2月まで、京都芸術短期大学(現・京都造形芸術大学)が刊行していた芸術批評誌です。いまでは入手が

  • 先制第一撃批判――新芸術校成果展講評の余白に - REALKYOTO

    2016年2月26日に開催された「ゲンロン カオス*ラウンジ 新芸術校」の第一期成果展「先制第一撃」の講評会に審査員として参加したのだが(他の審査員は岩渕貞哉と夏野剛、そして主任講師の黒瀬陽平とゲンロン主催者の東浩紀)、講評会という性格と時間の制約のため複雑な問題もかなり乱暴な形で語るほかなかった。講評会は公開され、ニコニコ動画でも中継されたので、誤解の余地を少なくしておいたほうがいいと考え、以下に私の発言の一部に補足を加えたものをあらためて公開する。 * 新芸術校の主任講師である黒瀬陽平さんは、どこかで授業を聞いて、ぼくは良い教師ではないと判断したらしい。それで、ぼくは新芸術校の授業に呼ばれたことがない。「そもそも良い教師・良い学校などという幻想を抱くべきではなく、すべての教師は反面教師でありすべての学校は廃墟であると考えるべきだ」という持論のせいかもしれませんが、確かにぼくは人にものを

  • REALKYOTO – CULTURAL SEARCH ENGINE » 共生のモジュールを発明する――前川紘士の「Scales, others」

    F.アツミ 穏やかに、しかし眩いばかりの輝きをもって絡みあう色彩/形態が展示スペースに息づく。近年、「風景に同期する」(トレジャーヒル・アーティストビレッジ/台北/2012年)、「ひと花プロジェクト 美術の時間」(ひと花センター/大阪/2013年~)、「奈良県における障害のある人の芸術活動に関する調査」(たんぽぽの家/奈良/2014年)など、開発区域の住人、単身高齢者、障がい者といった周縁的ともいえる存在へのリサーチ活動を行ってきた前川紘士による「Scales,others」が2015年11月7日~22日、ギャラリー・パルク(京都市中京区)において開催された。 * シンプルな分子構造を想わせる鮮やかなブルーの円形、明るい墨で描かれたDNAの螺旋構造のような模様、結晶体にも似た温もりのあるオレンジの四角形、一連の「Space of drops」(紙、アクリル絵具、墨、2012~15年)では、

  • REALKYOTO – CULTURAL SEARCH ENGINE » 文化庁の移転について

    小崎 哲哉(おざき・てつや) 1955年、東京生まれ。 ウェブマガジン『REALTOKYO』及び『REALKYOTO』発行人兼編集長。 写真集『百年の愚行』などを企画編集し、アジア太平洋地域をカバーする現代アート雑誌『ART iT』を創刊した。 京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員、同大大学院講師。同志社大学講師。 あいちトリエンナーレ2013の舞台芸術統括プロデューサーも務める。 最新のエントリー 20.08.03 会田誠の『げいさい』 20.04.18 無人劇と無観客無配信ライブ(承前) 20.03.31 無人劇と無観客無配信ライブ 20.03.07 ロームシアター京都の騒ぎについて 20.02.02 ダムタイプとサミュエル・ベケット アーカイブ ▼2020年8月 「会田誠の『げいさい』」 ▼2020年4月 「無人劇と無観客無配信ライブ(承前)」 ▼2020年3月 「無人劇

  • 浅田彰「村上隆なら森美術館より横浜美術館で」 - REALKYOTO

    浅田 彰(あさだ・あきら) 1957年、神戸市生まれ。 京都造形芸術大学大学院学術研究センター所長。 同大で芸術哲学を講ずる一方、政治、経済、社会、また文学、映画、演劇、舞踊、音楽、美術、建築など、芸術諸分野においても多角的・多面的な批評活動を展開する。 著書に『構造と力』(勁草書房)、『逃走論』『ヘルメスの音楽』(以上、筑摩書房)、『映画の世紀末』(新潮社)、対談集に『「歴史の終わり」を超えて』(中公文庫)、『20世紀文化の臨界』(青土社)などがある。 最新のエントリー 19.05.01 昭和の終わり、平成の終わり 19.03.29 原美術館のドリス・ファン・ノーテン 19.03.07 マックイーンとマルジェラ――ファッション・ビジネスの大波の中で 18.12.07 映画のラスト・エンペラー――ベルナルド・ベルトルッチ追悼 18.11.03 トランプから/トランプへ(5)マクロンとトラン

    浅田彰「村上隆なら森美術館より横浜美術館で」 - REALKYOTO
  • REALKYOTO – CULTURAL SEARCH ENGINE » 知る人ぞ知る磯崎新のはなし——『だれも知らない建築のはなし』を見て

    浅田 彰(あさだ・あきら) 1957年、神戸市生まれ。 京都造形芸術大学大学院学術研究センター所長。 同大で芸術哲学を講ずる一方、政治、経済、社会、また文学、映画、演劇、舞踊、音楽、美術、建築など、芸術諸分野においても多角的・多面的な批評活動を展開する。 著書に『構造と力』(勁草書房)、『逃走論』『ヘルメスの音楽』(以上、筑摩書房)、『映画の世紀末』(新潮社)、対談集に『「歴史の終わり」を超えて』(中公文庫)、『20世紀文化の臨界』(青土社)などがある。 最新のエントリー 19.05.01 昭和の終わり、平成の終わり 19.03.29 原美術館のドリス・ファン・ノーテン 19.03.07 マックイーンとマルジェラ――ファッション・ビジネスの大波の中で 18.12.07 映画のラスト・エンペラー――ベルナルド・ベルトルッチ追悼 18.11.03 トランプから/トランプへ(5)マクロンとトラン

  • 『Fujita』はなぜ映画としても伝記としても失敗なのか REALKYOTO

    浅田 彰(あさだ・あきら) 1957年、神戸市生まれ。 京都造形芸術大学大学院学術研究センター所長。 同大で芸術哲学を講ずる一方、政治、経済、社会、また文学、映画、演劇、舞踊、音楽、美術、建築など、芸術諸分野においても多角的・多面的な批評活動を展開する。 著書に『構造と力』(勁草書房)、『逃走論』『ヘルメスの音楽』(以上、筑摩書房)、『映画の世紀末』(新潮社)、対談集に『「歴史の終わり」を超えて』(中公文庫)、『20世紀文化の臨界』(青土社)などがある。 最新のエントリー 19.05.01 昭和の終わり、平成の終わり 19.03.29 原美術館のドリス・ファン・ノーテン 19.03.07 マックイーンとマルジェラ――ファッション・ビジネスの大波の中で 18.12.07 映画のラスト・エンペラー――ベルナルド・ベルトルッチ追悼 18.11.03 トランプから/トランプへ(5)マクロンとトラン

    laislanopira
    laislanopira 2016/01/14
    リズム感がなく鈍重で退屈な日本映画批判と、通俗的なフジタ理解への批判
  • REALKYOTO 新国立競技場問題をめぐって 浅田彰

    浅田 彰(あさだ・あきら) 1957年、神戸市生まれ。 京都造形芸術大学大学院学術研究センター所長。 同大で芸術哲学を講ずる一方、政治、経済、社会、また文学、映画、演劇、舞踊、音楽、美術、建築など、芸術諸分野においても多角的・多面的な批評活動を展開する。 著書に『構造と力』(勁草書房)、『逃走論』『ヘルメスの音楽』(以上、筑摩書房)、『映画の世紀末』(新潮社)、対談集に『「歴史の終わり」を超えて』(中公文庫)、『20世紀文化の臨界』(青土社)などがある。 最新のエントリー 19.05.01 昭和の終わり、平成の終わり 19.03.29 原美術館のドリス・ファン・ノーテン 19.03.07 マックイーンとマルジェラ――ファッション・ビジネスの大波の中で 18.12.07 映画のラスト・エンペラー――ベルナルド・ベルトルッチ追悼 18.11.03 トランプから/トランプへ(5)マクロンとトラン

  • REALKYOTO – CULTURAL SEARCH ENGINE » 中西博之の「影」と「冒険」

    福永 信(ふくなが・しん) 1972年生まれ。 著書に、『アクロバット前夜』(2001/新装版『アクロバット前夜90°』2009)、『あっぷあっぷ』(2004/共著)『コップとコッペパンとペン』(2007)、『星座から見た地球』(2010)、『一一一一一』(2011)、『こんにちは美術』(2012/編著)、『三姉妹とその友達』(2013)、『星座と文学』(2014)、『小説の家』(2016/編著)。 最新のエントリー 19.06.10 クマのプーさん展の図録がいい 19.02.10 村瀬恭子の新作展(タカ・イシイギャラリー東京) 18.11.12 関西の80年代展 18.09.06 夏のおすすめ、ゴードン・マッタ=クラーク展 18.08.24 夏のおすすめ、木田金次郎展 アーカイブ ▼2019年6月 「クマのプーさん展の図録がいい」 ▼2019年2月 「村瀬恭子の新作展(タカ・イシイギャラ

  • たったひとりの国際展 REALKYOTO

    PARASOPHIA:京都国際現代芸術祭 2015が閉幕した。内容についても運営に関しても様々な意見が出ているが、帝冠様式の主会場・京都市美術館を主題的な核に据えたことは評価される。だが、真剣に考えるべきは浅田彰氏の指摘についてではないか。曰く「国際芸術祭なるものをこれ以上増やしても仕方がない、やるならばこれまでにないような形式を発明しなければ意味がない」。1990年代後半以降、数百と言われるビエンナーレやトリエンナーレが世界中に乱立するという現況において、これはまったくの正論である。だが「これまでにないような形式を発明」することなど、はたしてできるのだろうか。 以前からいろいろな場所で話しているが、筆者は新しい形の国際展はありうると考えている。参加作家数を絞り込むのである。それも、100人を40人前後にするなどという中途半端な絞り込みではない。ただひとりのアーティストを選び、全予算を彼/

    laislanopira
    laislanopira 2015/05/17
    たった一人だけに全予算を集中させる国際展というのも面白い