※全部モブ的に描いてる為見分けはつかないですが、最初の治療とインプラントの治療の歯医者は変わっています。
読み切り、連載第一話の時は相当にブクマがついたはずだ。 今も読み続けていますかみなさん、史セツキ「日本の月は丸くみえる」… 日本の月はまるく見える 史セツキ 母国・中国でBL漫画を連載中の夢言。規制が多くなかなか思った通りの作品を描けず、そして収入も満足に得られず、悶々とした日々を送っていた。そんな時、お見合いの話が舞い込んだ。相手は同級生の致遠。彼とは夢言が描いた漫画に関して因縁があり、夢言が今一番会いたくない男性だった…。 第一話(無料)をプレイバックしておくか。タイトルの由来もこのページでわかる comic-days.com そう、第一話には260を超えるブクマがついたんだったね。これでこの作品知ったんだ b.hatena.ne.jp 日本の月は丸くみえる日本の月は丸い、の由来はそして知らんかった、1、2巻がすでに出てるんだよ 日本の月はまるく見える(1) (モーニング・ツーWeb)
1981年(昭和56年)12月上旬…いや10日過ぎだったか…日にちは曖昧だが、〆切りが16だったのは地獄の苦しみで憶えてる。僕は、石森コミカから続く学年誌の連載も秋口で終息…この年はコロコロコミックの快進撃を受け学研の少年チャレンジ、双葉社の100点コミック等小学生向け児童誌が続々参戦した児童漫画戦国時代の幕開けだった。僕も100点コミックの依頼に飛びつくものの、苦手な野球物の原作付きであったが、その原作者も新人であったため噛み合わず苦戦…3回で終わった。僕は28歳、長女が生まれたばかりである意味岐路に立たされていた。元学年誌の担当者のいるコロコロコミックに持ち込むか?最悪、田舎に帰えり建設板金業を継ぐか…娘に母乳をやる妻の後姿を見ると自分の不甲斐なさ無さに泣けてくる。そんな時だった。講談社・テレビマガジン副編集長の加賀さんから電話が掛かってきた。「至急、機動戦士ガンダムの絵を描いて持って
福本伸行先生の代表作にして、麻雀漫画の傑作『アカギ 〜闇に降り立った天才〜』の魅力をphaさんにご紹介いただきます。天才的な麻雀打ちの主人公、赤木しげる、そして有り余るほどの金と権力を手に入れた鷲巣巌。2人のキャラクターの魅力、そして作品の読みどころをたっぷりお伝えします。 「誰もが知るあの名作を、いつか自分も楽しみたい」 「でもお金も時間も体力も有限だから、名作に手を出す“きっかけ”がほしい」 ……と日頃から考えている方も多いでしょう。 そこでソレドコでは、「今から読んだり観たりできるのがうらやましい!」というテーマで名作をセレクト。各ジャンルのコンテンツに精通する書き手の皆さんに、その名作の魅力を余すことなくご紹介いただきます。 今回、phaさんがセレクトしたのは、独特の画風や個性的なキャラクターで麻雀漫画の世界を塗り替えた『アカギ 〜闇に降り立った天才〜』です。 画像参照元:楽天ブッ
連載四年やってた漫画家のエントリー見てここにきたけど、十年以上漫画家やって自分もつかれた。 2作ポテンヒットで30万部ずつくらい売れた。貯金は全然ない笑。 ありがたいことにこうして食わせてもらってる。 でも若い頃付き合いがあった周りの人間が何百万部も売れて、才能の差を死ぬほど感じてきつい。みんな聞いたことある人ばかりだと思う。 当時からすごかった人、いきなり売れた人色々だけど、売れた漫画はやっぱり売れないのとくらべて全然おもしろいし、その人の描いた漫画には変わりないって感じ。なろうじゃないからもあるけど。 努力することも含めて、才能ってのは明確にあるんだよな。 なろう系にもエロにも向いてない絵柄だし求められない。 仕事なんだからやれよ!って思うかもしれないけど、こういう職業は向いてないことをやると本当にうまくいかない。 エロをかいてる知り合いも何人かいて、あの人たちは本当にエロが好きで描い
やっとの思いで始まった初連載 「いいですね!この方向性でいきましょう!」と言われたときは数カ月後には連載開始すると思っていた 「数話分書き溜めましょう!」「今ちょっと枠がないので・・・」「キリの良いところで始めましょう」 気づいたら2年経っていた その間はバイトで生活費を稼ぐ日々 しかし体力がないので何日も働くと漫画を描く気力がなくなってしまう 連載始まったらすぐに返せるはずだ、とリボ払い いつの間にか90万になっていて肝を冷やした 念願の連載が始まったらもうあっという間 ネームと作画で一瞬で1日が溶ける 最初は10年は続くかな?と皮算用してたがすぐに鼻を折られた びっくりするぐらい反応がない え?どういうこと? SNSで告知をしてもぜんぜんリアクションがない なにか対策をしたいけどマンガの作業でいっぱいいっぱい もともとSNSはヘタでフォロワー千人弱 連載が始まったら徐々に増えるんだろう
子どもたちと接する機会があり、一緒に絵を描いていたらその親?に言われた。 子どもたち「絵、うま!どうして?」 「君たちくらいのころから描き続けていたからだよ」 親「え~w最初から上手だったんだw」 「最初はこの子たちより下手でしたよ~」 親「ないないw最初から上手いから描き続けるんだよwいいな~ずるいよねw」 子どもの前で何をいってんだこいつ…と思いながらその場は適当にあしらった。 こいつに初めて描いた絵を見せたいもんだ。 ただのぐちゃぐちゃの線だぞ。 最近はオタク文化が根付いたのか絵描く子多いから今の子の方が上手いだろ。(おそらく) というか「ずるいよねw」ってなんだ…。ずる…? ふと絵描き人生でも振り返るかと思い、吐き出しがてらここに投げることにした。 * 初めて絵を描いたのは覚えていない。物心ついたときから暇だったら絵を描いていた気がする。 幼稚園で一番好きなのは絵を描くとき。 想像
ここまでのあらすじ 55歳まで独身だったマンガ家の渡辺電機(株)さんは、関西在住のシングルマザーの女性と結婚する。色々あって妻はしばらく関西に残ることになり、渡辺電機(株)さんは小学三年生の娘と東京で二人暮らしになる。長い独身生活から一転して父子家庭状態の子育て生活は、新鮮な驚きの連続。そんな二人暮らしにも、終わりのときはやって来た。 2021年の正月から始めた連載も、これで終わりです。3年と少しの間、お付き合いありがとうございました。企画を立てた時には9歳、5歳、新生児だった子どもたちも、14歳、10歳、4歳になってしまいました。まだまだ思い出深いエピソードもありますが、だいぶ昔のことになってしまい、次に描きたいテーマも溜まって参りました。かつて経験したことのない大反響をいただいた、代表作のひとつになりました。ありがとうございます。コミックスの2巻が出る…と思うのですが、出版界の状況は厳
始めるに当たって断り書きですが、前回のかがみさんの時もそうですが、話は盛っていません。だから事実だけであまり面白くないかも知れません。ただその時感じた自分の印象はそのまま書いていきます。 ・吾妻ひでお先生のアシスタントになるまで まず、当時のマイナー業界でロリコンブームがあって、吾妻先生はそのレジェンドであり、急先鋒でもありました。自分は当時でいうロリコンカテゴリ系の人間では無かったということは十分承知していて、美少女は描いても性的対象としては描かなかったことで排除された気分になっていました。性的傾向を漫画に持ち込む素養がもともと無かったといった方が正しいかもしれません。逆にそのことでおたくの仲間に入れないことで悩みさえしました。なにせロリコン系作家であった方がマイナー業界では仕事があった時代でしたから。 今じゃ考えられませんよね。 話は前後しますが1983年(昭和58年)に遡ります。電研
「老人の生態漫画を描いている!」「生態というか…かなり死んでいく!」「これは新しい!いや、古い!いや、かえって新しい!」…などなど、とにもかくにも令和の時代の最先端、77歳漫画家、齋藤なずな先生なんであります。謎が多い。なぜ40歳デビューなのか。なぜ77歳で活筆なのか。なぜこんなに面白い漫画を作れるのか。取材班は、甘いケーキときれいなお花を手に、雨降る中をバスで突っ切って停留所を降り、東京の奥深い土地にある団地=ご自宅を急襲。にゃー、にゃー、にゃー、ニャンコが女主人をガードする中をなんとかかいくぐって、生の声をインタビューしたのであった。「顔編」「猫編」「幼少期編」の3回に分けてお送りします。(顔編はこちら)(猫編はこちら) 取材/文/撮影:すけたけしん 着ている服がたまたま似ている。 色々と(命が)流れてくるのですよ ──先生は、空を見る時間と水を見る時間がどちらが多いですか。 それは何
これは本日10月26日に白泉社の公式サイトなどで発表された情報。白泉社は「心臓のご病気のため、ご逝去されました」と説明し、告別式は中条の家族によって執り行われたことを伝えた。 中条は1973年9月12日大阪府生まれ。1993年に「真夏の犯罪者」で第18回白泉社アテナ新人大賞佳作を受賞し、1994年に花とゆめ(白泉社)にて「ハートの果実」でデビュー。1996年から同誌で連載された学園ラブコメディ「花ざかりの君たちへ」は日本と台湾・韓国でTVドラマ化されるなど、大きな反響を呼んだ。そのほかの作品として「ミッシング・ピース」「夢みる葉っぱ」「シュガープリンセス」「花ざかりの君たちへ After School」「ももももっと!」など。2020年にTrifle by 花とゆめ(白泉社)にて発表した「秘密 -花ざかりの君たちへ After School-」が最後の作品となった。 中条比紗也の訃報を伝え
先日、「漫画を描きたいと言いながら今一作も描いていない人間が漫画家になれるはずがない」みたいな話をネットで目にして、その描いていない人に対しての厳しい意見が沢山目に入りました。 僕は30代半ばで、ひょっとしたら今なら漫画が描けるんじゃないかと思って、チャレンジしたら描けたので、そこからうっかりプロの漫画家になったりしましたが、これは大人になってから初めて描き始めたということではなく、大学では漫研にいたので、20歳前後あたりでも漫画を描いてみようとしたことはあって、でも、ちゃんと最後まで描けなくて挫折したというその前の経緯があります。 その後、30代半ばになって、会社員としての経験を色々経た後で、「今できないことを、なんとかしてできるようにする」ということをある程度筋道立ててできるようになってきたので、そのノウハウを応用すれば漫画だって描けるようになるのではないか?と思い立ち、色々試行錯誤し
2023年10月10日23:54 【悲報】高橋留美子「人生経験に頼らないと漫画を描けない人は才能が無い(笑)」 Tweet 1: 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2022/12/30(金) 06:50:02.398 ID:H8ljpuAs0 正論 経団連が自民党に消費税増税を求める、少子化対策の財源を巡り国民全体が負担する財源のあり方を検討 2: 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2022/12/30(金) 06:53:35.101 ID:AT7wPTc/p まあラノベ界隈とか恋愛経験ない隠キャが恋愛もの書き続けてるしな 3: 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2022/12/30(金) 06:54:10.973 ID:wFbj6aTQ0 >>2 クオリティ低いものは例対象にならんだろ 4: 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2022/12/30(
内科医くま🐻 @kuma1206 友人に孫が産まれたらしい… まぁそんな歳だよねと思いながら、名前を「心太(しんた)くん」としようかと考えていると聞いてとりあえず今すぐググれと言っておいた🐻
【写真】その他の写真を見る 書面では「読者の皆様へ」とし「漫画家の佐野菜見さんが2023年8月5日にご病気のため逝去されました。ご葬後は8月7日、8日に無事執り行われました」と報告。 「佐野さんは『ミギとダリ』の連載を終え、アニメの監修などをこなしながら新連載の打ち合わせを進めているところでした。病気が見つかって入院する前に『これを乗り越えたら、すごい漫画が描ける気がします』と言っていました」とつづり「とにかく漫画にまっすぐな方でした。面白い漫画を描くため、漫画家として成長するための努力を楽しんでできる人でした」と振り返った。 「佐野さんはハルタの前身である『Fellows!』でデビューして以来、ずっとハルタで描き続けてくれました。佐野さんという唯一無二の漫画家に伴走して、『坂本ですが?』や『ミギとダリ』に関わることができたのは編集者として幸せな時間でした」と記した。 「漫画に対しての真摯
色んな人間からさんざん「漫画『スキップとローファー』読め」と言われても、なんとなく気分が乗らず後回しにしてきた人生だったんですが、先日ようやく読みました。 俺の今までの人生いったいなんだったんだ 俺はなにをしてた?なに考えてたんだこのクソッタレは?やり直したい…こんな最高の漫画を無視し続けた過去の俺の後頭部をブン殴って気絶させ両手両足を縛り付けて島流しして牢獄に閉じ込めて強制的にスキップとローファーを読ませ続けたい。 デカい事件が起きるわけでも、大恋愛が始まるわけでも、物語をかき乱す悪者が出てくるわけでもない、あくまでもただ「高校生の日常」を描いているだけなのにあまりにも面白すぎる。読み終わったあとの 「イイもん読ませていただきました……」 という充実感と「この続き読むためなら親すら裏切るかも」と思わせるほどの吸引力。とにかく人間を分かりすぎている。高松美咲先生20人いるだろとしか考えられ
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