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ブックマーク / autonome.blog7.fc2.com (7)

  • 韓国の反徴兵運動について思い起こすことども│mukofungoj ĉiuloke

    雨宮処凛さんがマガジン9条でキム・ソンハさんのルポをまとめている。韓国人のキムさんは日に滞在中で、徴兵拒否の当事者だという。 韓国には徴兵制がある。オトコだけの徴兵だ。拒否すれば投獄。おまけに代替制度もない。それじゃみんな軍隊いくんだろうなと思うと、拒否する人もいる。投獄覚悟で徴兵を拒否する人たちが存在するのだ。 たとえば、徴兵制がらみでもっともおおくの被弾圧者を輩出しているといわれる「エホバの証人」の場合、徴兵検査は受けて入営するものの、実地の訓練で武器をもつところで最後的に拒否して抗拒罪(抗命罪)で投獄されるケースが多いときく。仏教徒でも拒否する人がでた。もちろん「反戦・平和」などの思想信条によって拒否する人もいる。いずれにせよ、韓国で(徴兵逃れではなく)徴兵拒否が社会的問題として大きく表面化したのは、2001年以降のことだったと思う(2000年からぽつぽつ動きは現れていたようだけれ

  • ノー・パサラン!│mukofungoj ĉiuloke

    カスティーリャ語(ご)に ¡No Pasaran! ということばがある。「(やつらを)とおすな!」という意味(いみ)だ。1930年代(ねんだい)、対(たい)ファシスト戦(せん)のさなかに人民(じんみん)戦線(せんせん)のがわでさけばれたスローガンである。その後(ご)、反(はん)ネオナチや反ファシズム(アンティファ)の運動(うんどう)であいことばのようにしてつかわれてきた。 きのう、埼玉県(さいたまけん)蕨市(わらびし)で「保守(ほしゅ)」を自称(じしょう)する民間(みんかん)ファッショのデモがあった。主催(しゅさい)関係者(かんけいしゃ)のひとりはヒトラーの擁護者(ようごしゃ)で、人類(じんるい)にたいする罪人(つみびと)である。デモで掲(かか)げられた主張(しゅちょう)は「不法(ふほう)外国人(がいこくじん)はでていけ」というものだった。これにたいして「生(い)きることは犯罪(はんざい)

  • 明日は明日の家がたつ│mukofungoj ĉiuloke

    最近は心を入れかえて?賃労働を最優先しているので、まったくなにもできていません。私用ふくめ労働力再生産日もけっこうつぶしています。やけのやんぱちを少しあらためて自分の生活を優先するとこうなるのだ、ということがよくわかりました。困ったもんだし、なさけないことですが。 こないだA誌の編集委員とのはなしのなかで言及したことなんですが、戦前、とくに1920~30年代の東京下町の中小労組がみな長時間労働にいそしみながら(たとえば印刷工の場合、10時間超なんてあたりまえ!)活動できたのは、実は家族的・隣近所的な共同性がいっていあったからじゃないのかな、ということがあります。単身者どもは組合事務所で自炊しながら雑魚寝してたりとか、小さい組合だとそういうところもあったわけで。そもそも事務所なんか「だれかんち」ってこともあったわけで、そうして誰かが働きにいってデヅラおとしてみんなでメシ喰う、これは「自由労働

  • パペットがやってきた──いつ・どこに?│mukofungoj ĉiuloke

    ※追記:すんません日語に不自由しておりテニヲハができておりませんでタイトルすら修正。かつテクスト増減中。こうした内容にふれると思いが千々乱れるのであります、というのはいいわけです。 「ラディカルパペット零年」──確定版を読んでいないのでハッキリしたことはいえませんが、このテクストがいうように2008年を日における「パペット元年」とするなら、それは誤認です。すくなくとも03年には京都でパペットがつくられています。おおきなパペット(あやつり人形)を街頭行動に集団的に登場させるという動きは、日ではたしかに昨年から格化したのかもしれません。とはいえ、たとえ一体にすぎないパペットでも巨大であれば集団で登場させるしかなく、その意味でやはり08年元年説は間違っています。 08年といえば、4月の「パペティスタ」(Puppetistas)の営為を資料として念頭においた「自由と生存のメーデー」の自力自

  • 奴隷の民主制を粉砕せよ│mukofungoj ĉiuloke

    無産大衆・無政府的同志が指摘しているように、戦後日の天皇制は、占領者の統治テクノロジーにくみこまれることによって生きのこる契機をつかんだモノにほかならない。 「新憲法」(日国憲法)施行以前のGHQ占領期において活用されたポツダム命令は、いわゆる「ポツダム緊急勅令」にもとづく。そして勅令は「旧憲法」(大日帝國憲法)第八条第一項にそのレジティマシー(正統性)がもとめられる。つまり占領政策とは天皇および天皇制の権威をも利用した統治技術の実験でもありえたのである。とりわけ「新憲法」施行までの過渡的な統治─支配を補填する手段として、勅令のレジティマシーを利用しながら貫徹されたポツダム命令は、占領当初において絶大な威力を発揮した。 戦後の天皇制が「国民の総意」にもとづくというのは、戦後の体制づくりにかかわったものたちのおためごかしにすぎない。それは「新憲法」公布・施行以前から、占領軍の統治技術

  • 警察の暴走をしり、「情報の自由」についてかんがえる│mukofungoj ĉiuloke

    「反戦と抵抗の祭〈フェスタ〉」の参加者が警察に連行されるという暴挙。フェスタ・ブログの12月6日付の記事のコメントらんに、自宅近くにパトカーがはりこんでいて警察署につれていかれた、との経験をしらせるかきこみがあります。土曜日というのはおそらく、フェスタ一週間後の12月6日にことだとおもいます。 デモに参加させてもらった者です。 土曜日、8:30に家に帰ってくると、警官が待っていて、パトカーで渋谷警察署に連れていかれ、デモの参加した理由などを聞かれました。 三時間くらい事情聴取を受け、昼には帰されましたが、他の参加者も呼んでいるようです。 どうして、私の家とか分かったのでしょうか? 私はユニオンなどの団体には一切入っておりません。 もし、同様に警察に呼ばれた人がいたら教えてください。これは任意といいつつ実際は強制しておこなわれているはずです。やましいことがいっさいなくても、警察官にかこまれて

    lever_building
    lever_building 2008/12/11
    けーさつ 腹立つ。任侠道に も反するよ。記事は すばらしい。
  • 隠蔽することばの政治=殺人への加担を自覚せよ│mukofungoj ĉiuloke

    hituziのブログじゃがー経由回虫経由の提起を受けて: 「だれのことであるのかということ」を問わずに呼称だけすげかえ、その呼称の対象を見ないようにする運動があります。これはだれの心のうちにもやどる運動であり、ときとして排外行動をささえる空気をうみだしもします。 「ホームレス」語法は、単に「浮浪者」のいいかえであるにとどまりません。日雇い労働者こそが野宿者の最大の供給源であった歴史性をおおいかくすものです。定宿(じょうやど)を持たざる者たちに「浮浪の罪」をおしきせて排斥するために、その労働者性すらうばうことがこれらのことばに期待されているとも考えられます。軽犯罪法は「働く能力がありながら職業に就く意思を有せず」ときめつけられるなら、「一定の住居を持たない者で諸方をうろついたもの」を犯罪者扱いせよ、と主張しています。いいのがれはできないでしょう。わたしたちはこのような破廉恥(はれんち)な法を

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