歴史は勝者のものだという。それはプロ野球も同様かもしれない。ただ我々は、そこに敗者がいて、その敗者たちの姿もまた、雄々しかったことを知っている。 目標の打率4割に届かず…… 他者を批判するのは簡単だ。どんな人間にも、あるいは成功にも、少なからずスキのようなものがあり、それを見つけて攻撃の矛先を向ければいい。そこに心は不要だ。よって、批判の言葉は量産され、それがさらなる批判を呼ぶ。実は誰かを攻撃すること自体が目的であり、それをカモフラージュするための大義名分として批判らしき言葉を並べている場合も多い。回りくどいだけの悪口のようなものだ。批判は、批判されている他者が成長するところへ到達しなければ、どんな言葉を弄したところで、単なる悪口に過ぎないのかもしれない。 同時に、「君の成長のために言っている」という批判も、なかなかに鬱陶しい。こういう状況に追い込まれたら、やり過ごすか、正面から向き合うか